月姫 -白夜の月紅-
Episode09「血への欲情」
さらに増加していく死徒に取り囲まれるアルクエイド。しかし理性に欠け、力の及ばない死徒など、真祖のアルクエイドの敵ではなかった。
襲いかかってくる吸血鬼たちを、鋭い爪で一掃していくアルクエイド。騒動が終幕すると、彼女のいるこの場は血みどろの戦場となっていた。
「全く、しつこいのはイヤだって言ってるのに・・」
アルクエイドが呆れながら、惨殺された死徒たちを見据える。その紅の光景を目の当たりにして、彼女は再び狂気を覚える。
体の中から湧き上がってくる強烈な衝動。自分でも抑えることができなくなってきているこの衝動に、アルクエイドは悶えて顔を歪めていた。
そして彼女は残骸に点在している血を求めて牙を尖らせる。失われていく理性の中、彼女は血に顔を近づけていた。
だがそのとき、アルクエイドは失われていく理性を取り戻そうと、自分の腹部を殴りつけた。その衝撃で彼女はようやく我に返った。
精神的苦痛を覚え、息を荒げるアルクエイド。
(日に日に強くなってる・・復活に力を回したせいかも・・それに志貴に殺されて、血が足りなくなってるのもある・・・)
胸中で呟きながら、アルクエイドは血みどろの地下通路を後にした。
日曜の真昼の街中に志貴は1人出かけていた。通りを歩く中、彼は秋葉との和解を思い返していた。
たとえ異質の力を持っていたとしても、気持ちが変わらなければ、これまで過ごしてきた日常に変わりはない。志貴はそう答えを導き出し、前向きになろうとしていた。
「あなたが1人で街に繰り出してくるなんて、少し意外でしたね。」
そのとき、志貴は声をかけられて振り向く。その先には白いワンピースを身に着けたシエルの姿があった。
「シエル先輩・・・?」
シエルの登場と私服に半ば呆然となる志貴。その様子を見て、シエルは微笑をもらす。
「こんにちは、遠野くん。少し、時間空いてますか?」
「はい。半分気晴らしに来てたようなものですから・・」
シエルの誘いに志貴が照れながら答える。
2人がやってきたのは一般的なファミリーレストランだった。そこで志貴はホットコーヒーを、シエルはポークカレーを注文した。
「相変わらずカレーなんですね・・」
注文を終えたところで、志貴が言葉を切り出す。するとシエルは笑顔を保ったまま答える。
「この味が忘れられなくなってしまって、今では欠かせない、欠かしたくない食品です。」
「さすが先輩・・先輩とカレーはもはや切り離すことのできない関係ですね・・・」
シエルの言葉と態度に、志貴は苦笑いを浮かべるしかなかった。
それぞれ頼んだメニューが来たところで、シエルはカレーを口にしながら志貴に話しかける。
「遠野秋葉さんは、暴走することなく沈静化したと見て間違いなさそうですね。」
その言葉に志貴が緊迫を覚え、軽く持ち上げていたカップを置く。
「監視していたのですか・・オレと秋葉のことを・・・!?」
「教会にとって忌むべき存在と判断したものは、代行者として抹消する。それが私の使命です。」
「本気なんですか・・・もし秋葉がその忌むべきものと判断したら、先輩は秋葉をどうかするつもりだったのですか・・・!?」
志貴がシエルの言葉に苛立ちを覚える。するとシエルは顔色を変えずに話を続ける。
「本来ならその教会の意向に従うつもりでいたのですが、相手はあなたの妹さんです。慎重かつ穏便に解決したかったのです。」
「先輩・・・」
シエルのこの言葉に志貴が当惑を覚える。
「遠野くん、忌まわしき力に苦悩するあなたの気持ち、私には分かります・・」
「・・取り付かれて1度死んで、よみがえった影響で死なない・・死ねない体になってしまったのでしたね・・・」
言いかけるシエルに、志貴が沈痛の面持ちで答える。
「私たち、似たもの同士かもしれませんね・・九死に一生を得た代わり、忌まわしき宿命を背負わされて・・・」
「・・・それは少し違いますよ。人は誰でも、忌まわしい何かを抱えて生きているんです。オレも先輩も秋葉も・・・」
(アイツも多分、とんでもないものを抱え込んでるのかもしれない・・・)
志貴はシエルに言いかけて、胸中でアルクエイドのことを考える。彼の言葉を聞いて、シエルは安堵を思わせる笑みをこぼした。
「そうかもしれませんね・・・この宿命、逃れられたらどんなに幸せなのでしょう・・・」
物悲しい笑みを浮かべて囁くように言いかけるシエル。このような彼女を見たのは初めてだと、志貴は思っていた。
「さてと、すみませーん!ポークカレー追加お願いしまーす!」
「えっ?まだ食べるんですか?」
カレーのおかわりを頼むシエルに志貴は唖然となる。もはやカレーなしでは生きていけないといわんばかりと、志貴は胸中で呟いた。
それから志貴とシエルは通りを転々としていた。いろいろな店に立ち寄っていくシエルだが、何かを買うわけでも用事があるわけでもなく、主だった目的のない完全な寄り道となっていた。
「先輩、何をしようというんですか?いろいろ立ち寄ってますけど、特に何をするでもないし・・」
「半分は昼食。後はあなたと同じ気晴らしですよ。」
志貴の問いかけに、シエルは微笑みかけて答える。2人は街中の小さな広場で休憩を取ることにした。
「人は何か気が張り詰めていると、自分でも何をしているのか分からなくなったり、意味なく何かをしてしまったりする・・遠野くんはどうですか?」
「オレは・・・オレもそうですね・・最近はいろいろなことがありすぎたから・・・」
シエルの言葉に志貴が苦笑を浮かべながら答える。
「アルクエイドのことも、ですか・・・?」
その言葉に志貴は眉をひそめた。
「まだ、アルクエイドのことを狙っているのですか・・・?」
「もちろんです。アルクエイドは教会の敵であり、私にとっても忌むべき存在なのです。」
固唾を呑んで問いつける志貴に、シエルは淡々と答える。
「教会が光とするなら、アルクエイドたち吸血鬼は闇。互いに相容れないものであるのです。それ以外にもいろいろな意味で、私とアルクエイドは犬猿の仲ですけどね。」
「今度会うことになったら、手にかけるのですか・・・?」
志貴のこの問いかけにシエルは答えない。言うまでもないことだった。
「もしもあなたがアルクエイドをかばうようなことがあるなら、私はあなたを手にかけるときも厭いません。その点は、心得ておいてください。」
シエルの真剣な面持ちでの忠告に対し、今度は志貴が答えない。
「あなたの持つ力で私を殺しますか?あなたの力、私なりにある程度まで分析できてますよ。」
「だからオレが殺そうとしても、そう簡単にはいかないということですか・・・」
志貴の言葉にシエルは小さく頷く。
「あなたの力はおそらく、対象に直接“死”を与えるもの。私の体に宿っている“不死”でさえ“死”を与えてしまうほどでしょう・・」
「オレも、オレのその力を警戒しているわけですか・・・」
志貴が深刻な面持ちを見せると、シエルは小さく笑みをこぼした。
「少し長話が過ぎましたね・・ありがとう、遠野くん。私に付き合ってくれて・・」
「いいえ。オレのほうこそ先輩にお世話になってしまって・・」
「それでは私は戻ります。遠野くんも気をつけて・・」
シエルは挨拶を交わすと、志貴の前から姿を消した。志貴も彼女を見送ってから、家に戻っていった。
家に戻った志貴は、秋葉が急遽、とある資産家に呼ばれて出かけることとなったと聞かされた。よって彼は妹のいない夕食をすることとなった。
志貴が軽く作れるものを頼むと、琥珀は笑顔で受け入れた。
「志貴様、そんなに遠慮しなくても・・」
すると翡翠が志貴に言いかけるが、志貴は微笑んだまま首を横に振る。
「あまり琥珀さんや翡翠に負担をかけてはいけないと思ってね。」
「そんな・・私たちにそのような気遣いは無用です・・」
翡翠が弁解を入れるが、志貴は自分の考えを変えなかった。これ以上秋葉や琥珀、翡翠に迷惑をかけたくないと思ったからだ。
腑に落ちない心境のまま、翡翠がキッチンに向かった。すると琥珀が翡翠に笑顔を見せてきた。
「志貴さんは私たちに苦労をかけたくないと思っているのです。その優しさを拒んだら、それこそ志貴さんに悪いですよ、翡翠ちゃん。」
「姉さん・・・」
琥珀の言葉に翡翠は戸惑いを覚える。どうすることが志貴のためになるのか、翡翠はその答えを見つけられないでいた。
食事を終えると、志貴は琥珀と翡翠の眼を盗んで、外に出ようとしていた。だが玄関に差し掛かったところで、志貴は琥珀と翡翠に見つかってしまう。
「こんな時間にどこへ行くのですか、志貴様?」
翡翠が淡々とした口調で志貴に問いかける。志貴はうまく言葉を切り出せず、答えられないでいた。
「すぐに戻ってきてください。でないと秋葉様にまた叱られてしまいますよ。」
すると琥珀が笑顔で、志貴の外出を了承する。一瞬唖然となるも、志貴は安堵を見せた。
「分かってる。すぐに戻ってくるつもりさ・・」
志貴は琥珀と翡翠に言いかけると、そそくさに外に出て行った。彼の行動に琥珀は笑顔を保ち、翡翠は呆れていた。
街中は普段と変わらないにぎやかさを見せていた。そのにぎやかさの中を、志貴は1人歩いていた。
その雑踏の中で、志貴はアルクエイドを発見する。そしてアルクエイドも志貴に気づいて、駆け寄ってきた。
「やっほー♪久しぶりだね、志貴。」
「お前とここで会うなんてな、アルクエイド・・・」
気さくな笑みを見せるアルクエイドと、苦笑する志貴。
「さて、今夜はどこか高いとこに行ってみよう。夜空がきれいだからね。」
「それって吸血鬼だからか?別に上に行かなくても、空は見えるだろう。」
「もう、志貴ったらロマンチックじゃないんだから。」
志貴が憮然とした態度を見せると、アルクエイドが呆れてため息をつく。そして彼女は彼を半ば強引に引っ張って、近くのビルの屋上へと向かった。
その屋上は特に立ち入り禁止にはなっておらず、誰でも入れる場所となっていた。志貴とアルクエイドはそこを訪れ、彼女は夜空を仰ぎ見る。
「んー、やっぱり星空は気持ちがいいよねー。」
「・・よくよく見てみると、やっぱり変わってるな、お前・・」
大きく背伸びをしているアルクエイドに対して、志貴が苦笑をもらす。するとアルクエイドが振り返り、微笑みかける。
「確かに私は、普通の吸血鬼と、周りの真祖たちとは違うようね。太陽の下を平気で歩けたり、人の血を吸おうとも考えてない。」
「確かに・・けど吸血鬼であるお前が、どうして血を吸わないんだ・・血を吸わなくて、お前は平気なのか・・・?」
志貴が問いかけると、アルクエイドは物悲しい笑みを浮かべた。
「私、ホントは“普通”に憧れてるのかもしれないわね。」
「普通に・・・?」
「そう・・普通におしゃれして、普通に学校っていうところに行って、普通に食事して・・・」
志貴たちが過ごしているような日常に対する憧れを抱いているアルクエイド。
吸血鬼という闇の住人として生まれてしまった自分。どんなに望んでも、人間と同じように過ごすのは極めて困難である。
「だけど、こうして生まれてしまった時点で、そんなのはただの夢物語でしかないのよ・・」
「アルクエイド・・・」
悲観するアルクエイドの顔を見て、志貴は困惑していた。日常を求める彼女にどう答えたらいいのか分からなかったのだ。
そのとき、彼らの周囲を漆黒の闇が覆い、星空を隠す。その瞬間、志貴とアルクエイドが緊迫を覚える。
「これは・・まさかまた・・・!?」
「しつこいんだから、ネロは・・・」
周囲を警戒する志貴と、愚痴をこぼすアルクエイド。
「貴様を狩ることこそ、私の宿命。貴様に待ち受けている末路は、死という敗北だ。」
2人の前に、不敵な笑みを浮かべたネロが姿を現した。
「ネロ、私は今は志貴と時間を過ごしてるのよ。邪魔しないでもらえる?」
アルクエイドは呆れながらネロに呼びかける。だがネロは笑みを消さない。
「そうか・・それは失礼なことをした。そんなにその人間との時間を過ごしたいなら、ともに奈落の底へ堕ちるがいい。」
言い放つと、ネロは影に宿していた漆黒の獣たちを呼び起こす。黒い獣だけでなく、黒い鳥も闇を突き抜けてアルクエイドを狙う。
だがアルクエイドは志貴を横に突き飛ばしながら、鳥の突進をかわす。そこへ飛び込んできた獣の牙も、彼女は身を翻してかわしていく。
「アンタの顔を見るのも飽きてきたわね・・・!」
アルクエイドがネロを見据えると、素早く飛びかかっていく。
「私にばかり気が向いているようだが?」
ネロが唐突に口にしたこの言葉に、アルクエイドが眉をひそめる。思い立った彼女は、ネロが志貴に獣を放っていることに気づく。
「志貴!」
アルクエイドがネロへの攻撃を断念し、志貴の救出に向かう。再び志貴を突き飛ばして、獣の牙から彼を守る。
だが獣の牙は志貴の右腕をかすめていた。わずかだが出血をして、志貴はたまらずその腕を押さえた。
「志貴!・・大丈夫、志貴!?」
痛みで顔を歪めている志貴に、アルクエイドが呼びかける。
そのとき、志貴の腕から出ている血を眼にしたアルクエイドが、心からの衝動を覚える。血への渇望が彼女を突き動かそうとしていた。
アルクエイドは揺らぐ意識の中で志貴から離れ、その衝動を抑え込もうとする。だが押し寄せる衝動は、彼女の抑制を上回っていく。
(ダメ・・このままじゃ私、どうかなって・・・!)
アルクエイドがたまらずその場に座り込む。その眼前に立ちはだかり、ネロが笑みを浮かべて彼女を見下ろす。
「どうした?理性を失っているようだが?」
ネロのあざけりを気にする余裕すらなく、アルクエイドがあえぐ。その様子に志貴が当惑を見せる。
「どうしたんだ、アルクエイド・・・!?」
アルクエイドの異変に、志貴がゆっくりと歩を進める。
そのとき、アルクエイドがネロに向けて爪を振りかざしてきた。その一閃がネロの黒いコートをかすめた。
ネロはとっさに後退してアルクエイドを見据える。彼女は体をだらりとして、息が荒くなっていた。
「腹が立ってくるわね・・・粉々にしてやるわ・・・!」
アルクエイドが哄笑を浮かべ、ネロを見据える。彼女の表情は狂気に満ちており、眼も血走っていた。
そしてアルクエイドはネロに飛びかかり、爪を振り下ろしてきた。ネロも漆黒の獣を召喚し、その牙で爪を受け止める。
「今までと覇気が違うな。だが心地よい緊張感だ。」
威圧的になったアルクエイドに、ネロも歓喜の笑みをこぼしていた。
「・・やめろ・・・」
その衝突を目の当たりにしていた志貴が声を上げる。
「やめろ!やめるんだ、アルクエイド!自分をしっかり持つんだ!」
ネロを突き飛ばしたアルクエイドに志貴が声を振り絞って呼びかける。だがアルクエイドは狂気に駆り立てられて、その声が耳に入っていない。
「アルクエイド!」
志貴が必死の思いでアルクエイドに呼びかけた。そのとき、失われていたアルクエイドの理性が戻り、彼女は我に返った。
「し・・き・・わた・・し・・・!?」
困惑しきっているアルクエイドが志貴に眼を向ける。どうなっているのか分からず、志貴も答えられないでいた。
(大分力が戻ってきている・・いや、力が増してきていると言うべきか・・)
アルクエイドを見据えて笑みを浮かべているネロ。歓喜を覚えつつ、彼は闇の中へと姿を消した。
その場に倒れこみ、意識を失うアルクエイド。志貴は彼女に駆け寄り、必死に呼びかけていた。