月姫 -白夜の月紅-
Episode06「兄妹の錯綜」
お酒を交えての争いから夜が明けた。お酒に強い秋葉も飲みすぎたのか、その夜の出来事をはっきりと覚えていなかった。
「お目覚めになりましたか、秋葉様?」
「琥珀・・私は・・・」
琥珀が笑顔で挨拶をすると、秋葉はもうろうとしている意識の中で、記憶を巡らせる。
「そうでした・・私は兄さんのお知り合いとお酒で張り合って・・私は酔いつぶれませんでしたけど、大分飲んでしまったようですわね・・・」
「今までで1番飲んだかと思いますよ・・」
意識をハッキリさせながら呟く秋葉に、琥珀は笑顔のまま言いかける。
「そうですか・・・そんなに飲んでしまってましたか・・・」
「秋間様、すぐに朝食の用意をいたします。今朝は秋葉様のために、二日酔いに効くものを用意いたしますね。」
「二日酔いではありませんよ・・・」
琥珀の言葉にツッコミを入れる秋葉。それから琥珀は朝食の支度のため、部屋を後にした。
再び1人きりとなったところで、秋葉は自分の胸に手を当てた。彼女は兄、志貴に対する気持ちを思い返していた。
彼女は幼い頃に志貴に命を救われたことがある。それから彼女は兄への強い想いを抱いているが、気の強い性格のため、それを素直に表すことができないでいた。
(兄さん・・許してください・・これが私なりの、兄さんへの気遣いなのです・・・ずい分不器用だと、私自身思っていますが・・・)
秋葉は兄への想いを胸に秘めて、遠野家当主として、また新しい一歩を踏み出すのだった。
秋葉が大広間にやってきたときには、既に志貴はテーブル席に着いていた。
「おはようございます、兄さん。」
「おはよう、秋葉・・大丈夫か?昨日はずい分飲んでたみたいだけど・・」
志貴が秋葉に心配の言葉をかける。すると秋葉は毅然とした態度を見せる。
「心配には及びません。あのくらい普通に飲んでますから。」
「しかし未成年のお前には酒は体に毒だ。あまり飲みすぎるのは・・」
「余計なお世話ですわ。それよりも心配なのは兄さんのほうです。無闇に外出するのはやめてください。」
心配を一蹴されるばかりか、逆に秋葉に心配されてしまい、志貴はこれ以上言葉が出なかった。
「それと、あまりおかしな人と付き合うのはやめたほうがいいと思います。昨日のお二方も、兄さんをよろしくないことに巻き込んでいるのかもしれませんし。」
「あのなぁ秋葉、アルクエイドはともかく、シエル先輩はオレを心配してわざわざここを訪れてくれたんだぞ。そんな言い方をしなくたって・・」
「私は兄さんのためを思って言っているのです。兄さんに対してこのような物言いをすることが不快なのは、私自身なのです・・・」
憮然とした面持ちの志貴を諭そうとする秋葉。彼女からは心苦しさが現れていた。
「これからは兄さん、本当によろしくお願いしますね。」
秋葉に言いとがめられて、志貴は困惑を抱えるしかなかった。彼も様々な出来事とやり取りに葛藤していたのだ。
しかし彼は秋葉たちを心配するあまり、そのことを告げられずにいた。すれ違いが残ったまま、2人は琥珀が用意した朝食を取った。
それから志貴と秋葉はそれぞれ学校へと向かった。しかし志貴は未だに困惑を拭い去ることができず、気持ちが落ち着かなかった。
そんな中の休み時間、呆然としている志貴に、有彦が声をかけてきた。
「どうしたんだよ、遠野?まさかいきなり憂鬱モードか?」
「違うって。そんなんじゃないよ。」
からかってきた有彦に、志貴が振り返って弁解する。
「まぁいいさ。それより遠野、今日はみんなで食堂だぞ。シエル先輩も来るから。」
「シエル、先輩が・・・」
有彦の言葉に、志貴は再び戸惑いを覚える。シエルの素性を知り、彼女に対する見方が変わってきていることに彼は薄々気づき始めていた。
「分かったよ、有彦。またカレーかな、先輩は・・」
「何言ってんだよ。シエル先輩からカレーを取ったら、いったい何が残るっていうんだよ。」
微笑んで呟く志貴に、有彦が呆れ果てる。そこへさつきがやってきて、志貴に声をかけてきた。
「遠野くん、大丈夫?朝、何だか元気がなかったみたいだけど・・」
「弓塚さん・・あぁ。オレは大丈夫だよ。ちょっと疲れてただけさ。休めばすぐに回復するさ。」
さつきの心配に、志貴が笑顔を作って答える。その答えにさつきが安堵の笑みをこぼした。
(ここまで心配されてるなんて・・相当気にしているということか・・・)
胸中で自分の落ち込み様を気に病みながら、志貴は物悲しい笑みを浮かべていた。
「弓塚さんも昼食どうかな?1人でも多いほうが楽しいから・・」
「遠野くん・・・ありがとう、遠野くん。誘ってくれて・・」
志貴の誘いの申し出に、さつきが彼らに今まで見せたことのないような笑顔を見せた。志貴のこの言動に意外性を感じて、有彦が眉をひそめる。
「どうしたんだよ、遠野?女子を誘うなんて、お前らしくねぇんじゃねぇの?」
「どういう意味だよ、それは。」
有彦の言葉に不満を口にする志貴。屈託のないこの会話が心の安らぐときと、志貴は胸中で思っていた。
しかし困惑が完全に消え去ったわけではなかった。昼休みにて、志貴は食堂でシエルの姿を見て、どう言葉をかけたらいいのか分からなかった。
同じくシエルも志貴に対する言葉が見つからなかった。2人が声をかけられずに黙々と食べていると、有彦が苦笑気味にシエルに声をかけた。
「ど、どうかしたんですか、先輩?何だか元気がないみたいですけど・・」
「えっ?・・ううん、何でもありませんよ。」
シエルが笑顔を作って答え、再びカレーを口に入れる。しかし内心は未だに困惑が抜けないでいた。
真実を知った志貴と真実を知られたシエル。2人の気持ちもすれ違ったままであった。
そして放課後、志貴は秋葉たちを心配させまいと、真っ直ぐ帰ろうと決めていた。だがそこへさつきが近づいてきた。
「あの、遠野くん・・時間空いてたら、一緒に帰らない・・・?」
「弓塚さん・・・ゴメン。今日は急いで帰らないといけないんだ。今度、また・・本当にゴメン・・」
さつきの誘いを断り、志貴は慌てて教室を飛び出した。さつきは沈痛の面持ちを浮かべて、志貴の立ち去る姿を見送っていた。
彼女の誘いを断ったことに罪悪感を感じながらも、志貴は秋葉のためを思い、迷いを振り切って自宅を目指した。
(オレ、いったい何をやってるんだろう・・・)
やがて自分のしていることさえ馬鹿馬鹿しく思えてくるようになり、志貴は思わず苦笑を浮かべていた。
そんな気持ちを抱えたまま、志貴は家に帰ってきた。
「おかえりなさいませ、志貴様。」
「ただいま、翡翠・・前にも言ったけど、オレにそんなにかしこまらなくてもいいって・・」
挨拶し一礼する翡翠に、志貴は苦笑いを浮かべる。
「ところで翡翠、秋葉はどうしたんだ?これだけ強く、真っ直ぐ帰って来いと言ってきたんだ。ちゃんと顔を見せておかないと。」
志貴が気を取り直して、玄関の先を見据える。翡翠も家の中に振り返り、志貴を案内する。
「今日は早かったですね、兄さん。」
すると秋葉が2階から降りてきて、志貴を出迎える。志貴も秋葉の顔を見て安堵を見せる。
「いつまでもお前や翡翠、琥珀さんに心配されるわけにはいかないからね。」
「軽はずみな発言は慎んでください。これが日常というものなのですから。」
志貴の言葉に対して、秋葉は慄然とした態度を崩さない。
「ともかく、こうして兄さんとの時間が過ごせるのです・・・琥珀、少し早いですけど、夕食にしましょう。」
「かしこまりました。今夜は会話が弾むよう、私たちも努めさせていただきますね。」
秋葉の言葉に琥珀は笑顔で頷き、夕食の支度をするためにキッチンへと向かった。
「では兄さん、着替えをして広間にいらしてください。翡翠、兄さんをお連れして。」
「分かりました。志貴様、こちらへ。」
秋葉の言葉を受けて、翡翠が志貴を促す。私室に向かう兄の後ろ姿を見て、秋葉は切なさを感じていた。
その気持ちを抱えたまま、秋葉は大広間に向かった。
それから志貴も大広間に向かい、秋葉と少し早めの夕食を取ることとなった。そこで秋葉は、志貴の気を和らげようと、自分なりに励まそうとする。
「兄さん、新しい学校には慣れましたか?」
「秋葉・・どうしたんだよ、いきなり・・・?」
志貴が眉をひそめるが、秋葉は真剣そのものだった。彼女の心境を察した志貴が微笑みながら答える。
「あぁ。もう慣れたよ。正確にはまだ分からないこともあるけど、馴染んできたのは確かだ。」
「そうですか・・転入生は、よくいじめられたり仲間外れにされることが多いですから・・」
「おいおい、そんなことするのはもう流行んないって。それに有彦と同じクラスなんだから、仲間外れだなんてなおさらありえないよ。」
秋葉の言葉に志貴は呆れながら答える。すると秋葉が頬を赤らめて不機嫌そうな面持ちを見せる。
「何を言っているのですか・・私は兄さんを心配して言っているのですよ。」
秋葉のいぶかしげとも取れる言動を受けて、志貴はこれ以上追求しなかった。
「秋葉・・明日、少し用事があるから、少しだけ帰りが遅くなるから・・」
「また事件に首を突っ込もうと考えているのですか?」
志貴の申し出に秋葉が不満を込めて問い返す。
「違う。クラスメイトと一緒に帰ろうって誘われてるんだ。」
「クラスメイト・・・そうですか。それならあの先輩さんと関わることもなさそうですね。」
「秋葉、いい加減にしろ。シエル先輩はお前が思っているような人じゃない。」
「兄さん、私は・・」
「そういうのは心配じゃないじゃなくて、ただのおせっかいっていうんだよ。」
「兄さん!」
志貴の言葉に秋葉がたまらず声を荒げ、テーブルを叩く。その衝動に志貴ばかりでなく、琥珀や翡翠も驚きを覚える。
緊迫した空気が広まっているのを感じて、秋葉が我に返る。
「すみません、兄さん・・私としたことが、取り乱すなんて・・・」
「秋葉・・・」
着席してうつむく秋葉に、志貴も困惑を覚える。それから秋葉はそそくさに食事を終えると、間髪置かずに大広間を後にした。
その頃、街の片隅ではさらに人間が死徒へと変貌しつつあった。そしてアルクエイドの周りには、狂気に満ちた死徒たちが取り囲んでいた。
「私もずい分人気者になったものね。でも、そんなに近づいてこられたら、火傷ぐらいじゃすまないわよ。」
気さくな笑みを浮かべて言いかけるアルクエイド。しかし理性を失っている死徒たちの耳には届いていなかった。
次々と襲いかかってくる吸血鬼たちを、アルクエイドが爪を振りかざして一掃する。吸血鬼たちの体が次々と切り裂かれ、鮮血が飛び散る。
理性のない死徒たちには、真祖であるアルクエイドには敵うはずもなかった。
アルクエイドを狙った死徒たちはただの血と肉の塊と化した。彼らを切り裂いたアルクエイドの手には紅の血がこびりついていた。
その赤い手を眼にした瞬間、アルクエイドは自分の中で何かが蠢くのを覚える。血を求める衝動に駆り立てられ、彼女は手についた血を舐めようとする。
だがアルクエイドはその迷いを、手についた血とともに振り払う。同時に彼女は我に返り、息を荒げる。
「ハァ・・ハァ・・私は、また・・・」
押し寄せる吸血衝動を抑え付けながら、アルクエイドは血みどろの通路を後にした。
その翌日、志貴は秋葉のことを気にかけつつも、普段を装いながら学校に向かった。そしていつものように授業を受けて、いつものように時間が過ぎていった。
そして放課後、志貴は帰り支度を終えるとさつきに声をかけた。
「弓塚さん、よかったら一緒に帰ろうか・・」
「あ、遠野くん・・ありがとう。でも今日はちょっと用事があって・・・」
志貴からの誘いに喜びを見せるも、さつきは沈痛さを浮かべた。彼女の事情を知った志貴はさらに続ける。
「そうか・・ゴメン、弓塚さん。君の気も知らずに・・」
「ううん。ありがとう、遠野くん。遠野くんから誘ってきてくれて、本当に嬉しいよ・・」
志貴の謝罪に対して、さつきは作り笑顔を見せて弁解する。
「それじゃ、また今度・・本当にゴメン、弓塚さん・・」
志貴はさつきに言いかけると、ゆっくりと教室を後にした。困惑を覚えていた中で、さつきは志貴が誘ってくれたことを快く思っていた。
その日の放課後の予定がなくなり、他にやることも時間つぶしも見つからず、志貴は仕方なく家に帰ることにした。その中で彼は様々な困惑を思い返していた。
アルクエイド、シエル、秋葉、さつきとのすれ違い。それらにどう答えればいいのか、彼は分からないでいた。
その帰りの途中、志貴は街中の家電良品店に並んでいるTVに映し出されているニュースを眼にする。それは猟奇殺人事件の続報だった。
(またここでも、アルクエイドやシエル先輩が・・・)
志貴はこの事件に対しても、動揺を抱え込んでいた。その葛藤を拭えないまま、彼は街を通り抜けた。
そして彼は遠野家の屋敷へとたどり着いた。そこで彼は何らかの違和感を覚えて、思わず足を止めた。
(どういうことなんだ・・・何かが・・何かが違う・・・)
一抹の不安を感じて、志貴は足を前に進める。正門を通って玄関の扉を開けると、そこには翡翠の姿があった。
「おかえりなさいませ、志貴様・・・どうかなさったのですか?」
「翡翠、秋葉はどうしたんだ・・・!?」
「秋葉様は私室に・・姉さんも一緒ですが・・」
志貴の様子に戸惑いを覚えながら、翡翠が淡々と答える。琥珀がついていることから、本当なら安心できるところなのだが、志貴はまだ不安を抱えていた。
「秋葉・・・どうしたっていうんだ・・・」
「志貴様・・」
志貴は翡翠が呼びかけるのも聞かずに、慌てて家の中を進んだ。彼は不安に駆り立てられるままに廊下を進んでいく。
そして志貴は秋葉の部屋にたどり着き、ノックするのも忘れてドアを開け放った。そこで彼は信じられないものを目の当たりにした。
部屋の中で、秋葉が琥珀に寄り添うような格好をして、琥珀の首筋に顔を近づけていた。秋葉の口から鋭いものがあり、それが琥珀の首筋に刺さっていたのだ。
まるで吸血鬼であるかのように、秋葉は琥珀の血を吸っていたのだ。
「あき・・は・・・!?」
思わずもらした志貴の声に、秋葉が琥珀から顔を離して驚愕をあらわにする。振り向いた琥珀、そして志貴を追ってきた翡翠も動揺の色を隠せなかった。
「兄さん・・今のを・・・!?」
「申し訳ありません、秋葉様!呼び止めたのですが・・・!」
愕然とする秋葉に、翡翠が頭を下げる。志貴もどういうことなのか整理できていなかった。
「秋葉・・これはどういうことなんだ・・・何で琥珀さんを・・・!?」
「違うんです、志貴さん!これは私も翡翠ちゃんも承知のことなんです!」
声を荒げる志貴に、琥珀が弁解を入れる。その言葉に志貴は再び戸惑いを覚える。
「この遠野は人間と、人間でないものの混血であることはご存知ですよね・・?」
「あ、あぁ・・耳にはしてるけど・・」
琥珀の説明に志貴が戸惑いつつ頷く。すると琥珀が沈痛の面持ちを浮かべて話を続ける。
「秋葉様は先祖還り、紅赤朱としての血筋と力を備えているのです・・・」
秋葉に秘められた真実を耳にして、志貴は言葉を失った。