月姫 -白夜の月紅-

Episode10「血まみれの魂」

 

 

 ネロとの戦闘の最中、突如暴走を始めたアルクエイド。志貴の呼びかけで理性を取りもしたものの、すぐに意識を失った。

 彼女が眼を覚ましたのはそれから数十分後。小さな公園のベンチの上だった。

「よかった・・眼を覚ましたようだね・・」

「志貴・・・ここは・・・?」

 志貴が安堵の笑みを見せる前で、アルクエイドが体を起こす。

「私はネロから志貴を助けようとして、それから・・・」

 アルクエイドはこれまでの自分の記憶を思い返してみるが、志貴を助けてからの記憶がない。

「覚えてないのか?・・お前はあのネロってヤツを追い払った後、いきなり倒れたんだぞ。」

「私が、ネロを追い払った・・・?」

「それも覚えてないのか・・・?」

 志貴が問い詰めるが、アルクエイドは首を横に振るだけだった。

「とにかく、お前はもう帰ったほうがいい。大分疲れてるようだから・・」

「志貴・・・分かった。今日はもう帰るよ・・・」

 志貴の言葉を受け入れて、アルクエイドは微笑んだ。そして立ち去っていった彼女を見送ってから、志貴も家に戻っていった。

 その2人の様子を、シエルは遠くから見つめていた。彼女はアルクエイドの異変について、推測を立てていた。

 

 それから志貴は夜遅くまで外出していたことから、秋葉から叱責を受けた。また秋葉たちに迷惑をかけてしまったという申し訳なさを感じながらも、志貴はアルクエイドのことが心配でならなかった。

 その翌日、志貴は困惑を抱えたまま学校に向かった。自分の席に着いたところで、志貴は有彦に声をかけられた。

「おい、遠野、お前いったいどうしちまったんだよ?」

「えっ・・?」

 有彦の突然の問いかけに志貴は唖然となる。

「お前、昨日は夜に街にいただろ。お前が1人歩いてたのを見かけたぞ。」

「何言ってるんだよ。オレが何でわざわざ夜に街に行かなくちゃならないんだよ。」

 有彦の言葉に志貴が呆れながら反論する。

「それに、その言い方じゃ、夜に出歩いていたのはお前ということになるぞ。」

「えっ・・!?

 志貴のこの指摘に、有彦は焦りを覚え、言葉を返せなくなる。そこへ話を聞きつけたさつきが近寄り、志貴に不安の面持ちを見せる。

「遠野くん、もしかして不良になっちゃったの・・・?」

 彼女のこの言葉に志貴が驚きをあらわにする。

「な、何を言ってるんだよ、弓塚さんまで!?オレは有彦と違って・・!」

 志貴が慌てて弁解を入れる。さつきは受け入れてくれたが、その傍らで有彦はひどく落ち込んでいた。

 

 落ち込んだ有彦がリーダーシップが取れないせいもあってか、昼食は各自別々となった。志貴は購買部でパンを買い、誰もいない屋上に向かった。

 パンを口にしながら、志貴は考え事をしていた。アルクエイドの暴走と安否、シエルの動向、秋葉の心配。周囲の人々からの様々な思いが、彼の中で交錯していた。

「ここにいましたか。乾くんからのお誘いがなかったから、どうしているかなと思っていまして・・」

 そこへシエルが現れ、笑顔を見せて志貴に声をかけてきた。彼女の手には購買部で買ってきたと思われるカレー弁当があった。

「シエル先輩・・・」

「お隣、いいですか?」

 シエルが訊ねると、志貴は小さく頷く。すると彼女は彼の隣に座り、弁当のカレーを食べ始めた。

 しばらくカレーを口に運んだところで、シエルは真剣な面持ちになり、志貴に声をかけた。

「アルクエイドとは、それからどうですか?」

 その言葉に志貴は緊張を覚えて手を止める。

「昨晩のことは拝見させていただきました。アルクエイドに、何か異変が起こっているようですね。」

 シエルの指摘を受けて、志貴は昨晩の出来事を振り返る。アルクエイドはネロと交戦している中、突如暴走した。その姿はまさに血に飢えた獣そのものだった。

「遠野くん、あなたも分かっていますか?アルクエイドが普通の吸血鬼と違うというのを・・」

「はい。昼間でも普通に歩いていましたし、人から血を吸おうともしないで・・・」

 シエルの問いかけに答えたところで、志貴は一抹の不安を覚える。

「もしかして、アルクエイドの様子がおかしくなったのは・・・!?

 志貴が口にした言葉に、シエルは小さく頷く。

「吸血鬼が血を吸うのには理由があります。まず死徒の場合は、肉体の腐食を防ぐために血を吸います。そして真祖の場合は能力の行使のために血を吸うのです。」

「能力の行使・・・」

「そして真祖はその能力のほとんどを、自分の吸血衝動を抑えるために使っているのです。暴走や腐敗に対しての治癒、といってもいいでしょう。」

 シエルの説明に、志貴は渋々ながらも頷いてみせる。

「遠野くん、今回のアルクエイドの暴走は、あなたの持つ力も原因となっているのですよ。」

「オレの、力が・・・!?

「あなたはその力で1度アルクエイドを死に至らしめました。その結果、彼女はその治癒のために、通常以上の能力を使用することとなってしまったのです。そして能力の使いすぎで血が足りなくなり、その渇望に駆り立てられているのです。」

 シエルの口から語られた吸血鬼に架せられている宿命。それを知った志貴がたまらず立ち上がり、体を震わせる。

(オレのせいなのか・・・オレがアルクエイドを、あんなふうにしてしまったのか・・・!?

「遠野くん・・・」

 絶望感にさいなまれる志貴を、シエルが戸惑いを覚えながら見つめる。

「遠野くんのせいではありません。いずれにしても、吸血鬼として生まれた者には、血を欲することは避けられない衝動なのです。」

「先輩・・・」

 弁解を入れるシエルだが、志貴の不安は解消されない。

「もしもあなたが彼女を思うなら、彼女に呼びかけてあげてください。あなたに好感を抱いている彼女なら、理性を失ったとしても答えてくれるでしょう・・」

 シエルは志貴に言いかけると、自分の手のひらを広げて視線を向ける。

「ですが、もしアルクエイドが遠野くんを傷つけるようなことがあるなら、私は代行者としての責務を遂行します。」

「それは、アルクエイドを倒すってことですか・・・!?

「あなたに危害が及ばないためです・・・」

 問い詰めてくる志貴に、シエルは顔色を変えずに言いかけてくる。

「理性を失った吸血鬼は、たとえ真祖であったとしても、獰猛な獣と大差ありません。あなたは獣へと変貌していく者を、かばうことができるのですか?」

 逆にシエルに問い詰められて、志貴は答えられず黙り込むしかなかった。

 そのとき、屋上の出入り口のドアが開く音がして、志貴とシエルが振り向く。その先には、購買部でパンを買ってきたさつきの姿があった。

「遠野くん・・シエル先輩・・・!?

 志貴とシエルの姿を目の当たりにして、さつきが体を震わせる。動揺のあまり、彼女はパンを入れていた袋を落としてしまう。

「もしかして遠野くん、シエル先輩とそんな関係を・・・」

「な、何を言ってるんだ、弓塚さん・・オレはただ先輩と話をしてただけで・・」

 慌てて弁解の言葉をかける志貴だが、逆にさつきにさらなる動揺を植えつける結果となってしまった。涙眼を見せて、さつきは振り返って屋上を去っていく。

 呼び止めようとするも去っていく彼女を見送るしかなかった志貴。その様子を見て、シエルは思わずきょとんとなっていた。

 

 虚無感の強まる中、志貴は気落ちを拭えないまま下校しようとしていた。するとさつきが追いかけてきたのに気づき、志貴は足を止める。

「ゆ、弓塚さん・・・」

 慌てて駆け込んできたさつきに、振り返った志貴がきょとんとなる。荒げた息を整えてから、さつきは声をかけた。

「さ、さっきはごめんなさい、遠野くん・・私、勝手に勘違いしちゃって・・」

 さつきに先ほどのことを謝罪されるも、志貴は困惑するばかりだった。

「いや、謝るのはオレのほうだよ。君の気を悪くしたみたいで・・」

 互いに謝り合って、志貴とさつきが呆然と互いを見つめ合っていた。我に返った2人が、同時に気恥ずかしさをあらわにする。

「ね、ねぇ・・一緒に行かない・・・?」

「そ、そうだな・・・」

 動揺の色を隠せないまま、志貴とさつきは一緒に下校することにした。

 ところが2人の間で会話はなく、気恥ずかしさと沈黙が続いていた。人通りの少なくなったところで、さつきが言葉を切り出した。

「ねぇ、遠野くん・・休みの日に、2人だけでどこかに出かけない・・・?」

「えっ・・・?」

 さつきの唐突な問いかけに、志貴が戸惑いを見せる。

「もちろん、遠野くんがよければの話だけど・・・」

「オレは構わないけど・・こういうのは有彦やシエル先輩たちと一緒のほうが楽しいと思うよ。」

「それはそうだけど・・たまには2人だけというのもいいんじゃないかなって・・・」

 あくまで自分の気持ちを必死に伝えようとするさつき。彼女の気持ちを無碍にできず、志貴は彼女に微笑みかけた。

「分かった。だけどまだ都合がつかないから・・都合ができたら連絡するよ。」

「うん・・ありがとう、遠野くん・・・」

 誘いを受けた志貴に、さつきは喜びを感じながら頷いた。

 そのとき、周囲から獣のようなうめき声を耳にして、志貴とさつきは足を止める。

「な、何、この声・・・遠野くん・・・」

 さつきが恐怖を覚えて志貴にすがりつく。

(このうめき声・・もしかして吸血鬼が・・・!?

 志貴が思い立って周囲を警戒する。眼を凝らしていくと、物陰には何人か人影が見えた。

(囲まれてる・・まさか弓塚さんと一緒のときに・・・!)

 志貴が毒づきながら、さつきとともにゆっくりと移動しようと試みる。

「弓塚さん、すぐにここから離れたほうがよさそうだ・・」

「う、うん・・・」

 小声で言いかけてきた志貴に、さつきが小さく頷く。2人が動き出したとき、隠れていた吸血鬼たちが姿を現してきた。

「弓塚さん!」

 志貴がさつきを連れて駆け出した。その直後、吸血鬼たちがいきり立って2人を追いかけてきた。

 走りこんでいくうちに、次第に体力の消費と体への負担が積み上げられていく。だがここで足を止めれば、吸血鬼たちの餌食になるのは確実だ。

 やがて呼吸が荒くなり、志貴が苦痛に顔を歪めていく。

「遠野くん、大丈夫!?何だか辛そうだけど・・!」

「大丈夫・・ここで立ち止まるわけにはいかないから・・・!」

 さつきの心配を聞き入れながらも、志貴は足を止めようとしない。だが次第に速度が落ち、吸血鬼たちに追いつかれていく。

 志貴の直死の魔眼を使うことも考えていた。しかしさつきの前で、自分の異質の力を見せるわけにはいかない。

 そのとき、志貴とさつきに追いつこうとしていた吸血鬼たちの何人かが切り裂かれ、専決を飛び散らして昏倒した。その光景に志貴は驚き、さつきは眼を見開いて体を震わせる。

 そんな彼らの前に、アルクエイドが現れた。

「アルクエイド・・・!」

 白い吸血鬼の登場に、志貴が小さく言いかける。その声は、動揺が広がっているさつきの耳には入っていなかった。

「まだこんなに増えてるの?これじゃいくら掃除してもきりがないじゃないの。」

 アルクエイドがため息をつくと、向かってくる吸血鬼たちを鋭く見据える。彼女が振りかざした爪が、吸血鬼たちを一掃する。

 人気のないこの小さな通りは、いつしか血塗られた戦場と化していた。そしてそれはアルクエイドの中にある狂気を呼び起こさせる引き金となっていた。

 自分の手についた、または周囲に散りばめられている鮮血を眼にして、アルクエイドは吸血衝動に襲われる。理性を揺さぶられ、彼女はその場でふらつく。

(まさかアルクエイド、血に飢えて・・・!?

 彼女の異変を目の当たりにした志貴が、シエルの説明を思い出す。狂気に駆られたアルクエイドは、血を求める本来の吸血鬼に変貌してしまう。

 すぐに止めなければならないと思い立つ志貴だが、恐怖しているさつきを放っておくこともできない。周囲にはまだ吸血鬼たちが残っている。

 そのとき、その吸血鬼たちが次々と断裂されていく。アルクエイドが行ったのではない。彼女は半ば錯乱しており、攻撃する動作すら見せていない。

 志貴が視線を移すと、近くの塀の上に立つシエルを発見する。シエルが素早い攻撃によって、吸血鬼たちは一掃されたのだ。

「シエル、先輩・・・!?

 志貴はシエルを眼にしたまま、緊迫を覚えていた。アルクエイドを見据えているシエルからは、鋭い威圧感が放たれていた。

 彼女のことを気に留めていないのか、アルクエイドはうめき声を上げながら志貴に眼を向ける。その眼つきはまさに獲物を狙う獣そのものだった。

「遠野くんを傷つけようというのですか、アルクエイド?」

 シエルが低い声音でアルクエイドに言いかける。だがアルクエイドは聞いていない。

「これ以上その状態で遠野くんと弓塚さんに近づくのならば、あなたを本来の務めに基づき、あなたは葬ります。」

 シエルはアルクエイドに言い放ち、黒鍵を手にする。だが、それでもアルクエイドは止まらない。

「そこまで堕ちてしまったのですか、あなたは・・・!」

 思い立ったシエルは、アルクエイドに飛びかかって黒鍵を振りかざす。その敵意に気づいたアルクエイドが振り返り、爪の一閃で黒鍵を弾き返す。

「やめろ、アルクエイド!シエル先輩も!」

 志貴が呼びかけるが、アルクエイドもシエルも攻撃をやめない。標的をシエルに変えたアルクエイドが、吸血衝動と本能の赴くままに攻撃を繰り出していく。

 シエルはその猛攻を受け流して反撃に転ずる。しかしアルクエイドは傷を付けられても怯むことがない。

「何という力・・理性を失って単調になってきている分、力が増してきてますね・・・かくなる上は!」

 毒づいたシエルがアルクエイドとの距離を取る。そしてシエルは自身の最大の武器、黒い銃身を具現化し、その矛先をアルクエイドに向ける。

「先輩、何をするつもりですか!?

 志貴が呼びかけるが、シエルはアルクエイドの攻撃をやめようとしない。志貴はたまらずメガネを外し、ナイフを取り出して黒い銃身を見据えて振り下ろす。

 直死の魔眼の行使に気づいたシエルがとっさに銃砲を下げて退避する。志貴の力は標的を外して、その効果が発揮されなかった。

 そしてアルクエイドがようやく我に返り、呆然と志貴たちに視線を向ける。自分が志貴に牙を向けていたことを悟り、彼女は恐怖を募らせて体を震わせる。

「志貴・・・私は、志貴を・・・!?

 絶望感にさいなまれ、後ずさりするアルクエイド。いたたまれなくなった彼女は、駆け出してこの場から姿を消した。

「アルクエイド!」

 志貴が呼びかけるが、アルクエイドが戻ってくることはなかった。歯がゆさを覚える彼に、銃砲を消失させてシエルが近づく。

「遠野くん、あなた本気で、アルクエイドを守ろうと・・・」

 シエルが問い詰めるが、志貴は沈痛の面持ちを浮かべて黙り込んでいる。

「前にも言いましたね。もしもアルクエイドを倒そうとする私の邪魔をするなら、あなたでも容赦しませんと。」

 シエルは黒鍵を具現化し、その切っ先を志貴に向ける。だが志貴はそれに動じる様子は見せていなかった。

 

 

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