月姫 -白夜の月紅-
Episode03「蒼天の代行者」
アルクエイドとの出会いから翌日、志貴は少し早めに眼が覚めた。メガネをかけようとして、彼はふとその手を止める。
昨日、一昨日と「直死の魔眼」を行使した自分。一瞬にして簡単に対象を滅ぼしてしまうその力を、彼自身、快く思っていなかった。
特に幼い頃、九死に一生を得た直後は、張り巡らされた赤い線に混乱してしまったほどである。この魔眼殺しのメガネをくれた人物は、絶望しかかっていた彼に生きることを教えてくれた人でもあった。
(約束、破ってしまったな・・・ゴメン、先生・・・)
先生と呼ぶその人物、蒼崎青子(あおざきあおこ)に謝罪の意を示し、志貴は改めてメガネをかけた。
疲れの抜けない体を引きずって、志貴は大広間に来た。そこでは秋葉が既に、琥珀が用意した朝食を口にしていた。
「おはようございます、志貴さん。」
「おはよう、琥珀さん・・・」
笑顔を見せる琥珀の挨拶に、志貴が気のない返事をする。
「どうかなさったのですか?何だか元気がないみたいですが・・」
「いや、そんなことないよ・・ゴメン。心配かけてしまって・・」
困り顔を見せる琥珀に、志貴が笑顔を作って弁解する。
「病気やケガがないのでしたら、しっかりしてください、兄さん。あなたもこの遠野家の人間なんですから。」
秋葉が志貴に向けて苦言を呈すると、志貴は苦笑いを浮かべた。
「せめて朝食はちゃんと取ってください。琥珀、兄さんにも食事の用意を。」
「分かりました。志貴さん、和食と洋食、どちらがよろしいですか?」
秋葉の言葉を受けて、琥珀が志貴に訊ねる。
「え、あぁ、今日は和食で・・」
「和食ですね。分かりました。すぐに用意しますね。」
志貴が答えると、琥珀は笑顔のまま広間を後にした。
琥珀を見送ってから、志貴は着席する。そこで彼は一途の不安を感じていた。アルクエイドやネロといった異質の存在が引き起こす事件に、秋葉たちを巻き込みたくない。彼は心の中でそう呟いていた。
朝食の後、志貴はいつものように登校し、いつものように授業を受けた。その中で彼は白き吸血鬼、アルクエイドのことを考えていた。
人の生き血を吸う吸血鬼であるにも関わらず、血を吸おうとしない。昼間でも活動でき、天真爛漫さも持ち合わせている。これらの点から、彼女は一般的な吸血鬼のイメージとは少し異なっていた。
今度、彼女は自分に対してどのような行動を取ってくるのか。これから自分はどうなっていくのか。志貴は募る不安に困惑していた。
そんな気持ちを抱えたまま、昼休みとなった。志貴たちは昨日の約束どおり、屋上にて昼食を取ることとなった。
有彦の言ったとおり、この日シエルは弁当箱を取り出してきた。市販されているカレー弁当ではなく、れっきとした弁当箱を出してきたことに、有彦は驚きを隠せなかった。
「まさかホントに先輩が弁当持ってくるなんて・・・中身は何だろう・・どんな感じなんだ・・・?」
脅威と期待に胸を躍らせる有彦の前で、シエルが笑顔で弁当箱のふたに手をかける。志貴もさつきもその中身を気にして眼を向ける。
シエルがふたを開けると、中身は白いご飯だけだった。
「えっ・・・?」
「白い、ご飯・・・?」
志貴と有彦が弁当箱に入っているご飯を見て唖然となる。そしてシエルが取り出したものに、彼らは再び唖然となる。
「・・レトルトの、カレー・・・」
「・・・やっぱり・・・」
ご飯の上にあらかじめ温めておいたレトルトカレーをかけるシエルに、有彦は唖然となり、志貴は呆れていた。
「や、やっぱり、先輩とカレーは、切っても切り離せない関係なんだね・・・」
さつきも笑顔でカレーご飯を食べていくシエルを見て、困惑気味に呟いていた。
街中の一角の建物の屋上に、アルクエイドは訪れていた。流れてくるそよ風が、彼女の髪を揺らしていた。
そこで彼女は、最近起こっているある出来事について考えていた。
(最近死徒の増加が目立ってる。しかも、ほとんどが心を失ってバケモノ同然になっている始末・・)
アルクエイドは胸中で呟き、眼下の街を見下ろしていた。
吸血鬼はオリジナルの真祖と、吸血鬼に血を吸われて転化する死徒に分類される。死徒は元々が人間であるため、肉体の崩壊を免れるために血を吸っている。
最近、猟奇殺人が続発していた。被害者のほとんどがバラバラ殺人であり、生存者のほとんども心身ともに異常をきたしている状態にあった。
その異常者こそが死徒に転化した者とアルクエイドは捉えていた。しかしなぜ死徒が異常に増加しているかまでは分からなかった。
死徒が発生するには、その発端となる真祖、あるいは知能のある死徒がいるはずである。その吸血鬼こそがこの事件の首謀者である。
(ネロじゃないわね。アイツはあくまで私を狙ってる。吸血鬼を増やして暴走させたり、こんな殺人を繰り返す必要はないはず。ということは別の誰かの仕業ってことね。)
胸中で呟くうち、アルクエイドは笑みをこぼしていた。そして気まぐれを思わせるような軽い足取りでこの場を立ち去った。
街で多発している猟奇殺人は、もはや全国的に知れ渡るニュースとなっていた。発生するのは夜、それも志貴のいるこの街で集中して起こっていた。
特にバラバラ殺人は謎が謎を呼んでいる。被害者はいずれも五体が無残にも切り刻まれていた。それも骨までも断裂されており、人間業といえるものではなかった。
この事件の噂が飛び交う街中の傍らを、志貴は1人下校していた。今の彼はそのことを気に留めている余裕はなかった。
この下校する中で、どこでアルクエイドと会うか分からない。そんな不安が志貴の中で駆け巡っていた。
人の多い街並みから外れようとしたときだった。
「やっほー♪志貴じゃないの。」
そこで志貴は、気さくな笑みを浮かべて手を振ってくるアルクエイドとばったり会ってしまった。
「ねぇ志貴、ちょっと話したいことがあるんだけど?」
「悪いけど、昨日のあの男とか、それに近いバケモノ染みた相手とは関わりたくないから。」
アルクエイドが問いかけるが、志貴はいぶかしげに突き放そうとする。
「もう、アンタも分かってるんでしょ?今起こってる事件のこと。」
「事件って、夜起こってるおかしな殺人事件のことか!?」
妖しく言いかけるアルクエイドに、志貴が思わず声を荒げる。アルクエイドは笑みを崩さずに話を続ける。
「あれは普通の人間にできることじゃない。それどころか吸血鬼でもあんなふうに解体できる連中はそうはいないわ・・・アンタのその力ぐらいじゃないと。」
「オレの力・・・これのことか・・」
アルクエイドの説明を受けて、志貴はかけているメガネに手をかける。彼女が示しているのは直死の魔眼のことだった。
「確かにこの力なら、体をバラバラにすることが可能だ。だけどオレは人殺しはしたくない。」
「私は殺したのに?」
深刻に言いかけたところでアルクエイドにからかわれ、志貴は言葉を詰まらせる。
「冗談よ。」
困り顔を浮かべる志貴を見て、アルクエイドが笑みをこぼす。
「今回の事件の中で、人間が血を吸われて吸血鬼になってるの。しかも異常なくらいにね。」
「もしかして、吸血鬼の仕業なのか・・・!?」
「断定はできないけど、可能性が強いのは確かね。」
問い詰める志貴に、アルクエイドが淡々と答える。
「私は誰かを守りたいとか、そんな人情のために戦うつもりはないわ。ただ、私の周りでおかしなことをされると不愉快なの。」
「お前は、そんな考えで・・・!?」
アルクエイドが口にした考えに、志貴は反感を覚える。
「悪いけど、オレはそういう考えで何かの事件に首を突っ込むつもりはない。いくらお前が言い寄ってきても。」
「志貴・・・」
「この事件の犯人が、オレの周りの誰かに危害を加えるつもりなら、オレは迷わずに、この力を使う・・だけどオレはこの力を、むやみやたらに使っていいものではないと思ってる。」
(先生も、オレにそのことを教えてくれたんだ・・・)
アルクエイドに言いかける志貴は、同時に青子の言葉を思い返していた。
事故で入院中のとき、幼かった志貴は木を昇っていく虫を取り巻いている赤い線を断ち切り、その虫の命を絶った。それに対して、青子が志貴を叱咤激励した。
青子は志貴に改めて命の大切さを教え、涙を浮かべている彼の頭を優しく撫でた。その出来事と言葉を彼はしっかりと覚えていた。
「この事件、オレには関わる理由がない・・・」
「そうはいかないわ。アンタには私を殺した責任を・・」
「それでもダメだ・・・!」
アルクエイドが鋭く言い放っても、志貴は考えを改めようとしない。彼は彼女の横をすり抜けて、そのままこの場を後にした。
「もう、志貴ったらしょうがないんだから。ここまできちゃったら、その犯人じゃなくても、ネロが狙ってこないとも限んないじゃない。」
アルクエイドは呆れながら、志貴を追いかけようとする。だが志貴の姿は見えなくなり、どこへ行ったか見当も付かなくなった。
アルクエイドはため息をつき、近くの壁にもたれかかった。
「ま、いつかまたどっかで会うでしょ。ヘンに追いかけ回してもしょうがないし。」
アルクエイドはひとつ吐息を付き、再び歩き出そうとした。だがしばらく歩いたところで、彼女は足を止める。
「まさかここでアンタと会うことになるなんてね・・・」
妖しい笑みを浮かべて、アルクエイドは上を見上げた。その視線の先の家の屋根の上には、1人の女性が立っていた。
藍色のワンピースを着用し、手には1本の剣が握られていた。
「アンタもけっこうしつこいわね、シエル。」
アルクエイドが眼前の女性、シエルに声をかける。ところがシエルは顔色を変えない。学校にいるときの彼女と違い、今はメガネをかけていない。
「相変わらずの様子ですね、アルクエイド。」
「また私を消しに来たの?でも残念。私はアンタに倒されるつもりはないわ。」
「あなたの意思は関係ありません。あなたはこの世界において忌むべき存在。その存在であるあなたを葬ることが、協会の代行者である私の責務。」
「それこそ私には関係のないことよ。どうしようと私の勝手よ。」
互いに一歩も引かないシエルとアルクエイド。
シエルはカトリック教会に属する「埋葬機関」の代行者であり、教会の異端の存在を滅ぼすことを責務としている。その異端の存在であるアルクエイドを、彼女は常に敵視している。
「場所を変えましょうか。ここではいろいろと不都合ですから。」
「私は別にどこでも構わないけど・・まぁいいわ。」
平然と告げるシエルの申し出を、アルクエイドは受け入れた。
アルクエイドとシエルが移動してきたのは、人気のない公園の広場だった。志貴とアルクエイドが出会ったところよりも少し広かった。
「ここなら人はいない。私もあなたも、存分に相手ができますね。」
「私は別にどこでもいいって言ってるでしょ。」
再び互いに言い合うシエルとアルクエイド。
「では行きましょうか。埋葬機関の命により、アルクエイド、あなたを仕留めます。」
シエルは言いかけると、手にしていた1本の剣の切っ先をアルクエイドに向ける。その剣は「黒鍵」と呼ばれるもので、彼女の持つ聖書のページを媒体として、魔力を通して具現化されている。
シエルはアルクエイドに向かって飛びかかり、黒鍵を振りかざす。アルクエイドが身を翻してかわしたところで、彼女はその黒鍵を投げつける。
それもアルクエイドは軽々とかわす。だがシエルはさらに黒鍵を構え、次々と放っていく。これも回避していくが、その1本がアルクエイドの頬をかすめた。
アルクエイドはとっさに横に飛び、刃の連射を回避する。シエルも攻撃の手を休めて、アルクエイドを見据える。
「どうしました?以前と比べて、ひどく力がないようですが?」
シエルの言葉を受けて、アルクエイドが胸中で毒づいていた。
(まだ力が戻ってない・・まったく、こんな攻撃もかわせないなんて・・・!)
「やはり、遠野くんに殺された損傷がまだ癒えていないようですね。」
考え込んでいたところへシエルに指摘され、アルクエイドがさらに毒づく。その際に彼女が眉をひそめたのを、シエルは見逃さなかった。
「あなたは遠野くんの持つ力で死に陥った。人の形にまでは再生することができましたが、力までは完全回復には至っていません。違いますか?」
シエルの説明にアルクエイドは反論できず、押し黙ってしまう。その反応を肯定と見て、シエルは続ける。
「そういう点を重んじるなら、遠野くんに感謝すべき、というところですか。こういう考え方は遠野くんに失礼とも思いますが。」
シエルは顔色を変えずに、再び黒鍵を手にする。アルクエイドはシエルに対して、打開の策を模索していた。
「今のあなたを倒すことは簡単ですが、私は妥協も慢心もしません。全力を持って、あなたを倒します。」
シエルは言い放つと、黒鍵をアルクエイドに向けて放つ。アルクエイドはとっさに姿勢を低くして黒鍵をかわし、一気にシエルの懐に飛び込む。
振りかざした爪がシエルの腹部に突き刺さる。アルクエイドはそのままシエルを突き飛ばす。シエルは昏倒し、腹部から出血が見られた。
アルクエイドは手に付いた血を振り払って、シエルを見下ろす。その表情にはまだ戦慄が消えていなかった。
すると、傷つき倒れていたシエルが何事もなかったかのように立ち上がってきた。アルクエイドは顔色を変えずにシエルを見据える。
「やっぱりね。アンタはそのくらいじゃ死なないもの。」
「私の思い違いだったようですね。あなたは大分力が戻ってきているようです。」
妖しく微笑むアルクエイドに、淡々と答えるシエル。傷つけられていたシエルの腹部の傷は一瞬にして消えていた。
「でも、それでも私は、あなたを倒さなければならないのです。」
「それは教会のため?それともアンタ自身のため?」
アルクエイドがからかうように問いかけるが、シエルはあくまで顔色を変えない。
「両方です。あなたの始末は教会の責務であり、私の望みでもあるのです。」
シエルの口調に感情が込められていると感じ、アルクエイドは眉をひそめた。
「私にこのような運命の十字架を背負わせた吸血鬼を、私は野放しにしておくことなどできない。アルクエイド・ブリュンスタッド、あなたも決して例外ではないのです。」
「そう・・そうね。確かに私は吸血鬼。でもね、アンタに殺されるつもりはないの。」
シエルの心境を察しながらも、アルクエイドはそれを受け入れようとしなかった。その反応を受けて、シエルは黒鍵の切っ先をアルクエイドに向ける。
そのとき、周囲に人の気配を感じ、シエルが黒鍵を少し下げる。その様子にアルクエイドが再び眉をひそめる。
「どうやら人が来てしまったようです。今回はここまでですね。」
「私は別にいいんだけど・・どうするの?」
「今は引きます。ですが次に私と会うときが、あなたの最期です・・・」
シエルはアルクエイドに言い放つと、飛翔してその場から姿を消した。アルクエイドは肩をすくめて、ひとつため息をつく。
「ホントにしょうがないわね、教会の代行者は・・」
愚痴をこぼした後、アルクエイドは夜空に浮かぶ満月を見つめた。
「そろそろ決着を付けるってことなのかな・・・?」
アルクエイドとの戦いを中断し、公園から離れたシエル。足を止めたところで、彼女は自分の胸に手を当てた。
(そう・・不死の呪縛と代行者としての務め・・それが私に架せられた十字架・・・)
自分に降りかかった宿命。シエルは死を受け付けなくなった自分の体に対して、悲痛さと皮肉を感じていた。