ガルヴォルスSouls 第0話
どうしてこんなことになってしまったのだろう・・・
こんな悲しい結末、望んでいなかったはずなのに・・・
人は誰でも平等に、幸せになれる権利が与えられていると信じていた。
でも現実はそんなに優しくはなかった。
どんなに幸せを願っても、絶対に幸せになれない人がいる。
そう思い知らされた、ある出来事・・・
この魂(こころ)に、救いはあるのか・・・
街の郊外に点在する女子高。そこに通う1人の女子がいた。
北斗七瀬(ほくとななせ)。高校1年生。ひとつに束ねた長い黒髪と穏和な雰囲気が特徴。優しい性格だが、気弱な部分も持ち合わせている。
七瀬はクラス委員長であった。正確にはその責務を押し付けられたというのが正しい。
彼女の気弱な性格のため、強く頼まれると断れないことが多々ある。クラス委員長も、その経緯ゆえだった。
「七瀬、ちゃんと持ってきたわよね?」
登校途中の道で、七瀬は声をかけられる。同じクラスのフミとその友人、四葉(よつば)、タマキ、ショウコだった。
「丁度よかったよ。今月危ないとこだったのよね。」
「それにもうすぐ新作のバックが出るとこだったしねぇ。」
「持つべきものは、お友達よね。」
四葉、タマキ、ショウコが七瀬に言い寄ってくる。
「昨日、金入ったのは分かってるのよ。ないなんて言わないわよね?」
「でも、新しいバックを買わないといけないし・・」
「いいじゃないの。どうせまた壊れるんだからさ。それとも七瀬、自分がバックみたいになるほうが好みなのかなぁ・・・!?」
七瀬が言葉を返すと、フミが眼つきを鋭くする。これ以上逆らえば暴力を震わせるのは必死。七瀬のこれまでの経験が、それを物語っていた。
七瀬はやむなく、フミたちに所持金を渡すこととなった。お金を手にしたフミたちが、歓喜の笑みを浮かべていた。
そういった環境と周囲からの態度から浮いていた七瀬。だが彼女にも支えとなっているものがないわけではなかった。
久川(ひさかわ)カイリ。七瀬の通う学校の2年の先輩である。長身を優しい性格を兼ね備えており、それらの理由から、七瀬は彼に心を惹かれていた。
数ヶ月前、七瀬は思い切ってカイリに声をかけた。そこで彼女は、彼も想いを抱いていることを確かめることができた。
なかなか都合が合わず会う機会は取れないが、それでも交流は良好である。
「ゴメンね、七瀬ちゃん。寮生活な上にバイトでなかなか時間が作れなくて・・」
「ううん、いいんです・・カイリさんの都合を無視して、私の気持ちを押し付けるわけにはいきませんから・・」
謝るカイリに、七瀬が微笑んで弁解を入れる。
「でも、今度の日曜日は休みを取ったから。バイト仲間にムリ言って代わってもらったから・・」
「ありがとう、カイリさん・・私のためにここまでしてもらって・・・」
「気にしなくていいよ。僕がそうしたいし、七瀬ちゃんのためだとも思ってるから・・」
感謝の意を示す七瀬に、カイリは照れ笑いを見せた。
「それじゃ七瀬ちゃん、日曜日はよろしくね。僕も楽しみにしているから。」
「私も楽しみにしています・・本当に、楽しみ・・・」
カイリの言葉を受けて、七瀬が満面の笑顔を見せる。
どんな不幸が訪れても周囲からどのような冷たい態度を取られても、誰もが必ず幸せをつかみ取ることができる。このときの七瀬は、このことを信じて疑わなかった。
そんな2人を影から見つめる冷たい視線がそこにあった。
その週の金曜日。カイリとの約束を楽しみにしながら、七瀬は登校した。
だがその日の緊急集会で、彼女は衝撃の事実を聞かされる。それはカイリの突然の死だった。
カイリは昨日、校舎の屋上から落ちて、頭を強く打って亡くなっていた。風にあおられて落下したものと判断していた。
突然の恋人の死に愕然となり、悲しみに暮れる七瀬。今まで自分の心の支えとなっていた人がいなくなったことに、彼女は絶望に包まれていた。
それからの授業に全く身が入らず、休み時間でも廊下を夢遊病者のように歩いていた七瀬。その途中の階段付近にて、彼女はフミたちの声を耳にして立ち止まる。
「何か、とんでもないことになっちゃったね・・」
「そうね・・ホントはちょっと脅しつけるだけのつもりだったんだけど、アイツがあまりにもガンコで生意気だったからつい・・」
タマキとフミの言葉に七瀬が眉をひそめる。
「でも誰も疑ってきてないみたいだからいいんじゃないの?」
「そうそう。結局は七瀬に関わったアイツが悪いんだから。」
四葉とショウコが口にした言葉に、七瀬は耳を疑った。
「七瀬にああいうのを見せ付けられると、マジで気分が悪くなるのよねぇ。」
「だから久川カイリに、七瀬のそばにいなくなるようちょっかいだしたわけだけど・・」
「まさかあんなことになるなんて、あたしたちも正直予想外だったわ・・」
「でもアイツが死んで、七瀬のヤツ、心底悲しんでるだろうねぇ。」
フミたちが言葉を交わしあい、高らかと分かってみせる。その言葉と嘲笑が、七瀬の中に殺意を植えつけようとしていた。
七瀬はバスケットボール部に所属していた。だがこれはフミたちに無理矢理入れられてのものだった。
その日の七瀬は特に気が重かった。だがフミたちはそんな彼女にも容赦なかった。
「遅いよ、七瀬!チンタラしてないで早く参加しなさいっての!」
フミが七瀬に怒号をぶつける。だが未だに制服姿のままの七瀬が、冷淡な眼つきのままフミに歩み寄った。
「な、何だよ・・!?」
突然七瀬に歩み寄られて、フミが息を呑む。
「あなたたちが、カイリさんを殺したの・・・?」
「は?いきなり何言い出すのよ、七瀬?」
七瀬が言いかけた言葉に、フミが眉をひそめる。
「ちょっとちょっと、七瀬がいきなりバカぬかしたよ!」
「あたしらが誰を殺したって?アハハハ、そんな証拠がどこにあるのよねぇ?」
タマキと四葉が七瀬をあざ笑ってくる。しかし七瀬は冷淡な様子を崩さない。
「あなたたちの話を聞いたの。あなたたちがカイリさんを殺したって・・どうして・・どうしてカイリさんを・・!?」
憤りを膨らませて、体を震わせる七瀬。その言葉に苛立ったフミが七瀬を突き飛ばす。
「調子に乗ってんじゃないわよ!言いがかりばっかしてきてさ!」
「そうよ!七瀬のくせに生意気よ!」
フミとショウコが七瀬に怒鳴りかかる。だが七瀬の冷淡な態度は崩れない。
「そのカイリって人を、私たちがどうして殺すの?どうせ殺すなら、思い切ってアンタを殺してやるけどね。」
「まぁ、何にしても、アンタに関わらなければ、そのカイリって人も死なずに済んだかもね。」
「そうそう。アンタが殺したも同然ってことね。アハハハ・・」
四葉、タマキ、ショウコが言い放ち、七瀬をあざ笑った。
そのとき、七瀬から突如衝撃が放たれ、彼女のいる床に亀裂が生じた。その衝撃にあおられたフミたちから笑みが消える。
「な、何、今の・・・!?」
ショウコが息を呑み、七瀬に視線を戻す。怒りに駆られた七瀬の右手の指が小刻みに動く。
「私のことならいくらでも侮辱してもいいよ・・中傷されることには慣れてるから・・・でも、関係のないカイリさんを悪く言うのは、私が許さない・・・!」
「許さない?何言ってるの?悪いのはアンタと、アンタに関わったアイツの不幸じゃない!とやかく文句を言われる筋合いは・・!」
冷徹に告げる七瀬にフミが苛立ちをあらわにしたときだった。突如一条の旋風が放たれ、フミたちを通り過ぎていった。何が起こったのか分からず、フミたちが眉をひそめる。
次の瞬間、フミの体が突如、上半身と下半身に両断された。紅い鮮血をまき散らして、彼女の体が昏倒する。
「フ・・フミ・・・!?」
「キ、キャアッ!」
愕然となり、たまらず悲鳴を上げる四葉たち。その中で七瀬だけが、冷徹といえる落ち着きを払っていた。
「文句を言う筋合いも理由もあるよ・・あなたたちに全然関係ないカイリさんを、あなたたちは私から奪ったんだから!」
眼を見開いて獣の咆哮のように叫ぶ七瀬。その姿が人でないものへと変貌していく。漆黒の翼が特徴の怪物で、まるで堕天使のようだった。
「バ、バケモノ!?」
「ああ、悪魔・・!」
四葉たちが悲鳴を上げて、一目散に逃げ出そうとする。
「バケモノ?悪魔?あなたたちがそれを言えるの・・・!?」
七瀬は鋭く言い放つと、体を振るわせて旋風を解き放つ。その見えない刃が、逃げ惑う四葉たちを次々と切り裂いていく。
断末魔の悲鳴が飛び交う体育館の中央で、七瀬は不気味な笑みを浮かべていた。だがそれを否定するかのように、彼女の眼からは涙が流れていた。
体育館に静寂が戻った。だがそこは既に、いつもの体育館ではなかった。
体育館の床と壁には、紅い血と肉片が散りばめられていた。まさに見るのもおぞましい地獄の風景だった。
その中央に七瀬は立ち尽くしていた。彼女の両手や髪、制服にも鮮血が付着していた。
「これ・・私がやったの?・・・私が、みんなを殺したの・・・?」
愕然となったまま、七瀬は1人呟いていた。今まで何をやっていたのか記憶になかったが、彼女は自分がフミたちを手にかけたことを実感していた。
「カイリさん・・私・・私・・・」
悲しみに包まれた七瀬が、夢遊病者のように歩き出した。今の彼女を突き動かしていたのは、絶望感と一途な想いだけだった。
「私も・・カイリさんのところへ・・・」
七瀬はカイリを追い求めて、おもむろに体育館を出て行った。手と制服についた血を拭わないまま、彼女は人気のない道を1人歩いていった。
どこか誰もいない場所で寂しく一生を終える。七瀬はそう考え、死を受け入れようとしていた。
だが、七瀬の願っていた死は叶うことはなかった。
彼女が眼を覚ましたのは、行き着いた人気のない草原のままだった。もはや感情を表す気力さえ失っていた彼女は、無意識に立ち上がり、再び歩き出していった。
生きることも死ぬことも許されない。自分はどうしたらいいのか。何をすれば報われるのか。その答えも分からないまま、七瀬は歩き続けた。
しばらく歩いていき、七瀬は遊園の広場に行き着いていた。そこで彼女は悲惨な光景を目の当たりにした。
3人の男が1人の少女に詰め寄っていた。水色がかった青の髪のその少女は、男たちの要求に困り顔を浮かべていた。
それを見た七瀬の心が大きく揺れ動く。その少女が、フミたちから虐げられてきた自分と重なって見えた。
「やめなさい!」
考えを巡らせる前に、七瀬は叫んでいた。その声を聞いて、男たちが彼女に振り向く。
「何だ、この姉ちゃんは?」
「オレらが何をしようと、おめぇには関係ねぇだろうが。」
「それとも姉ちゃん、代わりにオレたちの相手をしてくれるのかい?」
男たちがいきり立ち、七瀬に詰め寄ってきた。しかし七瀬はさほど動じることなく、男たちに言いかけた。
「相手してほしいなら相手をしますよ。どこか誰もいないところに連れて行ってください・・」
七瀬の言葉を受けて、男たちが不敵な笑みを浮かべる。4人は人のいない場所へと向かい、心配になった少女がその後を追いかけていく。
「さてさて、この度胸のある女とどう遊んでやろうか。」
男たちが七瀬を見つめて、哄笑を上げる。だが七瀬の瞳は冷たくなっていた。
「遊ばれるのは、どちらになるのでしょうね・・・」
妖しい笑みを浮かべてきた七瀬に、男たちが眉をひそめる。彼女の頬に異様な紋様が浮かび上がる。
「えっ・・・!?」
その異変に男たちが驚きを見せる。彼らの前で七瀬の姿が異形の姿「ルシファーガルヴォルス」へと変貌していく。
「な、何だ、コイツ!?」
「バケモノ!?バケモノだ!」
男たちが恐怖をあらわにして、七瀬から離れる。
「遊んでもらえるのですよね?お互い、楽しくならないといけないですよね?」
七瀬は妖しく言いかけると、男たちに向けて旋風を放つ。旋風は逃げようとした男たちを切り刻み、アスファルトの道に紅い血を撒き散らした。
人間の姿に戻った七瀬が、男たちの無残な亡骸を冷淡に見つめる。彼女の両手にも紅い血が付着していた。
「人なんて信じられない・・いなくなってしまえばいい・・・」
低い声音で冷たく呟く七瀬。だが彼女の眼からは悲しみがこもった涙があふれてきていた。
「お姉ちゃん・・・?」
そのとき、この出来事を目撃していた少女が声をかけてきた。我に返った七瀬が少女に振り返る。
「私・・これは・・その・・・」
七瀬が少女に対して困惑を見せる。いくら悪者から助けてくれたといえど、無残な殺人を犯した人を受け入れられるはずがないと、彼女は思っていた。
「お姉ちゃん・・・こころを助けてくれたの・・・?」
「えっ・・・?」
少女、天井(あまい)こころが口にした言葉が意外に感じ、七瀬が戸惑いを見せる。
「た、確かにあなたを助けたことになるけど・・こんなに血だらけの人、受け入れられるわけないよね・・・」
「ううん・・お姉ちゃんが、こころを助けてくれたことに変わりないから・・」
自分の恐ろしさを見せ付けてしまったことに困惑する七瀬だが、こころは彼女を受け入れていた。
「どんな姿だって・・こころには関係ないことだよ・・大切なのは心のほうだよ・・・」
「あなた・・・私・・私・・・」
自分を心から受け入れてくれた少女に、かつてないほどの喜びを感じ、七瀬は涙を浮かべていた。日常でさえも張り詰めた空気で満たされていた今までの自分が、この瞬間に解放された気がして、彼女は安堵していた。
「ありがとう・・ありがとう・・・こころちゃん・・・」
世界の誰もが幸せをつかみ取れるわけでないと思い、諦めの気持ちを抱いていた自分から解放された七瀬。その喜びと解放感のあまり、彼女は脱力して倒れそうになる。
「お姉ちゃん・・!」
こころが慌てて駆け出し、七瀬を支えようとする。それに気付いた七瀬がとっさに踏みとどまる。
「ゴ、ゴメンね!・・安心したら、体から力が抜けてしまって・・」
「ううん、大丈夫・・お姉ちゃんが倒れそうなってるのに、何もしないわけにいかないよ・・・」
謝る七瀬に弁解を入れるこころ。七瀬は体勢を整えて、こころを見つめる。
「お姉ちゃん、こころの家に行こう・・お姉ちゃん、疲れてるみたいだから・・・」
「えっ?でも、そんなことしたらこころちゃんに迷惑になるんじゃ・・・」
「ううん、気にしなくていいよ・・お姉ちゃんが安心できれば、こころも嬉しいから・・・」
困惑する七瀬を優しく迎え入れるこころ。その優しさを受けて、七瀬は微笑んで頷いた。
こころに連れられて七瀬がやってきたのは、裕福さのある家だった。庭付き一戸建てのその家を目の当たりにして、七瀬は戸惑いを感じていた。
「ここが、こころちゃんの家・・・」
「ちゃんというとおじさんの家・・こころのパパとママはいなくて・・おじさんがこころを引き取ってくれたの・・・」
こころの口にした言葉に、七瀬は困惑を覚える。幼き少女の過去を知って、彼女は深刻さを覚えていた。
「こころちゃんも、辛い思いをしてきたんだね・・・」
共感した七瀬が物悲しい笑みを浮かべる。するとこころが首を横に振る。
「おじさんが優しくしてくれたから、そんなに寂しくはならなかったよ・・それに今は、お姉ちゃんと一緒だから・・・」
「こころちゃん・・・」
こころの言葉を受けて、七瀬は安らぎを覚える。七瀬の眼には、こころの笑顔が天使のように思えていた。
「ここで立ち話をいていても疲れちゃうよ。中に入って。」
「うん・・それじゃ、お言葉に甘えることにするね・・・」
こころに呼びかけられて、七瀬は家に入ることにした。
家の中も広々とした部屋と廊下が点在していた。2、3人で暮らすには広すぎるくらいだった。
「まだおじさん、帰ってきていないけど・・ここはこころが頑張るしかないね・・」
「こころちゃん、何を・・・?」
突然意気込みを見せるこころに、七瀬が戸惑いを見せる。こころはキッチンに向かい、冷蔵庫の中と調理器具の確認をすると、いきなりエプロンと三角巾を付け出した。
「任せて、お姉ちゃん。こころ、やるときにはやるから・・」
いきなり調理を始め出したこころに対し、七瀬は言葉をかけられなくなった。断るのも逆に気まずいと思い、彼女はこころの気遣いに甘えることにした。
リビングで待っていた七瀬は、窓から外を見ていた。彼女はこれまでの自分に起こったことを思い返していた。
同級生たちからの虐待、カイリの死、異形の存在への覚醒。様々な出来事が、七瀬の人生と心境を大きく変えていった。
(これからどうしていけばいいかな・・こころちゃんが与えてくれたこの幸せ、私は失いたくない・・・)
一途の願いを胸に秘めて、七瀬はこれからの人生を力強く生きていくことを心に誓った。
そのとき、七瀬はキッチンから異臭が流れてきたことに気付く。
「こころちゃん・・・?」
七瀬がキッチンに向かうと、そこでは黒い煙が舞い上がっていた。
「こ、こころちゃん!?」
たまらず声を荒げる七瀬。調理といえない調理に悪戦苦闘しているこころの前にあるコンロを、七瀬が慌てて止める。
「こ・・こころちゃん・・大丈夫・・・!?」
「は・・はい・・ゴメンなさい・・レシピどおりに作ったはずなんだけど・・」
咳き込みながら声をかける七瀬に、こころが涙目で答える。換気によって煙の消えたフライパンの中にあるものに、七瀬は絶句した。
「こころちゃん、何、コレ・・・!?」
「はいっ♪頑張って作ったんだよ♪・・・って、言いたかったんだけど・・・」
恐る恐る問いかける七瀬に一瞬笑顔を見せるが、こころはすぐに気落ちする。彼女が調理していたものは、とても料理とは到底思えない、とてつもなくおそろしいものとなっていた。
「ここは私に任せて、こころちゃん。私、1人暮らししていたから、自分のご飯を自分で作ることが多かったから・・」
「でも、それだとお姉ちゃんが迷惑になっちゃう・・」
「気にしないで。こころちゃんは私を迎え入れてくれた・・こんな私を・・・」
自ら調理に取り掛かる七瀬に、こころは困惑を浮かべる。だが七瀬は的確に調理を進めていく。
手馴れた腕前で仕上げられていく食材。七瀬が調理したのは、誰からも慕われているカレーだった。
「甘口カレーを作ってみたよ。それならこころちゃんも食べられるし、私も好きだから・・」
「お姉ちゃん・・ゴメンね・・こころが失敗したから・・・」
笑顔を見せる七瀬に、こころが沈痛の面持ちを浮かべる。すると七瀬がこころの頭を優しく撫でる。
「私にここまでしてくれたのに、私が何もしないわけにいかないよ・・だから・・・」
「お姉ちゃん・・・」
七瀬に励まされて、こころが笑顔を取り戻した。
「ただいま。すまない、こころちゃん。遅くなってしまって・・」
そのとき、玄関から男の声がかかり、七瀬がそのほうに眼を向ける。
「あっ、おじさんが帰ってきたー♪」
こころが笑顔を見せて、玄関に向かう。部屋の出入り口に行き着いたとき、1人の男が部屋に現れた。
たくましい長身と穏和な雰囲気が特徴で、対面しても緊張しない人物であった。
「おや?君は?こころちゃんの知り合いかい?」
「えっ?あ、はい・・私、北斗七瀬といいます・・」
男が訊ねると、七瀬が動揺を見せながら自己紹介をする。すると男は微笑んで頷きかける。
「こころちゃんが危ないところを、私が助けたんです・・それで、仲良くなって・・」
「そうか・・私はこころちゃんの叔父に当たる、海野宗司(うんのそうじ)だ。身寄りがなかったので、私がこころちゃんを引き取ったのだ・・こころちゃんを助けてくれて、私からも感謝したい・・」
「そんな・・助けられたのは私のほうです・・こころちゃんには、いろいろと励まされて・・・」
自己紹介と感謝をする男、宗司に、七瀬が苦笑いを浮かべる。その直後、宗司は七瀬をじっと見つめると、真剣な面持ちを浮かべる。
「何やらわけありのようだ・・よければ話を聞かせてもらえないかな?もしも辛い内容なら、2人きりでもいい・・」
「はい・・でもその前に食事を・・あまりこころちゃんに迷惑ばかりかけられないから、カレーを作ってみたんです・・」
宗司の言葉を受けて一瞬沈痛の面持ちを浮かべるも、七瀬が鍋に入ったカレーを提示する。
「お、カレーか。君、料理の腕は確かなようだね・・」
宗司が七瀬に向けて感嘆の声を上げるが、こころに対しては気まずさを見せる。その視線にこころが悪寒を覚える。
「こころちゃん、またやったのか・・せめてレシピを覚えてからにしないと、そのうち家が焼けてなくなるぞ。」
「だって〜・・こころ、お姉ちゃんにお礼がしたかったから・・それに、レシピどおりに作ったら負けかとも思って・・」
困り顔を浮かべて注意する宗司に、こころが笑顔で答える。その答えに宗司が呆れてため息をつく。
「ここは七瀬さんの腕にあやかることにしよう・・・」
「はい。私、カレーは1番自信があるんです・・」
落ち着きを取り戻した宗司の言葉を受けて、七瀬も微笑んで頷いた。
食事の後、七瀬は宗司と2人きりで話をすることとなった。七瀬はこれまでの自分のいきさつを話した。いじめを受けてきたこと、恋人を失ったこと、自分が人でないものへ変身したこと。
その異形への変貌について聞かされたとき、宗司が眉をひそめた。
「そうか・・君もガルヴォルスとなってしまったのだな・・」
「ガルヴォルス・・・?」
宗司が口にした言葉に、七瀬が疑問を覚える。
「ガルヴォルスは人間の進化。動植物の特徴と強大な力を備えた存在だ。」
「人間の進化・・あれが進化なんですか・・・!?」
説明を始める宗司に、七瀬がたまらず声を荒げる。だが我に返った彼女は、落ち着きを取り戻す。
「元々人間は、動植物の進化によって誕生した種族だということは、君も分かるよね?その人間の細胞や遺伝子の中にも、動植物の本能が込められているといっても過言ではない。」
「私も、そのガルヴォルスになってしまった、ということなんですね・・・」
宗司の説明を聞いて、七瀬が自分の胸に手を当てる。ガルヴォルスとなったことで、周囲にいる人間に手をかけたことで、既に彼女は人の道を外れてしまっていた。
「自分の力を制御していけば、普通の人間として生きることも可能だ。私としては、君をここに住まわせても構わないと思っている。こころちゃんも、君と一緒に暮らせることを心から喜んでくれるだろうから・・」
「でも、それだとあなたやこころちゃんに迷惑になるのでは・・」
「気にしなくていい。私たちは君のように、心に悲しみを宿している人の味方だから・・・」
心から迎えてくれる宗司に、七瀬は戸惑いを募らせる。彼女は自分のあるべき場所を見出したような気がしていた。
「ありがとうございます・・本当に、ありがとうございます・・・」
七瀬が宗司に向けて頭を下げ、感謝の言葉をかける。すると宗司が彼女の肩に手を添えてきた。
「丁度家が広すぎると思い始めた頃だった・・ここを自分の家と思い、羽を伸ばしてくれ・・」
「宗司さん・・・」
宗司の優しさに対して、七瀬は喜びを募らせていた。
それから、七瀬の新しい生活が始まった。宗司に仕事の場を紹介され、彼女は充実した時間を過ごしていた。
こころとも楽しい時間を過ごした。午後の外でのひと時、入浴、料理や食事など。就寝時での戯れも、2人にとって楽しい時間だった。
七瀬はこのひと時が、今まで過ごしてきた中で1番幸せだと実感していた。
(こんな時間がいつまでも続いてほしい・・私のとっても、宗司さんやこころちゃんのいるこの場所、この時間は、絶対に失えないものだと信じているから・・・)
七瀬は強く願っていた。この時間が簡単に壊れてほしくないことを。
七瀬は大切なものを失う怖さ、傷つけられることへの怒りや悲しみを知っている。不幸を強いられることの悲劇を痛感していると同時に、他の人にこれを味わってほしくない。それが七瀬の一途な願いであった。
七瀬がこころと宗司と出会って、数ヶ月がたとうとしていた。
いつものように7時前に眼を覚ました七瀬。彼女が体を起こして背伸びをする隣で、こころは寝息を立てていた。
「今日も元気に行くとしますか・・こころちゃん、朝だよ。起きて、こころちゃん。」
「ん〜・・むにゃむにゃ・・・」
七瀬が声をかけると、こころが寝言を言いながら眼を覚ます。
「ずっと夜だったらこころは幸せなんだけど・・・」
「残念だけど、明けない夜なんてないよ。今も、私たちの心にもね。」
眼をこすりながら呟きかけるこころに、七瀬が微笑みかける。
「ゴメンね・・今日も元気に行こうね、お姉ちゃん♪」
眠気を吹き飛ばしたこころが笑顔を見せて頷く。
「宗司さんはもう仕事に出かけたみたいね・・最近、朝早くになったね・・・」
「でも寂しくないよ・・こころにはお姉ちゃんがついてるから・・・」
呟きかける七瀬に、こころが再び笑顔を見せてきた。
「それでは朝ごはんにしようね。こころちゃんのお弁当も作らないと。」
「今日のこころは腕によりをかけるんだから♪」
ベットから起き上がった七瀬とこころ。落ち着いて着替える七瀬の傍らで、こころはパンを口にしながら慌てて着替える。
「もう、そんなに慌てなくても、こころちゃん・・・」
「あ、あ、あの、あの・・パジャマはこれ食べてから着替えるつもりだったの・・・」
苦笑いを浮かべる七瀬の前で、こころが慌てて着替えと朝食をこなしていった。
それから七瀬は仕事に、こころは学校に出かけた。その午後、2人は待ち合わせをして街に繰り出していた。
買い物や食事など、にぎやかな時間を過ごしていった。そのひと時に、七瀬は安らぎを感じていた。
その最中に公園前の通りを差し掛かったときだった。七瀬はその公園の傍らで、1人の少女が数人の男たちに取り囲まれているのを、七瀬は目撃する。
そのとき、七瀬は今まで封じ込めてきた負の感情を覚え出していた。同時に彼女は、その少女をかつての自分を重ねていた。
「こころちゃん、先に帰っていてくれないかな・・これから危ないことをするから・・」
「お姉ちゃん・・・?」
七瀬はこころに小さく言いかけると、その集団に向かって歩き出していった。
「やめなさい、あなたたち!」
七瀬が鋭く言い放つと、男たちが少女への暴力をやめて振り向いてきた。
「何だ、姉ちゃん!?何か文句あんのか!?」
「丁度いいや!コイツを相手に遊ぶのも飽きが回ってきたとこだったんだ!」
「今度はテメェが遊び相手になってくれよな!」
男たちが少女から離れて、七瀬に詰め寄ってくる。しかし七瀬は動揺を一切見せない。
その間に少女が怯えたままこの場から逃げていく。それを確かめて、七瀬は内心安堵する。
「どうした!?何とか言ったらどうなんだよ!?」
男が再び怒鳴りかけると、七瀬が眼つきを鋭くする。次の瞬間、彼女の頬に異様な紋様が浮かび上がる。
「救いようのない人たち・・消えて、ここから・・世界からも・・・!」
眼を見開いた七瀬から旋風が巻き起こる。その一陣が男たちの体を切り裂くはずだった。
だがその中の紅い髪の男が大きく飛び上がり、旋風を回避した。残りがその旋風を受けて両断され、鮮血をまき散らす中、着地する男に七瀬が驚きを覚える。
「コイツは驚きだ!まさかオレと同じガルヴォルスと会うとはな!」
男が七瀬を見据えて哄笑を上げる。彼の頬にも紋様が走る。
「まさか、あなたも・・・!?」
声を荒げる七瀬の前で、男が変貌を遂げる。ライオンを彷彿とさせる異形の怪物の姿へと。
「テメェのガルヴォルスとしての力がどんなもんなのか、じっくり試させてもらうぜ!」
いきり立ったライオンガルヴォルスが、七瀬に向かって飛びかかっていく。七瀬がとっさに旋風を解き放つが、ライオンガルヴォルスは素早い身のこなしでそれをかいくぐり、彼女につかみかかる。
「ぐっ!」
「どうした!?すごい力だと思ったのは、ただの勘違いだったか!?」
うめく七瀬に向けて言い放つライオンガルヴォルス。
「お姉ちゃん!」
そこへこころが飛び出し、声をかけてきた。彼女の登場に七瀬が緊迫を覚える。
「ダメ、こころちゃん!出てきたら・・!」
たまらずこころに向けて叫ぶ七瀬だが、ライオンガルヴォルスに振り払われる。
「おやおや、こんなところにうまそうなガキがいるなぁ・・食っちまおうかなぁ?」
ライオンガルヴォルスが笑みを浮かべて歩み寄る。怯えてしまったこころが、その場にしりもちをついたまま動けなくなる。
とっさに飛び出す七瀬。だがライオンガルヴォルスの攻撃から、こころを救うには間に合わない。
そのとき、突如飛び込んできた影がライオンガルヴォルスを殴り、突き飛ばした。虚を突かれた怪物が地面を横転する。
「えっ・・・!?」
突然の出来事に驚きを隠せなくなる七瀬。我に返ったこころの前に、ひとつの人影が降り立った。
それは竜を思わせる風貌の異形の存在だった。だがこころはその人物が、自分たちを守ってくれる優しい人であると直感していた。
「大丈夫か、お前たち?」
「う、うん・・・」
怪物、ドラゴンガルヴォルスの声に、こころは小さく頷いた。予期していなかった助っ人の乱入に、七瀬は戸惑いを感じていた。
これが、七瀬たちを取り巻く運命の物語の幕開けだった。