月姫 -白夜の月紅-
Episode07「赤朱の檻髪」
琥珀の血を吸っていた秋葉。その光景に、志貴も秋葉自身も動揺の色を隠せなかった。
「本当なのか、秋葉・・・お前は・・・!?」
「隠していたわけではありません。ですが、能動的に打ち明けることでもないと考えていました・・」
問い詰めてくる志貴に、秋葉が言葉を切り出す。
「兄さんも自分のことで悩んでいるのに、私のことでも悩ませるわけにはいかなかったので・・・このことは、申し訳ないと思っています・・・」
「しかし、秋葉・・・」
秋葉の心境に志貴が声を荒げる。
「分かってください、志貴さん。秋葉様は志貴さんを思って、あえて打ち明けなかったのです。」
そこへ琥珀が沈痛の面持ちを浮かべて言いかける。だが志貴の気持ちは晴れないままだった。
「オレが・・オレが信じられなかったのか・・・」
「そうではありません・・むしろ兄さんを信じていたからこそ私は・・」
「だったらオレに話してくれてもよかったんじゃないのか!?」
志貴の言葉に秋葉が押し黙る。だが志貴も自分が言ったこの言葉で、声をかけることができなかった。
彼も秋葉に隠していることがあった。それは人知を超えた出来事なのはもはや明白だった。
自分が秋葉のことを言える立場でないことを感じて、志貴は彼女に呼びかけることができないでいた。
「・・ゴメン、秋葉・・・今日はもう休むよ・・・」
「そうですか・・・ですが夕食だけは取っておいてください・・・琥珀、すぐに夕食の支度を。」
「分かりました・・志貴さん、すぐに用意しますね。それまで部屋で休んでいてください。」
秋葉の言葉を受けて、琥珀が笑顔を作って答える。しかしその笑顔の中に困惑が広がっていることは、誰の眼にも明らかだった。
志貴も秋葉や琥珀の言葉を受けて、翡翠の案内の下、部屋に戻ることにした。
それから秋葉とともに夕食を取ったものの、会話を交わすことができず、志貴は困惑を拭えないまま私室に戻った。就寝しようとするものの、様々な錯綜に駆られてなかなか寝付くことができないでいた。
(これからオレはどうしたらいいのだろうか・・・秋葉自身で解決すべきことなのか・・それともオレが何とかすべきなのか・・・)
胸中で考え込むものの、志貴は答えを出すことができなかった。
「何にしても、オレがしっかりしないと・・オレが・・・」
決意を秘めようとして呟きかけているうち、志貴は眠りに着いていた。
そして翌朝、志貴は翡翠に起こされて眼を覚ました。しかし昨日の出来事によって、心身ともに疲れが残っていた。
「大丈夫ですか、志貴様?大分お疲れのご様子ですが・・・」
翡翠は心配の言葉を言いかけて、志貴の心境を察して言葉を詰まらせる。昨日のことは彼だけでなく、この家にいた全員に動揺を与えていたのである。
「申し訳ありません。私、そんなつもりで・・・」
「気にしないで、翡翠。翡翠はオレを心配してくれたんだろ・・・?」
志貴が弁解の言葉をかけると、翡翠は戸惑いながらも安堵を覚えた。
「とにかく朝ごはんを食べておかないと。秋葉も琥珀さんも待ってる・・」
「はい。行きましょう、志貴様・・」
志貴はベットから起き上がると、着替えて大広間に向かった。そこでは既に琥珀が用意した朝食を秋葉が口にしていた。
いつもと変わらないように見える朝の風景。しかし秋葉も琥珀も、昨日のことを引きずっている様子だった。
「おはようございます、兄さん・・・」
秋葉が作り笑顔を見せて、志貴に挨拶をする。
「あぁ、おはよう、秋葉・・・」
志貴も微笑みかけて挨拶を返し、席に着く。そこへ琥珀が近寄り、笑顔を見せて声をかける。
「おはようございます、志貴さん。今朝は和食と洋食、どちらにしますか?」
「琥珀さん・・今日は和食で・・・」
志貴が答えると、琥珀はキッチンへと向かった。彼は彼女に対してもどこか違和感を感じていた。
わだかまりが拭えないまま、志貴は学校へと向かった。さらに困惑が深まったことにつながり、彼の心境はもはや授業に集中できるほどではなかった。
教師が呼びかけても、彼の意識は授業に向いていなかった。
「おい、遠野、センコー呼んでるぞ。」
「えっ?」
有彦に小声で呼びかけられて、志貴はようやく我に返る。
「遠野、この計算の答えは?」
教師に質問されて口ごもるも、有彦の助言を受けて志貴は何とか答えることができた。それから授業は志貴にとって難なく進められた。
そして休み時間、安堵の吐息をつく志貴に、有彦がやってきた。
「おい、どうしたんだよ、遠野?普段から元気なさそうに見えるけど、今日はとことん元気ねぇぞ。」
「有彦・・・ちょっと、秋葉とな・・・」
有彦に声をかけられて、志貴が苦笑気味に答える。
「秋葉?もしかして、妹さんか?」
有彦が疑問を投げかけた直後、歓喜を覚えて笑みを見せる。
「そういえば会ってねぇなぁ、妹さんには。話を聞いて、年齢を考えたら、かなりの美人さんにはなってると思うんだけどさ。」
「否定はしないけど・・・」
有彦の期待の言葉に、志貴はぶっきらぼうながら相槌を打つ。
「そういえば有彦、今日も食堂か?」
「そのつもりだったんだけど・・シエル先輩、今日は学校に来てないみたいなんだ。」
「先輩が来てない・・休みなのか・・・?」
「皆勤っていうわけじゃないから、珍しいことじゃないんだけどな・・・」
有彦が他人事のようなことを告げながら、シエルの心配をする。志貴も彼女のことを気がかりにしていた。
「ということで、今日は売店で何か買って、屋上かどっかで食おうぜ。」
「そうだな・・ちょっと物足りない気もしなくもないけど、仕方ないか・・」
有彦の言葉に志貴が相槌を打つ。そこで2人はふと、クラスの女子と話をしているさつきに眼を向け、彼女を誘ってみることにした。
昼休み、志貴と有彦が誘うと、さつきは素直に応じた。3人はそれぞれ売店でパンとおにぎりを買い、屋上に向かった。
「ありがとう、遠野くん。遠野くんたちから誘ってくれて・・」
「いいよ、気にしないで。こっちのわがままみたいなものだから。それにこんなことで誘われても、あまり嬉しくないんじゃないかな・・」
感謝の言葉をかけるさつきに、志貴が不器用に答える。
「ううん、そんなことないよ。こんな形でも、遠野くんに誘ってもらえて・・」
「おいおいお前ら、こんなこととかこんな形とか、失礼じゃねぇのか?」
さつきが照れながら答えたところへ、有彦が憮然とした態度で口を挟む。すると志貴とさつきが思わず苦笑いする。
「そういえば、まだ一緒に帰る約束、果たしてなかったよね・・」
「約束?遠野、お前弓塚にまで興味示しやがってー!」
志貴がさつきに声をかけると、有彦が不満をあらわにして志貴にヘッドロックをかける。志貴がたまらず降参の意のタップをかけるが、有彦はしばらくやめようとしなかった。
そして放課後、志貴は昇降口で待っていた。しばらくしていると、さつきが遅れてやってきた。
「ゴメン、遠野くん。遅くなっちゃって・・」
「ううん。オレも今来たばかりだから・・」
少し慌て気味のさつきを気遣って、志貴があえてウソを口にした。
「だけど、女子と下校するのは初めて・・いや、久しぶりな気がする・・」
「そうなの・・それじゃ、今は遠野くんに甘えてしまうかも・・・」
「えっ・・・?」
志貴の呟きに照れ隠しに囁くさつき。その言葉に志貴が眉をひそめ、我に返ったさつきが慌てて弁解する。
「ううん、何でもない!何でもないよ・・それじゃ行こう、遠野くん・・」
「え、あ、うん・・・」
さつきの様子に疑問を持ちつつも、志貴はあえて気に留めずに学校から歩き出した。
2人は賑わいのある街中に赴いた。その街の様子を見回す志貴に対し、さつきは彼と一緒にいることに喜びを感じていた。
「ありがとう、遠野くん・・」
「えっ・・・?」
さつきの唐突の感謝に志貴は疑問を投げかける。
「私、こうして遠野くんと一緒に帰りたかったの・・ただのわがままなのかもしれないけど、そう願ってたの・・・」
「弓塚さん・・・こんなオレより、もっといい人とかいたんじゃないのかい?」
「そんなことないよ・・・私は遠野くんがいいと思ったから、遠野くんを誘ったんだよ・・・」
さつきが切実な言葉を言いかけるが、志貴は疑問符を浮かべるばかりだった。
「覚えてないんだね、遠野くん・・昔、私のこと、助けてくれたことがあるんだよ・・・」
「・・・ゴメン、弓塚さん・・オレ、昔に大ケガをしたことがあって・・多分、そのせいで記憶が曖昧になってるのかもしれない・・・」
物悲しい笑みを浮かべる志貴に困惑し、さつきも沈痛の面持ちを浮かべた。それから2人は互いに言葉をかけられなくなってしまった。
そして2人は街中の歩道橋の上に来た。そこでさつきは足を止め、振り向いた志貴に声をかけた。
「今日はありがとう、遠野くん。楽しかったよ・・」
「楽しかったって、ただ街を歩いてただけで、別にどこにも寄ってないんだけど・・」
感謝の言葉をかけるさつきに、志貴が苦笑いを浮かべる。
「ううん。ただ一緒にいてくれただけで、私は嬉しいから・・・」
さつきの素直な気持ちに、志貴は戸惑いを覚える。
「本当にありがとうね・・それじゃ、また明日・・・」
「あぁ・・また・・」
さつきが志貴に挨拶を交わすと、笑顔を見せて別れた。志貴も去っていく彼女を、微笑みながら見送った。
それから志貴は家に向かうことにした。しかし秋葉の素性を知った今、彼女にどう接していけばいいのか、未だにその答えが見つけられないでいた。
その気持ちを引きずったまま帰宅しようとしていた志貴の前に現れたのは、なんと秋葉だった。
「秋葉・・・!?」
突然の妹の登場に志貴は驚く。秋葉は物悲しい笑みを浮かべて、志貴に声をかけた。
「少し、歩きませんか・・兄さん・・・」
いつもと様子と雰囲気の違う秋葉の言葉に、志貴はただただ頷くしかなかった。
「どうして、こんなところにいるんだ、秋葉?・・・琥珀さんや翡翠は一緒じゃないのか・・・?」
「はい・・私も兄さんも、なかなか声をかけられない状態でしたので・・何とか、きっかけを作りたいと思って・・・」
志貴の問いかけに、秋葉は戸惑いを見せながら答える。
「確かに私は遠野家に継承されている紅赤朱の力を持っています。その血筋のため、私は普通の人間とは異なる人種に入るでしょう。ですが兄さんのためを思う私の気持ちに変わりはありません。それは分かってください。」
「秋葉・・・」
秋葉の切実な言葉に志貴は戸惑いを見せる。彼女の気持ちを汲みたいと思いつつも、彼は常人とかけ離れている彼女の力を素直に受け入れられないでいた。
「分かってやりたい・・お前の兄としても、遠野志貴としても・・・けど心のどこかで、お前のその危険を避けようとする自分がいるんだ・・」
「兄さん・・・」
志貴の心境を聞いて、秋葉も戸惑いを見せていた。
そのとき、人気のない通りに来ていた2人は、不気味なうめき声を耳にして足を止める。犬のような唸り声だったが、犬とは言い切れない。
(もしかして、この前みたいな吸血鬼が近くにいるのか・・・!?)
「秋葉、すぐにここから離れたほうがよさそうだ。」
「兄さん・・・」
胸中で試行錯誤して、志貴が秋葉に呼びかける。彼の緊迫に秋葉は再び戸惑いを見せる。
振り返り様に一気にこの場から駆け出すことを試みる志貴。だがその眼前に、理性を失っている死徒たちが立ちはだかった。
「お、お前たち・・!?」
「兄さん、これは・・・!?」
眼を見開く志貴と当惑する秋葉。2人を狙って、血に飢えた吸血鬼たちが徐々に歩を進めてきていた。
(どうする・・今、秋葉を守ってやれるのはオレしかいない・・オレが何とかするしか・・・!)
志貴は思考を巡らせながら周囲を伺うと、近くに落ちていた鉄パイプを拾って握り締める。
「秋葉、こいつらを追い払いながらここから離れるぞ・・」
「兄さん・・・分かりました。」
志貴の言葉に秋葉は小さく頷いた。敵わないと分かっていながら、志貴は死徒たちを見据えながら徐々に移動していく。
そして吸血鬼の1人が飛びかかってきた瞬間、志貴は鉄パイプを振りかざし、秋葉を連れて駆け出そうとする。だが吸血鬼は怯むことなく、志貴にのしかかってきた。
「兄さん!」
押し倒される志貴に、秋葉が声を荒げる。鉄パイプで必死に抵抗するものの、志貴は吸血鬼に追い込まれていた。
「秋葉、逃げろ・・オレに構わずに逃げるんだ!」
志貴が秋葉に逃げるよう促すが、秋葉はこの場から動こうとしない。さらに死徒たちが集まり、志貴に牙を向こうとしていた。
そのとき、志貴に迫ってきていた死徒たちが、突如飛び込んできた一閃に切り裂かれ、吹き飛ばされる。その光景に志貴が当惑を浮かべた。
立ち上がった志貴、振り返った秋葉が、吸血鬼たちをなぎ払ったアルクエイドの姿を目撃する。
「あなたは・・・!?」
「アルクエイド・・・!」
秋葉と志貴が声を荒げると、アルクエイドが志貴に気さくな笑みを見せる。
「やっほー♪とんでもないことになっちゃってるね、志貴。」
「アルクエイド・・どうしてここに・・・!?」
「死徒になった人たちが増えてきてるからね。追ってきたらここにやってきてたってわけ。」
問いかける志貴に、アルクエイドが淡々と答える。そして周囲を取り囲んでいる吸血鬼たちを見据える。
「そんなに詰め寄られても、迷惑なだけなんだけどねぇ。」
アルクエイドはため息をつくと、吸血鬼たちに向かって飛びかかる。鋭い爪を振りかざして、その体を切り裂いていく。
だがその間に他の吸血鬼たちが志貴と秋葉に迫ってきていた。
「志貴!」
アルクエイドがきびすを返すが、その行く手を死徒たちに阻まれる。彼女がそれらをなぎ払っている間に、他の吸血鬼たちが志貴に牙を向けてきた。
志貴が抵抗を見せるが、凶暴化した死徒の猛威になす術がない。
「秋葉、お前だけでも逃げるんだ!」
志貴は秋葉に呼びかけながら、直死の魔眼の封印を解こうとしていた。だが、秋葉が慄然となり、足を一歩踏み込んだ。
「これ以上、兄さんに手を出すことは私が許しません!下がりなさい!」
秋葉が言い放った直後、志貴を取り囲んでいた死徒たちが突然燃え上がった。断末魔の絶叫を上げる吸血鬼たちを目の当たりにして、志貴は眼を見開いた。
視線を移すと、一変した秋葉の姿があった。黒かった髪は紅に染まり、炎のようなオーラが彼女を覆っていた。
これが遠野家に伝承されてきた異質の力「紅赤朱」の血統の力である。
「燃え尽きるか切り裂かれるか、それとも命を請うか。」
秋葉が周囲の吸血鬼たちを見据え、紅い炎を解き放つ。その炎と彼女に対して、死徒たちが狂気をむき出しにする。
「そう。あくまで向かってくるつもりなのね・・・」
秋葉が淡々と呟いた直後、彼女の鋭い視線を受けた吸血鬼たちが突然燃え上がった。発火現象に見舞われたように、吸血鬼たちが悶え苦しみ、そして昏倒する。
炎は容赦なく吸血鬼の体を燃焼し、やがて絶命と崩壊へと追い込む。その圧倒的な秋葉の力を前にして、死徒たちはようやく撤退を決め込んだ。
緊迫が解かれたものの、志貴とアルクエイドは秋葉の力に驚きを感じていた。2人の見つめる中で秋葉は力を抜き、それによって彼女の紅かった髪が元の色を取り戻した。
「秋葉・・いったいこれは・・・!?」
「兄さん・・これが紅赤朱の力なのです・・・」
困惑する志貴に告げる秋葉。実際に彼女の力を目の当たりにして、彼だけでなく、アルクエイドも言葉ができなかった。