月姫 -白夜の月紅-

Episode14「少女の迷走」

 

 

 ロアが転生している少女、ルナによって血を吸い取られたさつき。志貴に呼びかけられる中、命を落としてしまった。

「さつきさん・・・こんな・・こんなこと・・・!」

 彼女の死を受け入れられず、志貴が涙を浮かべる。アルクエイドも深刻さを隠せないでいた。

 そのとき、アルクエイドはさつきの手の指がかすかに動いたように見えた。だがはっきりと見えたわけではなかったので、追求しなかった。

「オレが巻き込んでしまったんだ・・オレが一緒に帰らなければ、こんなことには・・・!」

「ん・・・んん・・く、くる、しい・・・」

 志貴が自分を責めていると、さつきから声が伝わってきた。聞き間違いかと思い、志貴がさつきの顔を見つめる。

「遠野くん・・苦しいよ・・・」

「えっ・・・!?

 苦悶の表情を浮かべて呟いてきたさつきに、志貴は驚きを見せる。さつきはまだ生きていた。

 そればかりか、ルナに血を吸われたことがまるでなかったことのように、さつきは平然と立ち上がった。その様子に志貴は驚きを隠せなかった。

「弓塚さん・・大丈夫なのか・・・!?

「遠野くん・・・うん・・全然辛くないし、何かおかしいって感じもしないの・・」

 志貴の問いかけに、さつきが微笑みかけて答える。

「それどころか、前より何だか気分がよくなってる・・まるで生まれ変わったような感じ・・」

「ア、アンタ・・・」

 安堵を浮かべるさつきに、アルクエイドが当惑しながら呼びかける。だがさつきはあまり気に留めていないようである。

「遠野くん、心配かけちゃってゴメンね。もう大丈夫だから・・」

「大丈夫、なんてものじゃないよ・・弓塚さん、あの子に血を吸われたんだよ・・・」

 笑顔を振りまくさつきに、志貴が困惑したまま言いかける。

「せめて病院に行こう。ちゃんと検査しておかないと・・!」

「遠野くん、本当に大丈夫だから。ほら、もう平気だって。」

 さつきは軽い足取りを志貴に見せる。しかし志貴の不安は解消されない。

「いろいろ心配かけて本当にゴメン・・それじゃ、帰るね。今日はありがとうね。」

「あ、弓塚さん・・」

 志貴が呼び止めようとするが、さつきはかけていってしまった。姿が見えなくなっていく彼女を見送って、志貴は肩を落とした。

「弓塚さん、大丈夫かな・・・?」

「もしかしたら、とんでもないことになるかもしれないよ。」

 不安を募らせる志貴に、アルクエイドが言いかける。その言葉に志貴が思わず彼女に振り返る。

「とんでもないことって、どういうことなんだ・・・?」

「アンタも何かの話で聞いたことぐらいはあるでしょ?吸血鬼に噛まれた人間も吸血鬼になるって。真祖、または死徒に血を吸われた人間も死徒になる。つまり、今のあの子も、もう・・」

「まさか、弓塚さんはもう、人間じゃないというのか・・・!?

 アルクエイドの説明を聞いて、志貴が愕然となる。そして彼の不安はさらなる広がりに陥っていた。

「いけない!もしかしたら弓塚さん、何かやってしまうかもしれない!」

「死徒になった人間は、だんだんと人間としての理性を失っていくのが多い。あの子もそのうち・・」

 声を荒げる志貴にアルクエイドが言いかける。彼女の言葉に、志貴はたまらず駆け出した。

「志貴!」

 アルクエイドも志貴を追っていった。さつきに対して、志貴は今までにない不安を感じていた。

 

 志貴とアルクエイドと別れた後、さつきは自宅に戻ろうとしていた。だがその途中、彼女は自身に異変を感じて足を止める。

(どうしたんだろう・・すごく、のどが渇いてきた・・・)

 強い渇きを覚えて、さつきは周囲に視線を巡らせる。その先の公園に歩み寄り、水飲み場で水を口にする。

 だがいくら水を飲んでも、湧き上がってくる渇きが潤う感覚がない。さつきは水を飲むのをやめて、当惑を感じる。

(まだ渇く・・どんなに水飲んでも、全然スッキリしない・・・)

 さつきは不安を募らせて、逃げるように公園から駆け出した。彼女はひたすら走り、やがて夜の街に飛び出した。

 その電気店の前で立ち止まるさつき。そこで店頭に並んでいるTVに眼を向ける。

 TVは今はニュースを放送していた。その中で事件現場に散らばっている血痕が映し出されていた。

 それを眼にした瞬間、さつきは抑えきれないほどの衝動を覚えた。画面の中とはいえ、その血を求めずにはいられなかった。

 だが画面が切り替わり、その直後にさつきは我に返った。彼女はその瞬間の記憶が飛び、自分が何をしようとしていたのか分からなかった。

「あれ・・私・・・?」

 疑問と不安を感じながら、さつきはTVから離れる。そしてその不安を拭いきれないまま、彼女は街を後にした。

 

 その悲劇の夜が明けて、志貴は困惑を消せないまま学校に向かった。教室に入って自分の席に着くと、彼は教室内を見回していた。

 だが教室にはさつきの姿はなかった。まだ登校していないだけなのかもしれないが、それでも志貴は気がかりで仕方がなかった。

「おい、遠野、何をそんなにキョロキョロしてんだ?」

 そこへ有彦が声をかけてきて、志貴が振り向く。

「有彦・・いや、ちょっと気になって・・」

「もしかしてシエル先輩・・・まさか、弓塚のことじゃねぇだろうなぁ!?

 声を荒げる有彦に、志貴が唖然となる。

「聞いたぞ!昨日お前が弓塚と一緒に帰ったって!それだけじゃねぇ!その前にも一緒に帰ってたって聞いたぞ!」

「ち、ちょっと、何を言ってるんだ、有彦!?それにそんなに大声出すことでもないだろ・・・!」

 思わず声を荒げる有彦と志貴。周囲の生徒たちが自分たちに注目していることに気づき、2人は赤面して黙り込んだ。

 

 その日の昼休み、志貴は有彦とともに食堂に来た。そこでシエルがカレーを注文しているのを発見して、有彦がテーブルの確保をしに、志貴が彼女に歩み寄った。

「先輩、今日もカレーですか?」

「遠野くん、来てたのですね。この分だと、乾くんも一緒ですね。」

 志貴が声をかけると、シエルが振り向いて笑顔を見せて答える。2人は有彦の待っているテーブルに向かい、着席する。

「いやぁ、久しぶりですね、シエル先輩。やっぱ食事のときは、先輩の和やかなムードがないと。」

 有彦が気さくな笑みを浮かべて、突拍子もないことを言う。志貴は呆れたが、シエルは笑顔を絶やさなかった。

「けど弓塚が今日は休みなんですよ。」

「弓塚さんが?」

 有彦が切り出した言葉に、シエルが笑みを消して疑問を投げかける。

「弓塚が休むなんて珍しいですよ。いつも元気がないように見えるんですけど、休んだことなんてなかったのに・・」

 考え込む有彦の言葉に、シエルも考えを巡らせていた。彼女に視線を向けられると、志貴が一瞬深刻な面持ちを見せてから小さく頷いた。

 

 その放課後、帰宅しようとしていた志貴をシエルが呼び止めた。志貴は正門で足を止めて、シエルに振り返る。

「遠野くん、弓塚さんに、何かあったのですね・・・」

 シエルが改めて訊ねると、志貴も頷いた。2人は人気のない通りに移動してから、改めて話をする。

「シエル先輩、ロアっていう人を知っていますか?」

「ロア・・・!?

 志貴が切り出した言葉に、シエルが驚愕を見せる。彼女の動揺に志貴も当惑する。

「先輩、ロアを知っているんですか・・・?」

「・・・ロアは、かつて私を支配した邪な存在なのです・・」

 志貴が問い詰めると、シエルは深刻な面持ちを浮かべて答える。志貴も困惑して、言葉を詰まらせる。

「ロアに支配された私は、私の周りの人々を手にかけてしまいました。まさかロアがまた、この現世に転生してくるとは・・」

「シエル先輩・・そのロアが転生したルナって子に、弓塚さんが・・・」

 志貴が歯がゆさを見せて言いかける。彼の心境を察して、シエルもさつきの身に何が起こったのか大方理解した。

「それで、弓塚さんが今どこにいるのか、分かりますか?」

「いえ・・家に戻るとは言ってたんですけど・・」

 志貴の言葉を受けて、シエルは危機感を感じていた。死徒となり、さつきは闇の中で心を失い、見境なく人を襲っているのかもしれない。

「ともかく急ぎましょう。とんでもないことになっているのかもしれません・・・」

「シエル先輩・・・分かりました。オレも思い当たる場所を探してみます。」

 こうして志貴とシエルは、さつきを探すべく行動を開始した。志貴は心当たりのある場所を徹底的に探してみる。

 だがその場所のどこにもさつきの姿はない。

 シエルもさつきの自宅に向かったが、そこにいるどころか、昨日から帰ってきていないと隣人から聞かされた。

 それからシエルはその周囲を散策してみるが、それでもさつきを発見することができなかった。

 しばらく捜索を行ってから、志貴とシエルは合流した。

「いましたか、遠野くん・・?」

「いいえ・・どこを探しても・・」

「昨日から家にも戻っていないようなのです・・これではますます・・・」

 シエルが不安を募らせ、志貴もいたたまれない気持ちでいっぱいになった。

「もしかして、もう既に誰かを・・」

「バ、バカなこと言わないでください!弓塚さんがそう簡単に・・!」

 シエルがもらした言葉に、志貴がたまらず反論する。切羽詰った彼の態度に、彼女は戸惑いを見せる。

「そうですね・・まだ信じてあげるべきですね・・・」

 シエルも微笑んで志貴に頷きかける。だがすぐに真剣な面持ちを見せる。

「ですがもし弓塚さんが人を襲うことがあったなら、私は彼女を止めなくてはなりません。」

「それは代行者として、ですか・・・!?

 彼女のこの言葉に、志貴が眼つきを鋭くして問いかける。彼女は何も答えなかったが、彼はそれを肯定と取った。

「まだ弓塚さんは、完全に吸血鬼になってしまったわけではありません!可能性が残っている限り、オレは弓塚さんを・・!」

「たとえ希望が残されているとしても、わずかでも弓塚さんが危険である以上、放置するわけにはいきません。」

 声を荒げる志貴に、シエルは淡々と言いとがめる。彼女と考えが対立し、志貴は歯がゆさを覚える。

「アルクエイドのときにも言いましたよね・・今回も、弓塚さんを助けるためなら、オレは先輩と戦うことになっても構わない・・・!」

「それは私も同じです。代行者の責務を遂行するためなら、手段を選びません。」

 互いに対立を受け入れることを告げる志貴とアルクエイド。2人は互いに背を向けて、さつきを追い求めて歩き出した。

 

 徐々に強まっている吸血衝動にさいなまれていくさつき。意識がもうろうとなりながらも、彼女は街中をさまよっていた。

(あう〜・・おなかすいたよ〜・・のど渇いたよ〜・・・)

 気のない呟きを胸中でしながら、さつきは歩を進める。昨日なら何も食べておらず、吸血鬼にとって不可欠の血を摂取していない。衝動だけでなく、空腹や渇きにも彼女は悩まされていた。

 やがて彼女は人気のない裏通りに行き着いていた。そこで彼女は、数人の死徒が人間に襲いかかろうとしているのを目の当たりにする。

 そこでさつきは今まで感じたことのないほどの殺意を覚える。血を吸いたいという衝動と欲情、敵を滅ぼしたいという戦意と狂気。今まさに彼女をそれらが突き動かそうとしていた。

 ゆっくりと死徒たちに歩み寄ろうとしているさつき。彼女に気づき、怯えている女性から死徒たちが彼女に振り向く。

「見逃してくれないんだね・・・でも、私もここで死にたくないんだよ・・・」

 うなり声を上げる死徒に対して、さつきがいきり立つ。狂気に満ちた彼女の瞳が血のように紅く染まる。

 獣のように飛びかかってくる死徒たち。その彼らを、さつきがつかみかかって地面や壁に叩きつけた。

 死徒と化して格段に向上したさつきの身体能力。だが常人離れしたその力を制御し切れていないため、彼女の死徒たちに対する行為は暴力そのものだった。

 力任せに吸血鬼たちを叩きつけていくさつき。彼女によって吸血鬼たちは体を貫かれ、頭を潰され、血みどろの肉片と化していた。

 やがて吸血鬼の絶叫が途絶え、静寂が訪れた。その中心で立ち尽くし、さつきは息を荒げていた。

「殺したの・・・私が、この人たちを・・・」

 さつきは呆然となりながら、自分の手を見つめた。死徒たちを殺めた彼女の手は、その血にまみれて紅く染まっていた。

 その血を眼にして、再び抑え切れない衝動に駆られるさつき。だが彼女は何とか踏みとどまっていた。

 心だけは人のままでいたいという願いが、彼女自身を完全な吸血鬼にさせまいとしていた。

「ダメ・・こんなことしたら、遠野くんが・・志貴が悲しむ・・・!」

 志貴への想いを強めて、さつきは吸血衝動を振り払った。そして彼女は力なくその場にひざをつく。

「私・・これからどうなっちゃうんだろう・・・」

 かつてない悲壮感に陥って、さつきはうつむいた。彼女の眼にはうっすらと涙がこぼれてきていた。

 そのとき、背後から足音が聞こえ、さつきが振り向く。その先には、この血みどろの光景を目の当たりにして当惑している志貴の姿があった。

「志貴・・・」

「これは・・・弓塚、さん・・・!?

 体を震わせているさつきを見つけて、志貴がさらに困惑する。

「もしかして、これは・・弓塚さんが・・・」

 志貴が言いかけると、さつきはゆっくりと立ち上がって微笑みかける。その笑みは彼女が今まで見せたことがないような妖しいものだった。

「・・・うん・・私に襲いかかってきたから・・やっつけちゃった・・・」

 さつきの言葉と態度に、志貴は不安と恐怖を覚える。彼の眼の前で、彼女は手についた血をじっと見つめる。

「やめろ!」

 志貴はとっさにさつきに駆け寄り、彼女のその手をつかむ。その行為に彼女は我に返ったように戸惑いを見せる。

「やめるんだ、弓塚さん・・君はまだ、完全に吸血鬼になったわけじゃないんだ・・・!」

「志貴・・・」

「君はまだ人間なんだ・・君だって、人間じゃなくなることを望んでるわけじゃないんだろ・・・!?

 志貴に問い詰められて、さつきは困惑する。そして彼女は再び涙を浮かべる。

「帰ろう、弓塚さん・・僕たちと一緒に・・またいつものように学校に行って、みんなで昼ごはんを食べよう・・・」

「志貴・・・私・・・」

 志貴の説得を受け入れて、さつきが彼に寄り添う。自分の心のよりどころにここまで近づけたことに、彼女は喜びを感じていた。

 だがこのとき、さつきは吸血衝動に陥りかけていた。彼女はおもむろに血を吸うことを、志貴の首筋を狙っていた。

「危ない!」

 そのとき、志貴がさつきをかばようにして押し倒してきた。その行為にさつきは思わず頬を赤らめる。

 だが志貴は緊迫した面持ちを浮かべていた。彼が見つめている先には、1本の剣。

「弓塚さん、死徒となったあなたは、排除されなくてはなりません。」

 志貴とさつきに向けて、黒鍵を手にしているシエルが声をかけてきた。志貴は立ち上がり、さらなる戦慄を覚える。

「シエル、先輩・・・」

「そこをどいてください、遠野くん。さもなくば、あなたも葬らなければならなくなります。」

 当惑する志貴に、シエルは黒鍵の切っ先を向けた。

「本気なんですか、シエル先輩・・・本気で、私を・・・!?

 さつきもたまらず言いかけるが、シエルは顔色を変えない。

「あなたは死徒、吸血鬼なのです、弓塚さん。人に害を及ぼす危険性がわずかでもあるなら、その芽を摘む・・・」

 眼つきを鋭くしたシエルが、危機感を覚える志貴とさつきに向かって飛びかかり、黒鍵を振りかざした。

 

 

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