月姫 -白夜の月紅-

Episode12「闇からの解放」

 

 

 アルクエイドを追い詰め、黒い銃身でとどめを刺そうとするシエル。そこへ志貴が飛び込み、シエルを背後から取り押さえる。

「何をするのです、遠野くん!?放してください!」

「ダメです、シエル先輩!まだアルクエイドには、心が残っています!もう少しだけ時間を!」

 シエルが振り払おうとするが、志貴は彼女をしっかりとつかんで放さない。

「悠長なことを言っている場合ではありません!このまま暴徒化したアルクエイドを放置すれば、必ず犠牲者が出ます!そうなる前に私が・・!」

 シエルが黒い銃身を構えてアルクエイドを攻撃しようとする。だが志貴に取り押さえられて、狙いが定まらない。

 本能的にこの危機的状況を察していたアルクエイドは、満身創痍の体を引きずって、この場を後にする。同時にシエルがようやく志貴を振り払う。

 改めて狙いを定めるが、既にアルクエイドの姿はなかった。

「逃がしてしまいました・・・このままでは、人々が・・・」

 シエルは毒づいて、黒い銃身を消失させる。志貴を責めようと考えたが、彼に気を向ける余裕はなく、彼女はアルクエイドを追った。

 アルクエイドの暴走と、代行者の責務を遂行しようとするシエル。様々な思惑に対して葛藤しながら、志貴も2人を追いかけた。

 

 アルクエイドを追って通りを駆け回っていくシエル。暴走するアルクエイドは狂気と邪気があふれ出ていたため、シエルはその気配を追っていた。

 だが接近していくに連れて気配が散漫になっていき、シエルはアルクエイドの正確な位置をつかむことができないでいた。

(アルクエイド、いったいどこに・・・一気に殲滅する手段もありますが、周りに被害を及ぼすのも確実です・・)

 打開の糸口を見つけられる、焦りを覚えるシエル。

(ともかく、細大漏らさずに探し出さなければなりませんね・・・)

 シエルは改めてアルクエイドの捜索に動き出した。

 一方、志貴もアルクエイドを追って通りにやってきていた。

(アルクエイド、このままどうかなってしまう気か・・それだけはダメだ。必ず見つけ出さないと・・・!)

 志貴はアルクエイドを求めて捜索を急いだ。

 

 シエルの攻撃、そして押し寄せる吸血衝動から逃れて、アルクエイドは束の間の安息を感じていた。広場の片隅の草むらに身を潜めて、彼女は自分の胸に手を当てて呼吸を整えようとしていた。

 しかし心身ともに疲労しており、なかなか呼吸が整わないでいた。彼女は閉ざしていた眼を開けて、夜空を見上げた。

 その空には淡く光る満月があった。今の自分の心の淀みとはまるで正反対のように澄んだ月だった。

(きれいな月・・・だけど、もう私はあんな月みたいにはなれないね・・・)

 物悲しい笑みを浮かべて、アルクエイドはその月に向かって手を伸ばしていた。

 だが、物思いにふける彼女に、容赦なく吸血衝動が襲いかかる。アルクエイドはたまらず胸を押さえて、苦悶の表情を浮かべた。

「アルクエイド!」

 そこへ駆けつけたのは志貴だった。貧血によって彼も息を荒げていたが、アルクエイドへの心配が彼を突き動かしていた。

「アルクエイド・・ここにいたのか・・・」

 辛そうな様子を見せながらも、志貴は安堵の笑みをこぼす。するとアルクエイドも、苦痛を覚えながら彼に眼を向ける。

「志貴・・・」

 アルクエイドは志貴の登場に戸惑いを見せる。だが脳裏によぎった不安を思い返して、彼女は後ずさりする。

「志貴・・今の私に近づいたら、どんなことをされるか分かんないわよ・・・」

「アルクエイド、何を言ってるんだ・・お前は自分の中にある何かにどうかされてしまうほど、弱くはないはずだろ・・・」

 離れようとするアルクエイドに、志貴が必死に呼びかける。

「お前の中にある衝動に縛られてしまうかどうかは、アルクエイド、お前自身なんだ・・・!」

「私、自身・・・!?

 志貴の言葉を耳にして、アルクエイドが胸を打たれるような感覚を覚える。それは吸血衝動のような不快なものではなく、安らぎが持てるものだった。

「アルクエイド、オレはさっき、お前が死んだらお前の周りにいる誰かが悲しむと・・お前が死んだら、オレが悲しむ・・・」

「志貴・・・」

 志貴の優しさを受けて、アルクエイドが眼に涙を浮かべる。自分がここまで想われていることに、彼女はかつてないほどの歓喜を覚えていた。

 だが血への渇望は、彼女にその喜びを感じさせることを許さなかった。獣の咆哮のような絶叫を上げて、彼女は悶絶する。

「アルクエイド!」

 志貴がたまらず駆け寄り、アルクエイドを抱きしめる。凶暴化していくアルクエイドが、志貴の背中に爪を立てる。

「ぐっ・・!」

 苦痛に顔を歪めるも、志貴はアルクエイドを放そうとしない。

「アルクエイド、どうしても血を吸うことを抑え切れないなら、オレから血を吸ってくれて構わない・・!」

 アルクエイドに必死に呼びかける志貴。アルクエイドの牙が、志貴に伸びようとしたときだった。

 上空から飛び込んでくるものに、志貴は気づき、アルクエイドを抱えたまま飛び退く。横転して視線を移すと、黒鍵を放ったシエルの姿があった。

「シエル先輩!」

「離れなさい、遠野くん!もはやそこにいるのは、あなたの知っているアルクエイドではありません!」

 声を荒げる志貴に向けてシエルが言い放つ。着地した彼女が、新たに具現化した黒鍵の切っ先をアルクエイドに向ける。

「私は、あなたが傷つくのを見たくないのです・・だから、そこをどいてください!」

「ダメだ!まだアルクエイドには、心が残っています!だからまだ、闇から抜け出すことができるはずです!」

 敵意を見せるシエルを前にして、志貴は退こうとしない。一瞬悲痛さを見せた後、シエルは眼つきを鋭くする。

「やむを得ませんね・・・では遠野くん、まずはあなたの動きを封じさせていただきます。」

 冷静さを見せるシエルが、改めて黒鍵を構える。志貴もメガネを外し、さらにナイフを手にする。

「今のあなたには、対象を崩壊へと導くものが見えています。そしてその崩壊を引き起こす引き金として、ナイフといった刃物を用いています。」

 シエルが淡々と、志貴の持つ力の効果への推測を説明する。

「ですがそれが何かによって見えなくなれば、その力を発揮することができません。そして・・」

 シエルは言いかけて、近くの草むらに身を潜める。対象を見失い、志貴は直死の魔眼の力を扱うことができなくなる。

 そして彼の注意が散漫になったとき、シエルが飛びかかってきた。そして彼女は黒鍵を振るい、志貴の持っていたナイフを弾き飛ばす。

「刃物が使えなくなっても、同じく扱えなくなります。」

 シエルが淡々と言葉を続ける。倒れ込む志貴の前に着地したシエルが、黒鍵を彼の着ている制服の袖に突き立て、動きを封じる。

 志貴が必死にもがくが、黒鍵を振り払うことができない。シエルはそんな彼を見下ろし、声をかける。

「これがあなたの動きを止める最善の策です。遠野くん、後は私が収拾をつけます。」

 シエルは志貴に言いかけると、未だに自我と吸血衝動の葛藤にさいなまれているアルクエイドに眼を向ける。

「アルクエイド、逃げろ・・逃げるんだ!」

 志貴が必死に呼びかけるが、アルクエイドはうずくまったまま、その場から動けないでいた。

 

 淀む空間の中を1人さまようアルクエイド。もうろうとしている意識の中、彼女は夢遊病者のように歩き続けていた。

 その彼女の前に現れたのは、狂気に満ちたもう1人のアルクエイドだった。

「アンタは、私?・・・夢・・幻・・・?」

「貴様、いつまで我慢してるつもり?そんなやせ我慢をしてるから、いつまでもイヤな気分を味わうのよ。」

 疑問を覚えるアルクエイドに、もう1人のアルクエイドが不敵な笑みを浮かべて言いかける。

「貴様は吸血鬼。人の生き血を吸って生を成す存在なのよ。自身の崩壊を免れることを目的としている死徒でなく、力の行使を目的として血を吸う真祖であっても、血を吸うことは吸血鬼の性なのよ。」

 アルクエイドの幻影は、アルクエイドの主人格に向けて淡々と語りかけていた。だがアルクエイドは顔色を変えない。

「そんなのは私には関係ないわ。私は私のしたいようにするだけよ。」

「ウフフフ。ずい分と気ままなことね。まるで猫ね。でも、貴様が何を考えようと、吸血鬼としての本能には逆らえない。いい加減身を委ねて楽になりなさい。」

 アルクエイドの言葉をあざけるかのように、幻影が笑みを強める。

「私はアンタの指図を受けないわ。たとえアンタが、もう1人の私であってもね。」

「言ってくれるわね。しかし貴様の覚悟、どこまで続くものか・・」

 幻影は言い放つと、アルクエイドに向かって飛びかかる。繰り出された爪が、アルクエイドの頬をかすめる。

「私を倒してみろ。そうすれば、貴様は一時的だが、血を求める闇から抜け出すことができる。」

「へぇ。ずい分分かりやすい方法じゃないの・・でも、私は行かなくちゃいけないのよ・・・」

 振り向いて言いかける幻影に対し、アルクエイドは眼つきを鋭くする。すると幻影は妖しく微笑みかける。

「貴様はこの闇から抜け出せない。私に、いや、お前自身に殺されるのだ・・・」

 幻影は眼を見開き、アルクエイドに向かって再び飛びかかる。向かってくる自分の影を見据えて、アルクエイドは胸中で呟いていた。

(私には帰る場所がないと思ってた。でも志貴と出会ってから、それが間違いだと思うようになってた・・・)

 考えているうちに、思わず笑みを浮かべるアルクエイド。

(何で、こんなふうになっちゃったんだろう・・・)

 安らぎを感じると、アルクエイドは向かってくる幻影に手を伸ばす。その爪は幻影の体を貫いた。

 幻影が苦悶の表情を浮かべ、アルクエイドに眼を向ける。そして不敵な笑みを浮かべ、声を振り絞る。

「私は消えない・・貴様が存在する限り、貴様の影である私も存在し続ける・・・」

「分かってる・・アンタは“私”なんだからね・・・」

 言いかける幻影にアルクエイドが微笑みかけて答える。幻影も笑みを見せたまま、粒子となって姿を消した。

「じゃあね、もう1人の私・・私は行くから・・・」

 アルクエイドは消えた幻影に言いかけて、意識を現実へと戻した。

 

 志貴の動きを封じたシエルが、黒鍵の切っ先をアルクエイドに向けていた。

「このような幕引きとなること、私も快く思いません。ですがアルクエイド、これで終わりです。」

「アルクエイド、頼むから逃げてくれ・・・!」

 アルクエイドに呼びかける志貴だが、手足を押さえられて動けないでいた。

 シエルは黒鍵を構えて、アルクエイドにとどめを刺そうとする。そしてシエルが黒鍵を振りかざす。

 だがその一閃を、アルクエイドは身を翻してかわした。突然の行動にシエルだけでなく、志貴も驚きを覚えた。

 シエルとの距離を取ってアルクエイドが着地する。そしてアルクエイドは、志貴に笑みを見せてきた。それは普段彼女が見せている気さくな笑みだった。

「やっほー♪いろいろ心配かけちゃったね、志貴。」

「ア、アルクエイド・・・!?

 普段に戻ったアルクエイドに、志貴は真偽を受け入れられないでいた。

「でももう平気。あんな物騒なものに操られたりしないから・・」

 アルクエイドは言いかけながら、動けないでいる志貴に近づく。そして彼の手足を束縛している黒鍵を眼にすると、彼女はシエルに振り返る。

「もう志貴を自由にしなさいよ。志貴はもう何もしないから・・」

 アルクエイドに言われてか、一瞬不満を感じるも、シエルは腑に落ちないながらも、志貴を拘束していた黒鍵を引き抜いて消失させる。体の自由を取り戻した志貴が起き上がり、両手を軽く動かしてみる。

「アルクエイド・・本当に、大丈夫なのか・・・?」

「今は大丈夫。自分自身を乗り越えたからね・・」

 疑問を投げかける志貴に、アルクエイドが微笑みかけて答える。

「志貴、ありがとうね・・志貴がいたから、私は自分を保てたのかもしれないから・・」

「アルクエイド・・・お前はどこまでもしょうがないんだから・・・」

 志貴が安堵して、アルクエイドに対して呆れた素振りを見せる。だが彼の本心が喜びであることを、アルクエイドは分かっていた。

「それじゃ志貴、私はそろそろ行かないと。」

「アルクエイド、お前・・・」

「ホントに大丈夫だって。志貴、また誘いに来るからね。」

 アルクエイドが志貴に言いかけて、軽い足取りで歩き出す。志貴はため息をついて、アルクエイドを見送った。

 武具を消失したシエルとすれ違い様に、アルクエイドが声をかける。

「決着はまた今度ね。お互い、力を使い果たしちゃってるみたいだから・・」

「残念ですがそのようですね・・私も敵ながら呆れますね。自分自身のために、ここまで周りに迷惑をかけるのですから・・」

 小さく言葉を交し合うアルクエイドとシエル。アルクエイドは改めてこの場を後にして、シエルも彼女をあえて見逃した。

 

 街頭のない裏通り。そこでは1人の少女が、数人の男たちに取り囲まれていた。黒の長髪、黒をメインカラーとした服装をした少し大人びた少女である。

 淡々とした面持ちを見せている少女を囲んで、男たちが不敵な笑みを浮かべていた。

「ここはオレたちの縄張りなんだよ。」

「通りたかったら通行料払ってもらわねぇとなぁ。」

「何だったら、体で払うって方法もあるぜ。」

 男たちが少女に言いかけて迫ってくる。しかし少女は顔色を変えない。

「私に迂闊に関わらないほうがいい。お前たちの身のためだ。」

 少女が淡々とした口調で言いかける。だがそれは周囲の男たちの感情を逆撫ですることとなる。

「このアマ!エラソーなこと言ってくれるじゃねぇか!」

「見せしめにしてやろうぜ。そんな態度をしたことを後悔するくらいにな。」

 男が少女の腕をつかみ、取り押さえようとする。

「やはりお前たちもそうか・・・」

 少女が低い声音で呟いた瞬間、彼女をつかんでいた男たちの体が突然断裂された。飛び散る鮮血の雨の中にいる少女の眼は、この血のように紅く染まっていた。

「お、お前ら・・!?

「な、何をしやがった、この女・・・!?

 何が起こったのか分からず、男たちが驚愕と恐怖を覚える。少女は怯える彼らを鋭く見据えていた。

「お前たちも醜い存在だな。醜悪な存在は、内に流れる血もまたけがれている。もはやお前たちは、私の糧になることすら滑稽だ。」

 少女が言い放つと、他の男たちも突然体が断裂される。断末魔の叫びを上げて、男たちが絶命していく。

 少女がいるこの通りは、血飛沫で装飾された地獄絵のような光景と化していた。少女は小さく吐息をもらすと、静寂の戻った通りを歩き出した。

「血が足りなくなったか・・だがこのようなけがれた血では力の糧にもならない・・」

 少女は1人冷淡に呟きながら、夜の闇の中へと姿を消した。

 

 

Episode13

 

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