月姫 -白夜の月紅-
Episode02「直死の魔眼」
「私を殺した責任、取ってもらうからね・・・」
白き吸血鬼、アルクエイドは不敵な笑みを浮かべて志貴に言い放つ。彼女の視線に殺意が込められているのを感じて、志貴は恐怖を覚えた。
その場に留まることが怖くなり、志貴はたまらず駆け出した。
自分が見ていた悪夢は夢ではなかった。そればかりか、殺意の赴くままに殺めた女性が、何事もなかったかのように平然と自分の前に現れた。
彼女は自分に恨みや殺意といった感情を抱いているはずだ。関われば確実に殺される。志貴はたまらず学校へと駆け込んできていた。
何かから逃げてきたような様子で教室に駆け込んできた志貴。彼の姿を眼にして、有彦が眉をひそめた。
「どうしたんだ、志貴?そんなに慌てて・・」
有彦が問いかけると、彼の前で足を止めた志貴が呼吸を整えてから顔を上げる。
「いや・・ちょっとおかしな人に会って・・必死に逃げてきた・・」
「おかしな人?」
志貴の言葉に有彦がさらに疑問を投げかける。
「それで、どんなヤツなんだよ?」
「それが・・・金髪の女性だってことは覚えてるんだけど・・」
「金髪!?女性!?」
質問に曖昧な答えをする志貴を前に、有彦が興奮する。志貴の「女性」という言葉に彼は興味津々となっていた。
「何かあったの、遠野くん・・・?」
そこへさつきが志貴に声をかけてきた。作り笑顔を見せているが、困惑を隠しきれていなかった。
「ゆ、弓塚・・あ、いや、何でもないんだ・・・本当、何でもないから・・・」
だが志貴はさつきに気遣おうとして、あえて話そうとしなかった。彼の心境を気にしながらも、さつきは追及しなかった。
「おい、志貴。お前、いつの間に女にもてるようになったんだよ。」
「有彦、オレはそんなんじゃないんだよ・・」
からかってくる有彦に、志貴はため息をつきながら答える。
「そういえば志貴、お前に面白いことを教えてやる。」
「面白いこと?」
突然話題を変えてきた有彦に、志貴が眉をひそめる。
「あのカレー好きのシエル先輩が、今度お弁当持ってくるって言ってたんだ。」
「先輩が、お弁当を?昨日のあの様子からだと、どこかの店でカレー弁当を買ってくる、というオチじゃないのか?」
「いや。ちゃんと家の弁当箱に詰めたヤツを持ってくるとか。」
疑いの眼差しを向ける志貴に、有彦が淡々と告げる。そこでようやく志貴が小さく頷いた。
「まさかあの先輩がお手製弁当とは・・雨が降ったりして。いや、雪かも。」
「あんまり人のことからかうなよ、有彦。」
呟く有彦に志貴が呆れながら言いかける。
「そうだ、志貴。帰りにどっか寄り道しねぇか?多分、こっちに来て、あんまりここに詳しくねぇと思うからさ。」
志貴を誘おうとする有彦。だが志貴はその誘いを素直に受けることができなかった。
昨日の帰りと今朝の出来事。ただならぬものを感じさせる金髪の女性が、志貴の脳裏に焼きつき、恐怖を植えつけていた。
「ゴメン・・今日は真っ直ぐ帰りたいんだ・・・だけど、次は一緒に行くから、また誘ってくれ・・」
「そうか・・じゃ、また今度な。」
苦笑いを見せながら誘いを断る志貴に、有彦はきょとんとなりながら頷いた。
その日の授業。淡々とした時間だったが、その中で志貴は不安を拭えず、授業に集中できなかった。
そして放課後、志貴は有彦に言ったとおり、すぐに岐路に着いた。そんな中でも、彼は不安にさいなまれていた。
家が近くなり、人気のない裏道を抜けようとしていたときだった。
「やっほー♪」
志貴は背後から聞き覚えのある声を耳にして立ち止まる。恐怖を募らせながら、彼はゆっくりと振り返る。
そこには金髪の女性、アルクエイドの姿があった。彼女は気さくな笑みを浮かべて志貴を見つめていた。
「ま、またお前なのか・・・オレを、殺しに・・・!?」
志貴がたまらず後ずさりをする。言いかける彼に、アルクエイドは眼つきを鋭くする。
「言ったはずよね?私を殺した責任を取ってもらうって・・」
「だから、オレの命を奪いに来たのか・・!?」
怯える志貴に対して、アルクエイドは妖しい笑みをこぼす。
「それもいいと思ったんだけど、アンタはすぐには殺さない。その代わり、アンタの力、私に貸してもらう。」
「えっ・・・!?」
アルクエイドの言葉を意味深に思いつつも、志貴はその意味が分からなかった。
「アンタは私をその力で殺した。何とか人の形にまでは復元できたけど、そのせいでまだ力までは戻ってない。だから私は力が戻るまで、アンタの力を借りようってわけ。」
「何を言っているんだ・・オレに、そんなもの・・・!?」
「ここまできてとぼけることないでしょ?それだけの力、まさかまだ気づいてないなんて言わないわよね?」
淡々と言いかけるアルクエイドに志貴はついに観念し、かけていたメガネを外した。彼の視界の中で、彼女を含めた形あるもの全てを赤い線が取り巻いていた。
これは直死の魔眼によって見える死の概念であり、これらの線を切る、または点を突くことでその対象に「死」を与えることができるのだ。
「オレには人やものの死が見えてるんだ・・」
「死が、見える・・・!?」
志貴の言葉にアルクエイドが眉をひそめる。
「子供の頃に死にかけて、それからオレは、周りのいろいろなものに張り巡らされている赤い線が見せるようになったんだ。最初はどういうことなのか分からなくて、怖がるだけだった・・」
志貴は説明しながら、普段から常備していた1本のナイフを取り出した。そして彼は遠くにある空き地の土管のひとつを見据える。
「そしてその線を切ると・・」
志貴は言いかけて、土管を取り巻いている赤い線を切る感覚で、持っていたナイフを振り下ろす。すると彼に見えていた線が切れ、その直後、土管が切り刻まれたかのように断裂された。
「その相手は切り刻まれてしまうんだ・・それが何であっても・・」
「・・なるほどねぇ。それで私を殺したってわけね。でも、どうして私を・・?」
志貴の力に納得したものの、アルクエイドがさらに志貴に質問を投げかける。すると志貴は思いつめた面持ちを浮かべて、呟くように答える。
「・・オレにもよく分からない・・あそこで君を見た瞬間、オレの中にある何かが、君を殺せと叫んできたんだ。それに逆らいきれなくなって・・」
「それで、いつの間にか私を殺してたってわけね・・とんだいきさつね。わけも分からずに私はアンタに殺されたっていうの?」
呆れた素振りを見せるアルクエイドに、志貴は押し黙ってしまい、答えることができなかった。
「なるほど。真祖の姫を手にかけたのは貴様か、人間。」
そのとき、どこからか男の声がかかり、志貴が再び緊迫を覚える。2人が振り返った先に、黒ずくめの男が姿を現した。
「またアンタなの、ネロ?アンタもけっこうしつこいわね。」
「私の責務は真祖である貴様を葬ること。何度も言わせるな。」
からかいの笑みを見せるアルクエイドに、男、ネロ・カオスも不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「本来ならすぐこの場で貴様を始末するはずだが、そこの人間に水を差されたからな。」
アルクエイドに告げてから、ネロは志貴に眼を向ける。その殺気に満ちた視線に、志貴は戦慄を覚える。
「それにしても、真祖の姫君を一瞬にしてその五体を粉砕した貴様の力。私としても興味がある。その真相、確かめさせてもらうぞ。」
「ふ、ふざけるな!オレはお前たちのいざこざに関わるつもりはない!オレを巻き込まないでくれ!」
笑みを見せるネロに志貴が叫ぶ。だがネロは志貴のこの言葉をあざ笑う。
「滑稽だな。貴様がこの闇の戦いに身を投じたのは、貴様自身の意思に他ならない。貴様が姫を手にかけた時点で、貴様は私たちの戦いに介入したことになる。」
「そんな・・そんなこと・・・!?」
恐怖のあまりに後ずさりする志貴を見据えながら、ネロは体から漆黒の獣を具現化させる。
「では見せてもらおう。真祖を一瞬で葬り去った、貴様の力というものを。そして私たちの戦いに介入したことを、死をもって後悔するがいい。」
言い放ったネロの体から獣たちが飛び出し、志貴を狙って飛びかかる。そこへアルクエイドが割って入り、手と爪を振りかざして獣を退ける。
「アンタ、私を殺したその力を使って、私に手を貸しなさい!」
「し、しかし・・!」
呼びかけるアルクエイドに困惑する志貴。彼女は獣を一時後退させるネロを見据え、身構える。
「本当ならネロなんて負けない相手なんだけど、力が戻っていない今の私ではそうも言ってられないのよ。だから力を貸しなさい。私を殺した責任を取りなさい!」
「・・・もうっ!こんなこと、オレは全然望んでいないっていうのに!」
淡々と言い放ってくるアルクエイドに、志貴は自暴自棄に陥りそうな素振りを見せて、ナイフを構える。メガネを外した彼の眼には、この場の全ての死が見えていた。アルクエイドも、ネロも、ネロの駆る獣も。
「邪魔立てするな、真祖の姫よ。貴様は後に私が始末してくれる。」
「言ってくれるじゃないの、ネロ。でも残念だけど、私はあなたに殺されるわけにはいかないのよ。」
嘆息するネロに対し、アルクエイドは引かずに踏みとどまる。
「私は完全な姿の貴様を葬りたい。だがあくまで邪魔をするのなら、貴様から先に始末してやる。」
殺気をむき出しにするネロがアルクエイドに近づいていく。制限された力を噛み締めて、アルクエイドが身構える。
白き吸血鬼を狙って、漆黒の獣が再び飛びかかる。そのとき、獣の死の概念を捉えていた志貴が、その赤い線を切りつける。
死を突かれた獣が動きを止めて苦悶を見せる。だが獣は実体とはいえない存在であるため、死の概念が曖昧となり、死を免れていた。
「くっ・・前回といい今といい、いったい何なのだ、その力は・・!?」
ネロは志貴の力に脅威を感じていた。使い方次第で絶対的な力になりうるものだが、ネロはその正体をつかみきれないでいた。
「き、貴様はいったい・・・!?」
毒づくネロを見据えて、アルクエイドが笑みをこぼす。
(今なら力のない私でも、ネロに・・!)
思い立ったアルクエイドがネロに向かって飛びかかろうとする。だが彼女の腕をつかんで、志貴が彼女を止める。
「アンタ・・!?」
「ダメだ!ここは逃げるんだ!」
声を荒げるアルクエイドを連れて、志貴がこの場を離れる。ネロは追撃を繰り出すことができず、その場に留まるしかなかった。
「放してよ!この調子ならネロを倒せる!今の私でも!」
「ダメだ!・・言ったはずだ!オレはこんな戦いに関わりたくない!オレのこの力を使うのは、誰かを殺すためじゃない!オレたちを守るために使うんだ!」
「きれいごと言ってる場合じゃないでしょ!放さないとアンタをこの手で・・!」
アルクエイドがいきり立って爪を構える。だが今の彼女に瞬殺できる力すら残っていないことは、志貴にも悟られていた。
やがて2人は公園にたどり着き、そこで足を止めた。全力疾走で逃げてきたため、志貴が貧血を引き起こしてうずくまる。
「ハァ・・ハァ・・少し、ムリをしたかな・・・ハァ・・」
呼吸を整えながら、志貴が何とか立ち上がろうとする。そんな彼を見て、アルクエイドは呆れ返っていた。
「もう、何考えてるのよ、アンタ?あそこで逃げる必要なんてどこにもないでしょ?」
アルクエイドが文句を言うが、志貴は答えない。それどころか、彼は頭に手を当てて、さらに苦痛を覚えていた。
「アンタ・・・?」
アルクエイドが疑問符を浮かべたところで、志貴が突然倒れた。
志貴が眼を覚ましたのは、意識を失ってから数十分後。先ほどの公園のベンチの上だった。何とか意識を覚醒させながら起き上がり、周囲を見回すと、アルクエイドがブランコをこいでいた。
「やっと眼が覚めたみたいね。いったい何があったのかとビックリしちゃったわよ。」
アルクエイドが志貴が眼を覚ましたのに気づいて、ブランコから飛び降りた。そして志貴に近づき、妖しい笑みを見せる。
「ホントにどういうつもりなの?まさかアンタのその力に関係してたとか。」
冗談のつもりで問いかけたアルクエイドだが、志貴は深刻な面持ちを彼女に見せてきた。
「この力を使いすぎると、頭に響いてくるんだ。だから使うときでも、そう長い時間は使わない。」
「えっ?・・じゃ、その危険を感じて逃げたってわけ?」
「しばらく使ってなかったから、慣れてないっていうのもあるけど・・・」
苦笑を浮かべる志貴を見て、アルクエイドがため息をつく。
「呆れた。そんなことくらいで参っちゃうなんて。すごい力を持ってても、やっぱり人間ね。」
「そういえば、君はいったい何者なんだ?オレがしてしまったことでなんだけど、オレに殺されてもこうして生きてる・・・」
志貴が唐突にアルクエイドに問いかける。すると彼女は彼の前で軽く回って見せてから、改めて彼に眼を向ける。
「自己紹介がまだだったわね。私はアルクエイド・ブリュンスタッド。人間じゃなく、吸血鬼よ。」
「吸血鬼・・・!?」
アルクエイドの紹介に志貴は再び戦慄を覚える。彼女も思っていた通り、人間とは別の、人間を凌駕する種族だったのだ。
「吸血鬼ってことは、血を吸うために誰かを襲っているってことか・・!?」
「普通の吸血鬼ならそうね。でも私は、人間から血を吸わないの。ちょっと変わってるでしょ?」
問い詰める志貴に淡々と答えるアルクエイド。予想していなかった返答に、志貴は言葉が出なくなる。
「ところで、アンタの名前は?」
「オレ?・・オレは志貴。遠野志貴だ。」
アルクエイドに問いかけられて、志貴も自己紹介する。
「志貴かぁ・・それじゃ志貴、また力を貸してもらうから、また今度ね。」
「またって、オレにあんなバケモノたちの相手をしろっていうのか!?」
「何度も言わせないで。アンタは私を殺した。アンタはその責任を取らなくちゃなんないのよ。」
声を荒げる志貴に言いとがめて、アルクエイドは軽い足取りで公園を後にした。志貴はしばらくその場を動くことができなかった。
(アルクエイド・・いったい何なんだっていうんだ・・・!?)
白き吸血鬼、アルクエイドの行動に、志貴は動揺の色を隠せなかった。
志貴が家に帰ってきたのは、既に日が沈んだ後だった。彼を待っていたのは、翡翠や琥珀ではなく、不機嫌になっている秋葉だった。
「遅かったですね、お兄様・・・!」
「あ、秋葉・・・」
低い声音で言いかける秋葉に、志貴は困惑を浮かべる。
「用がないときは寄り道せずに真っ直ぐ帰宅してください。遅くなるようでしたらせめて連絡を入れてください。」
「あ、あぁ・・分かった・・・」
鋭く言い放つ秋葉に頭が上がらず、志貴はただただ頷くしかなかった。
「ともかく、遅いですけど夕食にいたしましょう。琥珀、支度をお願いします。」
「分かりました、秋葉様。」
秋葉の呼びかけに、厨房にいた琥珀が明るく答える。これ以上秋葉たちに迷惑をかけてはいけないと思いつつ、志貴はアルクエイドに対して不安を抱えていた。
公園での志貴とアルクエイドの対話。それを近くの建物の屋上から見つめているひとつの影があった。
影は1本の刃をきらめかせて、2人の動向をうかがっていた。そして2人が別れたのを確かめると、影はきびすを返して、音を立てずに飛び去っていった。