月姫 -白夜の月紅-
Episode04「不死の呪縛」
シエルはしがないパン屋の娘であった。時間があるときには、親が営んでいる店を手伝っていた。
そのひと時がいつまでも続いてほしい。シエルは心密かにそう願っていた。
だがその願いは、彼女が全く予期していない形で打ち砕かれることとなった。
突然自分の中に入り込んできた何かに、彼女は駆り立てられた。そしてその何かの赴くままに、彼女は実の親を、親しい人たちをこの手にかけてしまった。
家族が殺されていく際、彼女自身には自我が残っていた。しかしその何かを止めることができなかった。
そして家族を殺めたシエルは、その後、ある吸血鬼によって殺害された。その吸血鬼こそが、白き真祖、アルクエイドだった。
このとき、シエルは死を直感していた。これ以上ないほど残酷で非情な最期を遂げるのだと、彼女は思っていた。
だが彼女は生きていた。彼女はカトリック教会の監視下にて、深い眠りから意識を取り戻したのだ。
眼を覚ましたときは、彼女はこれは奇跡だと思った。だがこの奇跡は、彼女に罪の意識を強めることとなった。
そして彼女は教会から驚愕の真実を聞かされた。それは自分の体にかけられた呪縛である。
彼女の体は、彼女を支配した異質のものに取り付かれた影響で、死を受け付けなくなっていた。少女の姿のまま、死ぬことを許されない呪縛が、彼女の体に降りかかっていたのだ。
自分が自らの手を血で汚した罪を背負うこととなった彼女は今、生きながら死んでいる状態にあった。それは彼女へのこの上ない戒めに他ならなかった。
その十字架を背負って、彼女は埋葬機関の代行者として、教会に身を置くこととなった。
アルクエイドとの戦いから帰還したシエルは、1人シャワーを浴びていた。ぬるめのシャワーを浴びる彼女の裸身には、教会に属する者を表す刻印が施されていた。
様々な宿命が宿っている忌まわしき刻印。その体を抱きしめて、シエルは歯がゆさを押し殺していた。それは学校でも代行者としての責務を遂行するときでも見せない、感情の揺らぎだった。
(教会の人間になったときから・・ううん。私が取り付かれてから、私は自由を奪われた。自分の足で生きていく自由さえ・・)
シエルは自分の宿命を噛み締めて、体を抱きしめていた手から力を抜く。そして彼女はシャワーを止めて、タオルを取って風呂場を出た。
ぬれた体を拭いて、部屋の真ん中に立つシエル。タオルを払い、彼女は一糸まとわぬ姿でたたずんでいた。
(アルクエイド、今度こそ・・今度こそあなたを・・・)
新たな決意を胸に秘めて、シエルは着替えを身につけた。
それから数日後の休日。志貴は1人街に赴いていた。アルクエイドに対して突き放すような言い方をしたものの、彼はこの町で起きている猟奇殺人が気がかりになっていた。
彼が行き着いた先でも、その事件の血みどろの生々しい現場が広がっていた。その地獄絵のような光景を目の当たりにして、一部の人が眼を背けたり嗚咽を思わせる様子を見せたりしていた。
志貴もこの光景を見つめて、いたたまれない気持ちでいっぱいになっていた。
(いったい誰がこんなことをしているんだ・・・)
その現場の前を後にして、志貴は胸中で呟く。
(アルクエイドの話が本当なら、このバラバラ殺人はオレの力で殺したような・・・オレの他にもいて、そいつが殺人を行っているのだろうか・・・)
様々な憶測を巡らせる志貴。しかしあまりにも情報が少なすぎて、答えにたどり着くはずもなかった。
同じ頃、街中のレストランを訪れていたシエル。そこで彼女は注文したカレーを口にしながら、外の様子を伺っていた。
(この事件は人間でないものの仕業の可能性が高い。しかも能力的に遠野くんの持つ力によるもの。でも遠野くんは犯人じゃない。)
推理を巡らせるシエルだが、彼女も事件の犯人にたどり着いていなかった。
「ホントに相変わらずね、アンタは。」
そこへ1人の女性がシエルに声をかけてきた。空いている前の席に座ってきたその人に、シエルはいぶかしげになる。
真祖の吸血鬼、アルクエイドだった。アルクエイドは従来の吸血鬼と比べて特異であり、昼間でも空の下を歩けるのである。
「いつもいつもカレーばかりで・・よく飽きないわね。」
「本当に飽きないおいしさなんですよ。あなたもどうですか?」
「遠慮しておくわ。私はあまり好きじゃないし。」
屈託のない会話の中で、シエルは淡々とカレーを口に入れていった。その様子をアルクエイドはのん気そうに見ていた。
「ところでどうしたのですか?わざわざ私の食事を見学しに来たわけではないのでしょう?」
「ここに来たのはたまたま。街をうろうろしてたら、アンタを見つけたから。」
淡々と問いかけるシエルに、アルクエイドが気さくに答える。
「いつでも緊張感に欠けていますね、あなたは・・さて。本当ならあと1杯食べたかったのですが、あなたと一緒だと落ち着いて食べられそうもないので。」
「そうなの?私は食べるのは勘弁だけど、見てる分には全然オッケー。」
アルクエイドの言葉を気に留めず、シエルは席を立ち、カレー代を払って店を出る。アルクエイドも興味本位でシエルを追いかけていく。
2人は街と人ごみを抜けて、人気のない場所へと移動してきた。そこは古びた工場跡地だった。
「まだ昼間ですが、ここなら誰にも迷惑をかけずに戦えます。あなたの気遣いには感謝の意を示しましょう、アルクエイド。」
「勘違いしないでよ。私はアンタがやる気になるのを待ってただけ。ホントならどこでも構わなかったんだけど。」
感謝をあしらわれた気分を覚えて、シエルが笑みを消す。
「やはりあなたは許せませんね。そのように周りのことなど気にも留めず、自由ばかり追い求めているあなたは・・」
「何?嫉妬してるの?埋葬機関にいて、不死の体になってるアンタが・・」
からかってくるアルクエイドに、シエルがいぶかしげな面持ちを見せる。
「確かに・・・ですが私は埋葬機関の代行者。自由を求めることさえ、私には許されません。」
戸惑いを振り切って、シエルが黒鍵を具現化して、その切っ先をアルクエイドに向ける。
「そして自由を求めすぎたあなたも・・・」
そしてアルクエイドに飛びかかり、黒鍵を振りかざす。その一閃をアルクエイドが身を翻してかわす。
「逃がしません。」
シエルはさらに黒鍵を手にしてアルクエイドに向けて放つ。矢のように飛び込んでくる黒鍵の群れを、アルクエイドは跳躍して回避していく。
「どうしたのです?逃げてばかりでは何にもなりませんよ。」
「だからって、わざわざやられてやるつもりもないんだけど。」
交戦しながらも互いに言い放つシエルとアルクエイド。
「ま、しつこくされても困るから、そろそろ攻めさせてもらうわ。」
アルクエイドは眼つきを鋭くして、シエルの懐に飛びかかっていく。
「このときを待っていました。」
シエルの呟きにアルクエイドが眼を見開く。シエルは巨大な銃器「黒い銃身」を取り出し構えていた。
黒い銃身はシエルの扱う武装の中で最大の威力を誇っている。銃身に十字が刻まれている、重量のあるショットガンである。
その銃口をアルクエイドへと向けるシエル。とっさに回避行動を取ろうとするアルクエイドだが、回避が間に合わない。
そのとき、アルクエイドの眼に、駆け込んでくる志貴の姿が飛び込んできた。
「志貴・・・!?」
「えっ・・・!?」
アルクエイドがもらした声にシエルも動揺を見せ、攻撃の手を止める。2人が視線を向けた先には、息を切らしている志貴の姿があった。
「・・シエル、先輩・・・!?」
志貴もアルクエイドと対峙しているシエルの姿を見て驚愕していた。彼の前でアルクエイドがシエルから離れ、距離を取る。
「遠野くん・・・君がどうしてここへ・・・!?」
志貴の登場に、シエルが初めてアルクエイドたちに動揺をあらわにする。アルクエイドも志貴に対して戸惑いを感じていた。
「いったいどうなってるんだ・・・なんで!?・・アルクエイドとシエル先輩が・・・!?」
動揺のあまり混乱してしまう志貴。彼の姿に、アルクエイドもシエルも言葉をかけられないでいた。
そのとき、この廃工場の周りから不気味な声が響いてきた。その声に志貴たちが我に返り、身構える。
「どうやら囲まれちゃってるみたいね・・」
「私としたことが迂闊でした。他の吸血鬼たちに囲まれていることにも気づかなかったなんて・・」
アルクエイドが言いかけると、シエルも表情を変えずに毒づく。うめき声を上げながら、理性を失った吸血鬼たちが徐々に歩み寄ってくる。
「ここまで堕ちてしまった彼らに救いの手を差し伸べるとするなら・・」
シエルは囁きながら、黒鍵を振りかざして死徒に飛びかかる。
「その血塗られた命を、私の迷いとともに断ち切るしかありません!」
そして一閃を繰り出し、吸血鬼たちを両断していく。アルクエイドも襲いかかってくる吸血鬼たちを爪で切り裂いていた。
次第に血みどろになっていくこの工場の中で、志貴は困惑とともに戦慄を覚えていた。そしてそれは邪な存在に対する殺意へと変わっていった。
メガネを外した彼の視界には、赤い線を取り巻いているアルクエイドやシエル、死徒たちの姿があった。彼はナイフを取り出し、死徒の赤い線を断ち切る。
アルクエイドやシエルがさらに攻撃を加える前に、死徒たちが突如断裂されていった。
「この力・・・遠野くん・・!?」
眼を見開いたシエルが志貴に振り返る。志貴は殺意に駆り立てられるまま、直死の魔眼で死徒を葬り去っていた。
「いけない・・やめなさい、遠野くん!それ以上自分の手を血で汚してはいけません!」
シエルが呼びかけながら跳躍し、志貴の背後に回りこむ。そして彼の持つナイフを黒鍵の柄で突いて叩き落す。
その拍子で志貴は我に返り、呆然となる。そして自分の力で肉片と化した死徒たちを目の当たりにして、彼は愕然となる。
「もしかして・・全部、オレが・・・!?」
声を震わせる志貴の心を、血塗られた絶望感が押し寄せてきた。たまらず胸を押さえて、彼は苦悶の表情を浮かべてあえぎ声を上げた。
「遠野くん、もういいんです・・あなたまで、この戦いに足を踏み入れる必要はないのです・・・」
シエルが必死の思いで志貴に呼びかける。苦痛は和らいだものの、志貴は未だに混乱していた。
「アルクエイド、ここは下がりなさい。遠野くんは、私が連れて帰らせます。」
シエルが黒鍵を握り締めて呼びかけるが、アルクエイドは聞こうとはしない。
「何言ってるのよ。アンタに志貴を任せておけないわ。」
「下がりなさい!あなたはこれ以上、遠野くんを危険に巻き込もうというのですか!?」
シエルが言い放つと、アルクエイドが憮然とした態度で黙り込む。ここまで声を荒げたのは代行者となって初めてのことかもしれないと、シエルは思っていた。
腑に落ちない心境に陥りながらも、アルクエイドは何も言わずに言葉から姿を消した。戦意を和らげたシエルが黒鍵を消失させ、志貴に眼を向ける。
「遠野くん、大丈夫!?どこか、休める場所へ行きましょう・・」
シエルは呼びかけながら、動揺の広がる志貴に手を貸す。そして2人もこの血塗られた廃工場を後にした。
混乱と殺意の中、志貴はいつしか意識を失っていた。眼を覚ましたのは遠野家の近くの公園のベンチの上だった。
もうろうとする意識の中で志貴は体を起こす。そして周囲を見回すと、月夜を見上げているシエルを見つける。
「シエル、先輩・・・」
志貴が弱々しく声をかけると、気づいたシエルが振り返る。彼女は彼に物悲しい笑みを浮かべていた。
「気がついたみたいですね、遠野くん・・・」
「先輩・・オレは・・・」
優しく語りかけるシエルに、志貴は言葉を返せないでいた。
「あなたが意識を失って数分ぐらいですね。どこか休める場所を探して、ここに来ました。」
「そうですか・・・あのとき、オレは・・」
「大方のあなたの行動は分かっています。あなたはここ最近、アルクエイド・ブリュンスタッドと行動をともにしていましたから。」
志貴の言葉をさえぎって、シエルが言いかける。その言葉に志貴は驚きを覚える。
「オレたちのことを、ずっと監視していたんですか・・!?」
「正確にはあなたたちではなく、あくまでアルクエイドだけです。私の責務は、教会にとって忌むべき存在を抹消すること。アルクエイドもその対象なのです。」
シエルの言葉の意味が理解できず、志貴は動揺が強まるばかりだった。
「先輩、あなたは何者なんですか?教会っていったい・・・!?」
志貴が問い詰めてくると、シエルは気が進まない面持ちを見せてから、重く閉ざしていた口を開く。
「これはあまり口外することではないのですが、事態が事態です。仕方がないでしょう・・・私はカトリック教会の“埋葬機関”に所属する者で、教会の責務を実行する代行者なのです。」
「カトリック・・・代行者・・・!?」
「今回私に与えられているのはアルクエイドの処分。そして現在起こっている吸血鬼の増加を行っている首謀者の断罪です。」
シエルが告げた言葉に志貴は驚愕する。
「そんな・・アルクエイドはそんな悪いヤツじゃないと思います。ただ自由でいたいだけで・・天真爛漫っていうか・・・」
「彼女はその自由を逸脱しています。そう判断し、処分するに至ると教会は判断し、そして私自身もそれに同意しています。」
「どうしてそこまで・・いくら教会に所属しているからって・・」
「言ったはずです。これは教会からの責務だけではなく、私個人の事情もあるのです・・」
シエルは志貴に告げると、黒鍵を1本具現化する。そしてその刀身を自分の胸に突き刺した。
「先輩!?」
彼女の行動に志貴が眼を見開く。自分自身を貫いた彼女の体から鮮血が飛び散っていた。
だが次の瞬間、シエルが自分に突き刺していた黒鍵を自力で引き抜いた。さらに鮮血が飛び散る中、彼女は何事もないように平然と立っていた。
「せん、ぱい・・・!?」
「これが私に架せられた戒め・・私はかつて邪な存在に支配され、家族をはじめ、たくさんの人を手にかけてしまいました。そのとき私の命を絶ったのがアルクエイドだったのです。」
「命を絶った・・じゃ、なぜこうして生きているんです!?今だって・・!?」
志貴が言いかけたとき、シエルの胸の傷と血が徐々に消えていく。即死が確実のはずの傷が一瞬にして消えてしまったのだ。
「私は肉体を支配された影響で、死を受け付けない体となってしまったのです。それは永遠の生であり、決して終わることのない罪と償いの証なのです・・」
シエルは沈痛の面持ちで語りかけながら、黒鍵の刀身についた血を振り払う。
「あのとき支配されたときから、私にはもう自由などないのです・・・」
「そんなことはない!先輩には自由がある!まだ自由が残ってるじゃないですか!」
物悲しく語りかけるシエルに、志貴が声を荒げる。
「先輩はオレたちと同じように学校に来て、昼休みにはカレーを食べてる!それは自由じゃないんですか!?」
「遠野くん・・・」
志貴の言葉にシエルは戸惑いを見せる。そして彼女は微笑みかけて話を続ける。
「ありがとう、遠野くん・・・だけど遠野くん、これ以上は、今回のことには関わらないほうがいいです。あなたのためにも・・・」
シエルは言いかけると、振り返って公園を後にした。
「先輩・・シエル先輩!」
志貴が呼び止めるが、シエルは立ち止まることはなかった。困惑が抜けないまま、志貴も家へと戻った。