月姫 -白夜の月紅-
Episode20「戦慄の狂戦士」
紅いオーラを解き放つルナと、漆黒の獣を召喚するネロ。2人の吸血鬼がこの血みどろの細道で対峙していた。
獣たちが牙を向き、ルナに飛びかかっていく。ルナはオーラを刃に変えて、獣に向けて振りかざす。
だが実際に彼女が狙っていたのは獣ではなく、ネロの死だった。そのことをネロは予見し、跳躍して回避する。
「貴様もあの人間と同じ異質の力を使うのだったな。」
ネロがルナに不敵な笑みを向ける。だがルナは顔色を変えず、力を抑えてネロを見据える。
「吸血鬼としての、ロアとしての力と、この異質の力を掛け合わせれば、ほぼ絶対的な死を相手に与えることができるということだ。」
「思い上がるな。確かに強力ではあるが、必ずしも相手に死を与えられるものではない。」
ルナの言葉をネロがあざ笑う。だがルナは自分の力を鼓舞していた。
「この世界に必ずというもの、絶対は存在しない。存在するのは天の領域。」
ルナは言いかけて、自分の右手を見つめる。
「ロアが求めた永遠も、転生という形でなされているものに過ぎない。蘇るものの、死は未だに付きまとっている・・だがこれが、完全により近い命というのは過言ではない。」
「ならここで決定的なものにしようか。貴様がここで朽ち果てることを。」
ネロがルナの言葉を一瞥すると、再び暗黒の獣たちを差し向ける。その牙をかわしていくルナの攻撃の狙いを見計らいながら、ネロは移動していく。
そしてネロが自ら攻撃を仕掛けるべく、ルナの懐に一気に飛び込んできた。意表を突かれたルナに、ネロが異形のものへと変貌させた手を突き出した。
鋭い一撃を受けて吐血するルナ。だが彼女はとっさに紅い刃を振りかざし、ネロの左肩を貫いた。
「ぐっ!」
今度はネロが苦痛を覚えて吐血する。2人は同時に離れて距離を取り、改めて互いを見据える。
「まさかお前自身が飛び込んでくるとは・・」
「だが結果的に痛み分けというべきか・・」
痛みを覚えながらも笑みを見せるルナとネロ。ネロが呼び出していた漆黒の獣たちを自分に引き戻す。
「貴様がこれから何をするか、しばらく見届けさせてもらおう。だが貴様が真祖の姫を殺めようとするなら・・」
「それはアルクエイド次第だ。どうしても奪われたくないなら、今のうちに始末しておいたほうがいいぞ。」
言い放つネロに対し、ルナも淡々と言葉を返す。
「その忠告は受け入れておこう。せいぜい首を洗っておくことだな。」
ネロはルナに言い放つと、闇の中へと姿を消した。その直後にルナも紅い刃を消失させて戦意を解く。
「私は倒れはしない。誰にも私を倒せない・・・」
眼つきを鋭くして、ルナもこの血みどろの細道を後にした。
悲劇と決別の起きた日から一夜が明けて、志貴は1人で草原を訪れていた。そこでシエルとレナの間での悲劇に終止符が打たれたのだ。
この草原で、志貴は改めてその悲しみを噛み締めようとしていた。
だが彼より先に、シエルが草原を訪れて悲痛さを秘めていた。
「シエル・・・」
志貴は小さく呟くと、うつむいているシエルに近づく。彼がすぐそばに近づいたところで、彼女はようやく彼に気付いた。
「志貴・・・」
「先に来ていたんですね、シエル・・・」
当惑するシエルに、志貴が微笑みかける。
「レナちゃんに対して1番心を痛めているのは、あなたです、シエル・・・」
「志貴・・・ありがとう、志貴。昨日の私のわがままを受け入れてくれて・・・」
沈痛の面持ちを浮かべて言いかける志貴に、シエルは微笑みかける。
「オレは、ホントはあまり気が進まないんですけど・・」
すると志貴が苦笑いを浮かべて、自信のなさを告げる。そして2人は再び眼下の小さな花を見下ろす。
「レナちゃんは、幸せになれたのでしょうか・・・?」
「それは私にも分かりません。ですが私は信じているんです。レナさんが幸せだったと・・」
志貴の問いかけに、シエルが微笑んで答える。
「レナさんは私のことを心の底から愛していました。教会にいた頃も、吸血鬼に転化した後も。ですが吸血鬼になったことで、その気持ちを抑えることができなくなったのかもしれません・・」
微笑みながら語りかけるシエルの眼から涙があふれてきていた。そんな彼女に、志貴は戸惑いを見せる。
「私はどう接してあげればよかったのか、今でも分かりません。たとえ理解したとしても、それは後悔にしかなりえませんから・・・」
「・・・オレもよくは分かりませんが、シエルさんのままでいればいいのではないでしょうか・・」
志貴が口にした言葉に、シエルが当惑する。その拍子で、眼にたまっていた涙が零れ落ちる。
「レナちゃんは、シエルさんの素顔をずっと見てきたのでしょう。だからレナちゃんはシエルさんのことを理解していた。だったら、シエルさんのままのシエルさんでいてあげることが・・・」
「志貴・・・」
志貴の言葉を受けて、シエルはレナからの想いを胸に秘める。
(そうです・・あの子は素直に心を打ち明けてくれました。私からの気持ちがなかったとしても、彼女は自分の気持ちを私に伝え続けていたでしょう・・・)
シエルは自分の胸に手を当てて、自分の気持ちを確かめる。
「ありがとう、志貴・・私、何だが元気が出てきました・・」
「それは・・よかったですね、シエルさん。」
「あ、いけませんよ、志貴。私のことは“シエル”と呼んでくれませんと。」
安堵の笑みを浮かべた志貴に、シエルが指を突きつけて言いかける。その指摘に志貴は苦笑を浮かべる。
「す、すみません・・やっぱり学校の先輩なもんですから・・・」
「・・努力はしてくださいね。気軽に呼び合えるようになれば、私は嬉しいです。」
気が進まない面持ちの志貴に、シエルは普段見せるような優しい笑顔を見せていた。
「それでは志貴、少し早いですが食事にしましょうか。私がおごります。」
「お決まりのカレーですか?・・・いいですよ。お言葉に甘えさせてもらいます。」
互いに笑顔を見せて、志貴とシエルが頷く。
「やっほー♪相変わらず仲がいいわね。」
そこへアルクエイドが姿を見せて、気さくな笑みを見せる。志貴が苦笑を浮かべ、シエルが落胆の面持ちを見せる。
「あなたに来てほしいと思っていませんでしたよ、アルクエイド。」
「もう、相変わらず生真面目なんだから、シエルは。」
シエルの言葉に、アルクエイドは気さくさを崩さずに答える。そしてアルクエイドは、一厘の花が咲いている足元に眼を向ける。
「あの子とは、ちゃんと挨拶してきたの?」
「もちろんです・・・もう私に、迷いはありません。」
アルクエイドの言葉に、シエルは淡々と答える。
「アルクエイド、私は代行者の責務を遂行します。次に会うときはあなたを・・」
「とりあえず覚悟しておいてあげる。だけど、私はやられるつもりはないから。」
真剣な面持ちで言いかけるシエルに、アルクエイドも真面目に答える。そしてアルクエイドは戸惑いを見せている志貴に笑みを見せてから、草原を後にした。
「それでは志貴、私たちもそろそろ行きますか。」
「はい・・・」
再び笑顔を見せるシエルに、志貴は苦笑しながら頷いた。
以前に訪れたカレー店にやってきた志貴とシエル。2人はそれぞれカレーを注文した。
「やはりカレーはいつ、いくら食べてもおいしいですね。」
「は、はぁ・・」
満面の笑みを見せてカレーを頬張るシエルに、志貴はただただ苦笑いを浮かべるだけだった。
「こうしているとまるで、デートしているカップルのようですね。」
「でも食べているのがカレーじゃ、ムードが・・」
志貴が苦言を口にすると、カレー好きのシエルが不満の面持ちを見せる。すると志貴が苦笑を浮かべて弁解する。
「そ、そんなことないですよ、アハハ・・」
するとシエルが再び笑顔を取り戻し、再びカレーを口にする。
そんな中、志貴は店内に置かれているテレビに眼を向ける。テレビは未だに多発している猟奇殺人に関するニュースを流していた。
「あのルナという子がまだ・・」
「そうですね。彼女の行動で、事態は悪化の一途を辿っています。彼女の行為は何としてでも止めなくてはなりません。」
戸惑いを見せる志貴に、シエルは落ち着きを払いながら答える。
「しかし志貴を巻き込ませるつもりはありません。ここは私が彼女を食い止めてみせます。」
「ですがシエル・・」
「私はあなたに傷ついてほしくないのです。少なくとも、これだけは忘れないでください、志貴・・・」
シエルの切実な思いを受け取って、志貴は安らぎを感じる。だが自分の決意を切り捨てることもできなかった。
「シエル、オレもみんなのために、オレ自身のためにこの事件に関わっているんです。シエルやさつき、アルクエイド、みんな・・・」
「志貴・・・そうですか。それなら私はもう止めません。どうか、後悔のないように・・」
シエルの励ましの言葉を受けて、志貴は小さく頷いた。
それから志貴と別れたシエルは、自宅のマンションへと戻っていった。そこで彼女は改めて気持ちの整理をしようと考えていた。
そしてマンションまで目前というところだった。
驚異の力を察知して、シエルは足を止める。その直後に、彼女はあえて道を外れ、人気のない通りに差し掛かる。
「私も人気者になったものですね。あまりいい気分ではありませんが・・」
シエルは足を止めて、察知している気配に向けて呼びかける。彼女の背後に黒い衣服をまとった少女が姿を現した。
「私を相手にしたいのですか、ルナさん?」
シエルが淡々と答えると、ルナも顔色を変えずに言いかける。
「私と、私の中にいるロアが血に飢えている。シエル、お前に死を与えてやる。」
「ロアであるあなたなら分かっているはずです。私はあなたに転生され、死の淵から蘇ったことで、不死という呪いをこの身に受けているのです。」
ひとつ吐息をつくルナに、シエルは淡々と答える。だがルナは顔色を変えない。
「そんなことは分かっている。お前こそ分かっているのか?私にはあの人間、遠野志貴と同じ力を備えていることを。」
ルナは言い終わると、紅いオーラを全身から発した。彼女の眼はオーラと同じ血のように紅く染まっていた。
「志貴の力と、吸血鬼の力・・・!?」
シエルがルナの解放した力に驚愕を覚える。今のルナにはシエルの死が見えている。
「では始めるとしよう。お前の“不死”という概念を、この力で葬らせてもらうぞ。」
ルナが言い放つと、オーラを刃に変えて振りかざす。シエルはとっさに動き出し、ルナの力から回避行動を取る。
ルナは刃を止めてシエルの動きと気配をうかがう。シエルは物陰に隠れて、力の回避と打開の機会をうかがっていた。
(志貴が備えているものと同じ力。不死でも崩壊を引き起こしてしまう・・敵に回すとこれほど厄介なものはないですね。)
シエルがルナに警戒心を抱きながら、物陰から物陰へと移動していく。
(長引けば確実にこちらが不利になります。最大限の力で、すぐに終わらせます・・・!)
シエルは黒鍵を手にして、ルナを追い込む算段を練り上げる。そしてルナに向けて黒鍵を放つ。
(ついに狙ってきたか。だがそんな単調な攻撃、かわすまでもない。)
ルナは紅い刃を振りかざして、飛んできた黒鍵を弾き返す。その直後、黒鍵が別方向からルナに向けて再び飛び込んできた。
さらに刃で黒鍵を叩き落すと、さらに黒鍵が飛んでくる。攻撃を防ぐルナが、シエルの狙いを模索する。
(単調な攻撃を繰り返しながら、私を一気に倒そうという魂胆か。ならその瞬間はいつ訪れるのか。それは生死を分かつ瞬間でもある。)
ルナは大きく飛び上がって、横から飛んできていた黒鍵をかわす。そこへ黒い銃身を手にしたシエルが飛び込んできた。
(やはり狙ってきたか!)
シエルの接近に気付いたルナが力を解放し、紅い刃を振りかざす。それに怯まず、シエルが銃砲の切っ先をルナに突きつける。
だが黒い銃身の切っ先はルナに突き刺さっていなかった。その前に紅い刃がシエルの体を貫いていた。
とっさのことで直死の魔眼の効果を及ぼすことができなかったが、それでもルナはシエルに致命傷を与えていた。もっとも不死の体では、その重症もあまり意味をなさないことだが。
(まさか直接的な攻撃で迎え撃ってくるとは・・・!)
痛みに顔を歪めて、シエルが胸中で毒づく。
「身を挺して勝利をつかもうとするとは・・だが攻を焦ったな、シエル・・」
ルナが低い声音で言いかけると、シエルを突き刺していた紅い刃を引き抜く。シエルが力なく空中から落下する。
「あまりに一瞬だったので、楽しむには少し拍子抜けしたというところか・・・」
ルナが紅い刃を構えて、シエルにとどめを刺そうとする。
そのとき、落下していたシエルを、アルクエイドが受け止めた。
「アルクエイド・・・!?」
ルナが眉をひそめて、シエルを抱えて着地するアルクエイドに眼を向ける。
「あぁぁ・・・アルクエイド!?どうしてあなたが・・!?」
「やっほー♪まさかルナって子と相手してたなんてね。」
驚くシエルを降ろして、アルクエイドが気さくな態度を見せて答える。
「たまたま通りかかったら、アンタたちがやり合ってるのを見かけてね。ルナのいいようにされてるのがイヤだったので、とりあえず助けてみたわけ。」
「何ですか、それは・・あなたという人はつくづく呆れますね。」
笑みをこぼすアルクエイドに、シエルが落胆の反応を見せる。
「それに、彼女の相手をしているのは私です。後から現れて邪魔をしないでください。」
シエルが真剣な面持ちを浮かべてアルクエイドを一瞥する。だが体に痛みに彼女は顔を歪めてふらつく。
「そういうのは万全の状態で言いなさいよ。それじゃとても任せられないわよ。」
今度はアルクエイドが呆れて前に出る。着地したルナも、アルクエイドを見据えていた。
「アンタと関わるのもいい加減うんざりしてるのよ。終わりにしようか。」
「すぐに終わらせると、なかなか楽しめないというのが筋というものだが・・それも一興か・・」
アルクエイドのあざけりを気に留めず、ルナが淡々と告げる。ルナがかざした右手に紅いオーラが収束する。
「では望みどおり、すぐに終わらせるとしようか・・」
ルナは言い終わると、収束させた紅い力を炎に変えて解き放つ。アルクエイドが跳躍してかわすが、炎は軌道を変えて再び彼女を狙う。
アルクエイドが爪を振りかざし、炎を吹き飛ばす。そこへルナが飛びかかり、紅い刃を突き立ててきた。
「このっ!」
アルクエイドがとっさに爪を突き出す。2人の牙が互いの体に突き刺さり、鮮血をまき散らす。
「ぐっ!」
吐血するアルクエイドが後退し、着地したところでうずくまる。体から血があふれ出し、地面を赤くぬらしていた。
一方、ルナもアルクエイドの一撃を受けて、激痛に顔を歪めていた。
「さすが真祖の姫君というべきか・・・ここは痛み分けになりそうだ・・・」
ルナが痛みをこらえて立ち上がり、アルクエイドを見据える。
「今回はここまでにしておこう。だが次こそは必ず、お前の命をいただくぞ。」
ルナはアルクエイドに言い放つと、闇に溶け込むように姿を消した。緊張感が途切れた瞬間、アルクエイドが痛みを覚えて倒れそうになり、同じく傷ついているはずのシエルに支えられる。
「しっかりしなさい。真祖というのはこの程度のことで弱音を吐くものですか?」
「好き放題に言ってくれるじゃないの。アンタに助けられるくらいなら・・」
シエルの手助けを振り払おうとするアルクエイドだが、傷ついた体のせいで思うように動けなかった。
「あなたも分かっているはずです。今度のロアは、ルナは脅威であることを。」
シエルのこの言葉にアルクエイドが思いとどまる。力を抜くアルクエイドを見て、シエルは吐息をひとつつく。
「とにかく私の住まいに来なさい。あなたとの勝負はお互いの傷が癒えてから・・いいえ、ルナを倒してからです。」
「しょうがないわね・・アンタがそこまでいうなら、お言葉に甘えることにするわ。」
「どうしてもイヤなら、ここで置き去りにしてもいいんですよ。」
「アンタもけっこうひどいこと言うわね・・」
互いに言葉を交わすシエルとアルクエイド。2人は互いを支え合いながら、シエルのマンションへと向かった。
シエルとアルクエイドと立て続けに戦い、負傷を抱えたまま撤退したルナ。感じていた苦痛を和らげて、彼女は夜空を見上げていた。
(アルクエイドとシエル・・2人を相手にするにはやはり不利だったか・・・)
ルナは胸中で毒づきながら、自分の胸に手を当てる。傷は徐々に塞がろうとしていたが、体力と血は完治していなかった。
(だが私は朽ちるわけにはいかない。誰であろうと、私の飢えと渇きを阻むことはできない・・吸血鬼として血を求め、獣として戦いを求める。それがロアであり、私なのだ・・)
胸に当てていた手をかざし、ルナは強く握り締める。
(そう・・私の中にロアが宿ったときから、私にも半永久的な命が宿った。そして私は、ロアと一体となった・・・)
ルナはネロの存在を改めて実感しながら、過去を思い返していた。ロアが彼女の中に入り込んだあの日に。