月姫 -白夜の月紅-

Episode16「辛口の味」

 

 

 昨晩の出来事で着かれ切って眠っていた志貴。翌朝に眼を覚ますと、そこにはさつきの姿があった。

 彼女は私服でも制服でもなく、使用人と思しきメイド服を着用していた。

「おはよう、志貴。起こしに来たんだけど、起こす前に起きちゃったみたいだね・・」

 笑顔を見せるさつきとその姿に、志貴は思わず唖然となっていた。

「まだ疲れが残ってるのかな?完全に眼が覚め切ってないみたいだけど・・・」

「い、いや、何でもないよ・・おはよう、弓塚さん・・」

 我に返った志貴が慌しく挨拶をする。

「これからは“さつき”って呼んでほしいな・・もう、今までの私じゃないから・・・」

 さつきがそう告げた途端、志貴が沈痛の面持ちを見せる。

 ロアに血を吸われ、さつきは吸血鬼へと転化してしまった。これまでとは生活環境が根本的に違ってしまっている。

 だが秋葉の計らいによって、さつきの生活による心配は解消されつつある。そのことに志貴は安堵していた。

「弓塚さんは・・いや、さつきはさつきのままだよ。姿かたち、性格や考え方、今までのさつきだし、これからも変わらない。」

「志貴・・・」

 志貴の言葉を受けて、さつきが歓喜を覚えて頬を赤らめる。

「何をしているのですか、さつきさん?」

 そこへ翡翠が入り、志貴とさつきが振り返る。さつきの様子を目の当たりにした翡翠が小さくため息をつく。

「さつきさん、あなたもこの遠野家の使用人なのですよ。くれぐれも軽はずみな言動は慎んでください。」

「はい、すみません・・・」

 叱責する翡翠に、さつきが謝罪して一礼する。

「志貴様、姉さんがただ今朝食の用意をいたしております。大広間にいらしてください。」

 翡翠はそういうと部屋を後にした。さつきはしばらく当惑すると、ふと志貴に眼を向ける。

「それじゃ、私も先に行くからね、志貴。」

「あぁ。ありがとう、さつき・・」

 志貴が感謝の言葉をかけると、さつきは笑顔を見せてから部屋を後にした。志貴も着替えを終えてから、部屋を出た。

 

 志貴が大広間を訪れると、秋葉が既に琥珀の用意した朝食をいただいていた。昨日の出来事がいつもと変わりないことのように思えて、志貴は安堵とともに戸惑いを感じていた。

「おはようございます、兄さん。体の調子はいかがですか?」

「秋葉・・うん。オレは大丈夫だよ。さつきも落ち着いているみたいだし・・」

 秋葉が声をかけると、志貴が微笑んで答える。

「弓塚さんの働き振りには私も敬服していますよ。本当に頑張っています。ですが・・」

 秋葉が言いかけていたとき、廊下のほうで何かが割れる音がした。志貴が気になって廊下に顔を出すと、さつきが皿を割ってしまい、その後片付けをしていた。

「琥珀ほどではないのですが、物を壊してしまう傾向にあるようです・・・」

 秋葉が呆れた面持ちを浮かべて、志貴に言いかけていた。志貴もただただ苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 それから志貴はさつきとともに学校に向かった。家での仕事よりも学業を優先すべきだというのが、志貴と秋葉の見解だった。

 2人が一緒に登校してきたことに、生徒たちは様々な反応を見せていた。

 そして教室に入ってきたところで、志貴は有彦に問い詰められた。

「おい、遠野、これはどういうことだよ!?

「な、何だよ、有彦・・・!?

 有彦に言い寄られて、志貴が唖然となる。

「聞いたぞ、聞いたぞー!弓塚がお前の家に住むことになったとか・・・!」

 有彦の言葉に、志貴は動揺を覚えた。嘘とは言えないため、志貴は反論できないでいたのだ。

「全くお前はどこまで女に手を出していくんだよ・・・」

 不満を言った後、有彦が落胆の面持ちを見せて肩を落とす。またしても志貴は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「こうなったらやけっぱちだ・・・お昼は食べるぞー!」

 有彦がいきなり両手を上に突き上げて、奇妙な意気込みを見せる。志貴もさつきも有彦のこの様子に唖然となっていた。

「仲がいいですね、遠野くんも弓塚さんも・・」

 そこへシエルが声をかけ、志貴とさつきが緊迫を覚えて振り返る。教室の前で、シエルが普段見せているような微笑を浮かべていた。

「乾くんもその気になっているみたいですし、今日は食堂ですね。」

 笑顔を見せるシエルに、志貴もさつきも緊張感を解かれてしまった。

 

 その昼休み、志貴はさつきと有彦とともに食堂に向かった。その中のテーブルの1つを、シエルが既に取っていた。

「あ、来ましたね。遠野くん、こっちですよ。」

 カレーを食していたのを止めて、シエルが志貴たちに呼びかける。

 そしてそれぞれのメニューを持ってそのテーブルに着いて食事を始める志貴たち。その中で志貴とさつきはシエルに対して当惑を抱えていた。

 だがシエルはいつもと変わらない様子で、カレーを食べて満足そうにしていた。その様子を見ているうちに、2人とも落ち着きを覚えるようになっていた。

 

 そして放課後、志貴はさつきとともに下校しようとしていた。正門を通ったところで、2人の前にシエルが現れた。

「シエル先輩・・・」

「一緒に帰りませんか?・・大丈夫です。私はあなた方をどうかするつもりはありません。」

 当惑する志貴に対し、シエルが微笑んで弁解する。志貴とさつきは渋々シエルに従うことにした。

 その帰り道、シエルが志貴に声をかけた。

「遠野くん、私はしばらく弓塚さんを監視しようと思います。」

「えっ・・・?」

 シエルの言葉に志貴が驚きを見せる。

「弓塚さんを傷つければ、あなたが悲しむことになります。今現在危険の可能性も低くなってきますし、しばらく見守ることにしました。」

「シエル先輩・・・すみません、いろいろ迷惑をかけてしまって・・」

 志貴が苦笑を浮かべると、シエルが笑顔を見せた。

「いいんですよ。その代わりというのでしょうか。ちょっと付き合ってもらいたいところがあるのですが・・」

 シエルの申し出に眉をひそめながらも、志貴とさつきは小さく頷いた。

 シエルに案内されてやってきたのは、レストラン風のカレー屋だった。その瞬間、志貴とさつきは唖然となった。

「もしかしてというか、やっぱりというか・・・」

「さぁ、入りましょう。よければここは私がおごりましょう。」

 唖然となっている志貴を気にしていないのか、シエルは笑顔を見せたまま店に入ろうとする。

「相変わらずのカレー通ね、アンタ。」

 そこへ声をかけられて、志貴たちが足を止める。振り返った先には、気さくな笑顔を見せているアルクエイドの姿があった。

「あなたは・・!?

「やっほー♪志貴もさっちんも一緒だったんだね。」

 驚くシエルを気に留めず、アルクエイドは志貴とさつきに声をかける。

「こんなところで何をしているのですか、アルクエイド?」

「気晴らしに外に出てただけ。そしたらアンタと志貴とさっちんがいるのが見えたから。」

 慄然とするシエルに、アルクエイドが気さくさを崩さずに答える。

「ところで入るんでしょ?私も一緒に立ち寄っちゃおうかな。」

「何を言っているのですか、アルクエイド。なぜあなたと・・・」

 アルクエイドの申し出にシエルが呆れる。だがアルクエイドは気にせずに、志貴を連れて店の中に入っていってしまった。

「せっかくの私の安らぎの場所を・・」

 シエルは胸中で憤りを感じながらも、さつきとともに遅れて店に入った。

 

 店の中に入った志貴たちは、アルクエイドに半ば強引に誘われる形でテーブル席に着いた。喜びを振りまきながらメニューを見ているアルクエイドに、シエルは内心苛立ちを抱えていた。

 2人の様子に戸惑いを隠せないでいる志貴とさつき。そんな志貴の眼に、店内に張ってあったポスターが飛び込んできた。

「カレーチャンピオン・・・すみません、これはどういうことですか?」

 気になった志貴がウェイトレスに訊ねた。

「こちらはポークカレーを30分以内にどこまで食べられるか競うものです。現在、12杯が最高記録となっています。」

「なるほど・・チャレンジメニューか・・」

 説明を聞いた志貴の呟きを耳にして、アルクエイドが笑みをこぼした。

「何だか面白そうね。やってみようかな。」

「やめておいたほうがいいですよ。苦しくなって辛い思いをするのが関の山です。」

 シエルが言いとがめると、アルクエイドが不満を覚える。だがアルクエイドはすぐに笑みを取り戻す。

「あら?カレー通のシエルさんがずい分と弱気だこと。それともカレー好きっていうのは単なる肩書きかな?」

 アルクエイドのこの挑発で、シエルの隠された闘争心に火が付いた。

「私をその気にさせるとは・・後悔することになりますよ、アルクエイド。」

「私は誰にも負けないわよ。もちろん、アンタにもね。」

 再び巻き起こった一触即発の戦い。この争いに志貴は呆れ果てていた。

 

 カレー大食い勝負を受けたアルクエイドとシエルの前に、ポークカレーが1杯ずつ置かれた。量と辛さは普通のカレーである。

「制限時間は30分。水は何杯でもOKです・・それではスタート。」

 ウェイトレスがタイマーのスイッチを入れた瞬間、アルクエイドとシエルがスプーンを手にして、カレーを口に入れ始めた。2人とも勢いよくカレーを口に入れていく。

 あまりの勢いに志貴やさつき、周囲の客たちは唖然となっていた。食べ終わると新しいカレーが前に置かれていく。

 だが10分が経過した頃、その勢いは衰えだしていた。それでもアルクエイドもシエルも食べるのを止めようとしない。

 2人は互角の勝負を繰り広げていた。一方が食べ終わると、もう一方も負けじとすぐに食べ終わる。

 そして20分が経過したときには、満腹感にさいなまれて、2人の勢いが大きく止まってしまっていた。

「な、なかなかやるじゃないの・・さすがカレー通・・・」

「あなたこそ、まさかここまでやるとは思っていませんでした・・・」

 弱々しくも互いを賞賛するアルクエイドとシエル。だが2人ともスプーンを持つ手を止めようとせず、カレーを口を入れようとする。

 2人ともこれまで食べたカレーは12杯。最高記録に並んでいた。

「ですが、私はあなたに負けるのは我慢がなりません・・・」

「それは、こっちのセリフよ・・・」

 シエルとアルクエイドが負けじと、皿に残っているカレーをすくい取る。だがなかなか口に運ぶことができない。

(もう少し・・もう少しで私はシエルに・・・)

 アルクエイドが必死になって、カレーを口に入れようとする。そのとき、彼女の意識が途切れ、スプーンを手にしたままテーブルに突っ伏した。

 その間に、シエルは残ったカレーを口に入れた。その直後、タイマーが鳴り出して時間切れを知らせた。

「そこまでです・・すごいです・・新記録、13杯です!」

 ウェイトレスが結果を告げると、店内に完成が湧き上がる。志貴もさつきも思わず笑みをこぼしていた。

(カレーで私に勝つのはまだまだ早いですよ・・・)

 シエルが倒れているアルクエイドを見下ろして、勝ちを確信する。だがその瞬間、シエルも意識を失って倒れた。

「あっ!」

 アルクエイドもシエルも倒れて、志貴とさつきが声を上げた。カレーに対して尽力を注いだ2人は、満腹感にさいなまれて深い眠りについていた。

 

 アルクエイドとシエルが眼を覚ましたときには、既に日が落ちていた。志貴とさつきが困惑気味に2人を見つめていた。

「ようやく眼が覚めたんですね・・」

 志貴が苦笑を浮かべながら、アルクエイドとシエルに声をかける。

「私は・・・そうでした・・私はアルクエイドと争って・・」

「そうだ・・私はシエルに・・・何てことよ・・いくらカレーだったからって、シエルに負けるなんて・・・」

 記憶を巡らせるシエルの横で、アルクエイドが敗北感を感じて頭を抱える。その様子に志貴は呆れ顔を見せる。

「もう、アルクエイドもシエル先輩も、そういうことで争わないでくださいよ。もちろん本気に争いも。」

「そうはいかないわね。もう私とシエルとの戦いは宿命づいてきちゃってるから。」

「その意見には私も同意します。いずれ決着を付けなくてはならないものです。」

 志貴の言葉に対して、アルクエイドとシエルは考えを変えない。

「しかし、今日のところは見送ったほうがよさそうですね・・」

「それ、私も賛成・・」

 しかし満腹感を拭うことができず、シエルもアルクエイドも対立を中断していた。一時的とはいえ対立が避けられたことに、志貴は胸中で安堵していた。

「志貴、そろそろ帰ったほうがいいよ。秋葉様が心配してるだろうし・・」

 そこへさつきが声をかけ、志貴が一瞬顔を引きつらせる。だがすぐに平穏さを取り戻して、彼女に答える。

「そうだな・・そろそろ帰らないと・・・シエル先輩、送っていきましょうか?」

「いいえ、大丈夫です。もう十分休みましたし、遠野くんと弓塚さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから・・」

 志貴の気遣いに対して、シエルは弁解を入れて立ち上がる。アルクエイドは辛そうな様子で、既にカレー屋から離れていた。

「では、オレたちはこれで・・今日はありがとうございました。」

「いいえ。私も気晴らしになったので・・」

 感謝の言葉をかける志貴に、シエルが笑顔を見せて答える。そしてシエルはさつきに眼を向ける。

「この様子では、心配はいらないようですね、弓塚さん。」

「えっ?・・あ、はい・・」

 シエルに言いかけられて、さつきは一瞬当惑を見せながら頷いた。

「それでは遠野くん、失礼しますね。」

「はい・・シエル先輩も、気をつけて・・」

 志貴に挨拶を交わすと、シエルは笑顔を崩さずにこの場を後にした。

「シエル先輩、前より穏やかになったような気がする・・」

 さつきが唐突に口にした呟きに、志貴が眉をひそめた。しかしシエルが本当に穏やかになったと感じ、志貴も小さく頷いた。

 

 志貴とさつきと別れたシエルは、1人帰宅しようとしていた。その途中、彼女は背後に何らかの気配を感じて足を止めた。

「こんな時間にかくれんぼは感心しませんね。私に何か用なら、隠れていないで姿を見せてください。」

 シエルは振り返らず、メガネを外しながら声をかける。すると背後の電柱から1人の少女が姿を見せた。

「やっぱり見つかっちゃったね。さすがシエルさんだよー♪」

 少女は照れ笑いを浮かべて、シエルに歩み寄る。するとシエルも戦慄を和らげて振り返る。

「あなたでしたか。以前と比べると、うまく気配を見せるようにはなっていますね、レナ。」

 シエルが言いかけると、少女、竜宮(たつみや)レナがさらに笑みをこぼす。

「ですがまだまだですね。私を狙っているあなたの気配が私に筒抜けでしたよ。」

「そんな〜っ!あたし、これでも頑張ってきたんだよ〜・・だよ?」

 シエルの指摘に不満を見せると、レナは小首をかしげる。するとシエルは微笑みかける。

「相変わらずなところもあったようですね・・・よかったら、私のところに来ますか?」

「いいんですか?はう〜♪またシエルさんと一緒だよ〜♪」

 シエルが招くと、レナは歓喜の振る舞いを見せる。彼女の元気さを目の当たりにして、シエルは安堵と一途の安らぎを感じていた。

 

 

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