南海奇皇〜汐〜 第9話「時の呪縛」

 

 

「海潮のバカ・・・どうして、アイツは・・・!」

 ランガの中で、夕姫と魅波は苛立ちと悲しみを抱えていた。友を選んだ海潮がクロティアにいるため、攻撃することができないでいた。

「とにかく、このままじゃ相手の思うツボになっちゃうわ!お姉ちゃん、攻撃しよう!」

 危機感を覚えた夕姫は、魅波に呼びかける。しかし魅波も戸惑った様子を見せていた。

「何やってるのよ、お姉ちゃん!早くしないとこのバンガ・・!」

「・・・できない・・・」

 夕姫の声に、魅波は体を震わせて、首を横に振る。

「そんなことしたら・・今、攻撃を加えたら・・・海潮が・・・」

「お姉ちゃん!」

 攻撃しようと考える夕姫と、それを拒む魅波。

 家族での屈託のない団らん。それが魅波の描く楽園だった。もしこのままクロティアを攻撃すれば、中にいる海潮にまで危害を及ぼすことになる。

 海潮が崩壊した瞬間、魅波の楽園も完全に崩壊してしまう。その不安が、魅波に引き金を引かせなかった。

「もう、お姉ちゃんまで!いいわ!私がこのバンガを倒す!」

「夕姫!」

 他にかまわず攻撃を開始しようとする夕姫を、魅波が呼び止める。その言動に夕姫が憤慨する。

「邪魔しないで、お姉ちゃん!こんな都合のいいことばかり考えてるヤツに、好きにさせたくないのよ!」

 不条理な世間に対する憤りと報復。それが夕姫の楽園を描く原点となっていた。

 時間凍結などという不条理な力を、夕姫は認めなかった。

「やめなさい、夕姫!本気で海潮をどうするつもり!?」

 夕姫の考えを必死で呼び止める魅波。しかし夕姫は聞く耳を持とうとしない。

 そのとき、激しい衝撃がランガと、その中にいる魅波と夕姫を揺るがした。

 クロティアがついに反撃に徹してきた。今度は逆にランガが倒される。

「キャッ!」

 魅波と夕姫が苦痛にうめく。彼女たちの視線の先に、立ち上がったクロティアが悠然と見下ろしていた。

「くぅ・・・早く攻撃しないから・・・!」

 夕姫は苛立ちながらうめく。それでも魅波は、海潮を何とか助け出したいと考えていた。

「ランガ、海潮は私が手に入れたよ。もうムリせずに、止まった時間の中で眠るといいよ。」

 クロティアから深潮の声が響いてくる。この声音からは、勝ちを確信した悠然さが込められていた。

 夕姫が鋭くクロティアを見据える。

「このまま負けるわけには・・!」

「ダメだよ。今のクロティアは、海潮から力をもらってるんだよ。だから、もうランガでも勝つことはできないよ。」

 深潮のこの言葉に、魅波と夕姫が驚愕する。

「そんな・・・海潮が・・・!?」

「あのバカ!・・・簡単に取り込まれて・・・!」

 困惑する魅波。苛立ちを隠せずうめく夕姫。

 これで、たとえ非情に徹したとしても、ランガがクロティアを倒せる可能性は薄くなった。

「海潮は私が助けてあげるから・・だから・・・」

 深潮の声が冷ややかになる。

「だから、ランガは1点の時間の中で、ずっと眠っているといいよ。」

 言い終わると、クロティアの両手から衝撃波が放たれる。

「ああぁぁぁーーー!!」

 ランガがその衝撃に吹き飛ばされ、魅波と夕姫が悲鳴を上げる。何とか立ち上がるものの、ランガの受けたダメージは激しかった。

「もういいよ。これで終わりにしよう。」

 魅潮の集中とともに、クロティアは両手に力を込めた。その手の中にまばゆいばかりの光が収束される。

「海潮の力ももらった。それでこれだけ力を集めれば、いくら時を操れるランガでも、固まらずにはいられないよ。」

 クロティアが凝縮された閃光を、ランガに向けて解き放つ。

「ランガ!」

 夕姫が叫びながら、ランガを動かして回避行動を取ろうとする。しかし、クロティアの閃光は速く、ランガはその光に飲み込まれる。

「ああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

 ランガの体内で、魅波と夕姫が絶叫を上げる。

 強烈な力がランガを襲い、その漆黒の体を束縛していく。そしてそれは体内にいる魅波たちにも及び始めた。

 異空間の壁に埋め込まれている2人の体が、石のように固くなっていく。ランガを操る体の感覚が、クロティアの力の影響で奪われていく。

「か、体が言うことを・・・!」

 次第に奪われていく体の感覚に、夕姫がうめく。固く変質したその部位が、自分の体から切り離されたような気分だった。

(止まる・・・私たちの時間まで・・・!?)

 時間停止を脳裏によぎらせる夕姫。時の呪縛に抗おうとする体から力が抜け落ちていく。

「海潮・・・夕姫・・・」

 苦悶の表情を浮かべながら、魅波は時間凍結に体を蝕まれ、そして石のように固まってしまう。

「みな・・み・・おねえ・・・ちゃ・・ん・・・」

 夕姫も時間の侵食に包まれる。苛立ちを隠せない表情のまま、彼女も動かなくなる。

 そして現実でも、ランガの体も石のように固まり、完全に沈黙してしまう。

 ネオランガは力尽きた。クロティアの時間凍結にかかり、その行動は完全に停止してしまった。

 その体内の紅を彩っていた異空間もその色を失くし、魅波も夕姫も固まって動かなくなっていた。壁にめり込んだ裸の石像と化した2人は、神に身を委ねた聖女のように鮮やかに思えた。

 

「そんな・・・ランガが負けるなんて・・・!?」

 クロティアに敗れたランガを見つめて、英次のそばにいた和真が愕然となる。敗北した王を見つめて、英次は冷ややかな笑みを浮かべていた。

「クロティアの時間凍結にかかり、ランガは完全に沈黙した。先輩にはすまないと思いますが、これで全ての時間が止まった。」

 英次は振り向き、困惑を隠せない和真に手を差し伸べる。

「世界が一定の時間の中で、永久に生き続けることになり、完全な平和が訪れたんだよ。」

 満面の笑顔を振りまく英次。しかし和真はその誘いの手を振り払った。

「何が完全な平和だ!こんな生きた心地のしないところのどこが平和だっていうんだ!」

 和真のこの憤慨の叫びに、英次から笑みが消える。

「これじゃ平和なんて呼べたものじゃねぇ!生きてたヤツみんないなくなった死の世界だ!これを平和だっていうなら、アンタ、どうかしてるぜ!」

「勝手なことを並べなんでほしいよ!」

 和真の言葉に、ついに英次も憤慨する。

「上位についている人間は、僕たちみたいに平和を願っている人々の言葉に耳を貸そうとさえしない!そして意味のない争いを繰り返し、罪のない人や生き物を平然と殺してしまう!こんな不条理の中で、君は満足している気か!?」

 英次の言葉に、和真は息をのんで押し黙ってしまう。

 彼の父親は平和のために、部隊を引き連れてバロウに対してクーデターを引き起こした。しかし、キュリオテスの策略に陥れられ、部隊共々殉死したのだった。

 平和を思う理念を弄ばれた不条理。それは子である和真には痛いほど分かっていた。

「だから僕と深潮は、平和のために全てを賭けてきたんだ!そして時間凍結を駆使して、やっとここまでたどり着いたんだ!」

「・・だからって・・・アンタだって、関係のない連中を巻き込んでるじゃねえか!アンタたちが固めたヤツらの中に、アンタみたいに平和を願ってたヤツだっていたはずだ!それなのに・・・!」

 和真は低くうめいた。時間凍結が平和につながるという英次の理念を、彼は否定した。

「そうだよ・・平和を願っていた人々も、僕たちみたいに苦しんでいた。だから、その苦しみを取り除くためにも、時間凍結は必要なんだよ。」

 英次は皮肉めいた笑みを浮かべて、悠然とそびえ立つクロティアを仰ぎ見る。

 ランガを止めたクロティアは、それ以後大きな動きを見せず沈黙していた。

 

 灰色に染まっているクロティアの体内。その異空間の中心に海潮と深潮はいた。

 一糸まとわぬ姿で、深潮は両手と下半身が石のように変色し、海潮は完全に固まっていた。

「やっと・・・やっと海潮が私のものになったよ・・・」

 抱きしめる海潮の背中をゆっくりと撫でていく深潮。しかし、クロティアの悪影響を受けている海潮は全く反応しない。

「私がどんなことをしても、海潮は受け入れてくれる。このひとつの時間の中で、私とずっと一緒にいるんだよ。」

 深潮はさらに海潮の体を撫で回した。ふくらみのある胸、揺れた状態のまま動かない髪、そして尻、秘所。

 海潮のありとあらゆる部位に手を回していた。

「きれいな体・・かわいい形・・・外見でも私が憧れちゃう人だよ、海潮は。」

 深潮は微動だにしない海潮の唇に、自分の唇を重ねた。愛の心地が深潮に流れ込んでくる。

(これが私の楽園・・・海潮がいるこの場所が、私の楽園なんだよ・・・)

 ゆっくりと唇を離す深潮。彼女の眼には歓喜と快楽がこもった涙があふれていた。

 そして喜び勇んで海潮をさらに強く抱きしめる。勢いあまって倒れ、異空間の中で漂い流れていく。

 深潮の体も、クロティアの副作用に見舞われていた。色だけでなく、質までも体が石になるのも時間の問題だった。

 たとえ力を抑えたとしても、この異空間にいるだけで命は蝕まれてしまう。深潮の体も影響下にあった。

 しかし深潮はそれでもかまわなかった。全ての時間を止め、海潮のそばに入れることが、彼女の最高の幸せだった。

「海潮、このまま抱かせて・・・あなたの心が、こうして伝わってくるのがとっても嬉しいから・・・」

 深潮は海潮と肌を合わせて、安堵の吐息をもらす。自分が固まっていくことなど、彼女にとってはかまわないことだった。

 固まって動かなくなっていた海潮の眼から、うっすらと涙の雫がこぼれていた。

 

 時間凍結を受け、一切の反応を示さなくなったランガ。力尽きた神を、和真は苛立ちを抑えきれずにいながら見つめていた。

「何を考えているんだ?」

 そこへ英次が鋭い声音で聞いてくる。和真は鋭い眼つきで英次を睨みつける。

「アンタなら分かるだろ?オレがランガを、夕姫を起こしに行くんだよ。」

「やめるんだ!」

 和真の言葉に、英次が眼を見開く。手すりから飛び出そうとしていた和真の足が止まる。

「普通に起こしても、ランガは、中にいる先輩と夕姫ちゃんは眼を覚まさない。クロティアの力が消えない限り、時間凍結は解かれることはない。」

「バカな・・・!?」

「もしもランガの中に入ろうと考えているなら、それは自殺行為に他ならない。」

「自殺行為・・!?」

 和真の表情が凍りつく。英次はその顔色をうかがいながら、さらに続ける。

「ランガや虚神、バンガを操ることができるのは、人の進化であるキュリオテスか、スーラの直系でなければならない。そのどちらにも該当しない、普通の人間である君がランガの中に入れば、体を激しい痛みと傷に蝕まれ、確実な死の挙句に果てる。」

 英次の忠告に、和真はただ息をのむしかなかった。

「瀕死のランガを目覚めさせるために、1人の少女がその身を投げたことを僕は知っている。君もランガに入れば、彼女の二の舞になるよ。」

 スーラやキュリオテスでない者がその力をまとえば、死の激痛にさいなまれ、無数の傷が体を覆う。だが、古代の人間はその傷こそを神の証とし、傷に似せた入れ墨を施したとも言われている。

 歴史は常に、血の色で描かれ続けていた。

 和真は迷い悩んだ。

 このままランガに入り込み復活させたとしても、そこには確実な死が待っている。たとえランガや夕姫たちが蘇ったとしても、結果として何も報われない。

 それでも夕姫を助けたい気持ちはあった。世間に対する不条理とそれに対する報復。彼女のそんな理念に、和真は共感していた気がしていた。

 この命に代えても、夕姫を助けてやりたい。和真の中にそんな感情が強まってきていた。

「それでも・・・それでもオレは・・!」

 和真は迷いを振り切り、手すりを飛び越えた。

「おいっ!」

 英次が声を荒げながら呼び止めるが、和真は沈黙したままのクロティアの肩に飛び移り、腕を駆け下りて地面に着地していた。

 一点の時のまま色を失くして停止している町や人々を駆け抜け、同じように停止しているランガの前までたどり着く。

 そしてその灰色の体を駆け上り、ついにその右肩にまで上り詰める。

「おい、夕姫!オレの声、聞こえてるんだろ、夕姫!?」

 和真が必死に呼びかけるが、ランガも夕姫も何の反応を示さない。

 苛立った和真は、固まっているランガの肩を殴りつけつつ、覚悟を決めた。

「夕姫、早く起きないと、今からオレがこいつの中に入っていって、直接お前を起こしに行くぜ。もしも中に入ったら死ぬって聞いてるけどよ、そんなことはオレは聞く気はねぇ。心配なら今のうちに眼を覚ませよ。」

 あえて夕姫に挑発の言葉をかける和真。彼とて死ぬのが怖くないわけではなかった。

 万が一の生きる可能性があるなら、それにすがりたいのが彼の本音だった。

「起きねぇつもりだな?だったら今から叩き起こしに行ってやる!」

 この言葉を最後に、和真は灰色に固まったランガに手を伸ばす。触れた手にさらに力を入れ、中に入り込むイメージを巡らせる。

「うぐっ!」

 その瞬間、ランガの中に一瞬入りかけた手に和真は激痛を感じる。あまりの痛みに思わず伸ばした手を引っ込める。

「が・・ぁぁぁ・・・ああ・・・あああ・・・!!」

 ランガの肩の上で、和真が激痛の走る手を押さえてうずくまり、悶え苦しむ。

「いてぇ・・・すげえ、いてえよ・・・!!!」

 絶叫を上げる和真。痛みに耐えて自分の手を見つめると、甲や手のひらに痛々しい傷が刻まれ、出血もしていた。

「くそっ!・・オレじゃ、ランガに入ることもできねぇのかよ・・・!?」

 和真は悔やんだ。覚悟を決めても何もできない自分を。

 手の激痛のあまり、ランガからかすかな息吹が響いたのを、和真は耳にできなかった。

 

 かすかな声が聞こえてきていた。

(・・・だれ・・・?)

 海潮は思わず呟いた。誰の声なのか思い返す。

 夕姫なのか。魅波なのか。魅潮なのか。

 それとも勝流なのか。

(聞こえる・・・いや、聞こえるんじゃない・・・感じてるんだ・・・)

 その感じている声の正体が、海潮の中で鮮明になっていく。

 自分の腕を押さえて絶叫を上げて悶えている少年の姿。

「和真くん!?」

 海潮の眼が大きく見開かれる。苦しむ和真を放っておくことはできない。

 助けようと腕を伸ばそうとする。しかし、

「う、動かない・・・!?」

 体が思うように動かない。まるで自分の体じゃないようだった。

 感覚がない。痛みさえ感じない。何も身に付けていない状態なのに、寒ささえ感じない。

 生きた心地がない状態。魂だけになって、暗闇の中を漂っている気分だった。

 それでも何とかしたい。苦しんでいる人を助けることを、正しいと言って認めたい。

 内にある正義感が、全く機能しない体に鞭を入れる。

「私はみんなを支配したくない。1人の子供に傷を負わせたくない。そう思うでしょ、ランガ!」

 海潮の心の叫びが、暗闇にまばゆい光を解き放った。

 

「えっ・・・!?」

 唐突に発せられた違和感に、深潮から笑みが消える。

 クロティアの体内にいることで起こる時間凍結によって固まっていた海潮の体から、小さく光がもれ始めていた。

「これって・・・!?」

 驚きのあまり、深潮は海潮から体を離す。海潮の体に亀裂が生じ、そのヒビから光があふれてきていた。鳥の雛が殻を破って卵からかえるように。

「そんな・・・どうして・・・!?」

 深潮はこの出来事が信じられないでいた。

 ヒビはさらに広がり、さらに光を強めていく。やがて完全にヒビが、光が解放される。そのまぶしさに深潮は眼を伏せる。

 光が治まり、彼女が再び視線を向けると、海潮の石みたいになっていた体が生気のある生身に戻り、瞳にも輝きが戻る。

「ありえない・・・ありえないよ!クロティアの中にいて、止まった海潮が元に戻るなんて!」

 深潮はたまらず海潮に叫ぶ。正義を貫く王を手に入れた喜びは、この動揺で完全に消えてしまっていた。

 海潮は沈痛の面持ちで、深潮に声をかける。

「私はいつの間にか、自分の中の正しさを貫けず、あなたに甘えてたのかもしれない。私とあなたに、何かつながるものがあると思って。でも違っていたんだね。」

 うつむいていた顔を上げ、何とか笑みを作ろうとする海潮。

「私は誰も縛りたくないし、誰にも縛られなくない。あなたの使う時間凍結も、結局は何かを縛るための力でしょ?」

「でも、この力を使えば、みんな傷つくことも傷つけることもない!時間が、海潮、あなたの思い描く楽園を実現するんだよ!」

「だけど、“時間”がみんなを縛り付けてるでしょ?」

「それは・・・!」

 悲しく微笑む海潮に、深潮は返す言葉を失くして歯がゆくなる。

「だから私はこれからも探し続けるよ。私が思い描く、本当の楽園を。」

 海潮はこの言葉の後、振り返って異空間の闇の中に消えていった。去っていく彼女に、深潮は黙って見送るしかなかった。

 

 

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