南海奇皇〜汐〜 第10話「楽園の果てに」

 

 

 長く沈黙していたクロティアの胸部に淡い光が灯る。命の輝きとも思えるその光から、1人の少女が現れる。

 島原海潮。

 クロティアの時間凍結から解き放たれた彼女は、今その体内から抜け出てきた。異空間では裸だった彼女も、その脱出と同時に衣服を身に付けている。

 海潮はクロティアの体を滑り降り、そのまま地上に降り立った。そして間髪いれずに、ランガに向かって駆け出した。

(待ってて、ランガ・・みんな・・・!)

 自然とあふれてくる涙を拭いながら、海潮はひたすら走り抜けた。

 

「どうして・・・そうして・・!?」

 クロティアの中で、深潮は涙を流していた。海潮が自分のそばから離れたことが信じられなかった。

「イヤだよ・・・海潮のいない世界なんて・・・!」

 深潮は困惑してわめいていた。海潮がそばからいなくなり、心のよりどころを失っていた。

「もういない・・・私の海潮はいない・・・私の楽園は・・・」

 深潮の中の悲しみが、徐々に憤りになってふくれ上がる。

「私の楽園を返してよ!!」

 空間の中に響き渡る深潮の叫び。それは絶叫とも悲鳴ともつかなかった。

 その叫びと同時に、深潮の体が再び異空間の壁に埋め込まれる。

「私は取り戻す。私の求めている楽園を・・ランガから!」

 クロティアを完全なる武器として、深潮は眼を見開いた。

 

「く、くそっ・・・!」

 ランガとの同化を考えた和真だったが、その副作用を真っ先に受け、中に入ることもできず手を傷つけてしまった。激痛に悶え、呼吸が荒くなっていた。

「オレには・・何もできねぇのかよ・・・何かしようとしても、こうして痛い目を見るしかねぇのかよ・・・!」

 何もできずにいる無力な自分を和真は責めた。それでも手の痛みは治まらない。

「そんなことないよ・・」

「えっ!?」

 そのとき、聞き覚えのある優しい声に、和真は揺らいでいた意識を覚醒させた。何とか力を入れて顔を上げる。

 そこには海潮の顔があった。走ってきたのか、息を荒げていて、呼吸を整えながら和真を見つめていた。

「う、海潮姉ちゃん!?」

 突然の海潮の登場に和真が声を荒げる。

 海潮の眼に和真の傷ついた手が飛び込んでくる。甲や手のひらに傷が刻まれ、痛々しい限りだった。

「和真くん・・・」

 海潮は沈痛の面持ちになり、傷だらけの彼の手を握り締めた。

「私のために・・ゆうぴーのために・・・ゴメン・・・ホントに、ゴメン・・・!」

 海潮は眼に大粒の涙を溜めて、和真の手を自分の胸に当てた。和真が痛みを忘れて顔を赤らめる。

「ね、姉ちゃん・・・ちょっと・・・恥ずかしいよ・・・」

 何の抵抗もできずにいる和真をよそに、海潮はひたすら謝罪の意を込めた。

「和真くん、クロティアの中で、あなたの声が届いてきた。必死に立ち向かおうとするあなたの声が響いてきたよ。あの声があったから、私はここに帰って来れたんだよ・・ありがとう、和真くん・・・」

「姉ちゃん・・・」

 海潮の暖かな言葉に、和真は思わず笑みをこぼす。

「違うよ・・オレはただ、夕姫があまりに情けなく見えたから、ちょっと叩き起こしたかっただけだ。けど、海潮姉ちゃんがこうして帰ってきたことには、正直嬉しいけどな。」

 わざと皮肉を言ってのける和真。海潮は小さく笑みをこぼすと、色を失くして固まったランガを注視する。

「ここは私に任せて。ゆうぴーとお姉ちゃんは、私が代わりに起こしに行くから。」

「うん、分かったよ・・・頼んだよ、お姉ちゃん!」

 和真が頷いたのを見て、海潮はひとつ笑みを見せて、ランガに意識を向ける。すると彼女の体が灰色の王の体の中に入り込んでいく。

 和真のように傷つくことなく、そのままランガとの同化を果たした。

 その姿を見送って、和真はこの場から離れた。

 

 いつもなら紅に彩られた異空間。その壁から海潮は姿を現した。

 異空間の中で、再び彼女は裸になっていた。

 海潮は周囲を、ランガの体内を見回した。魅波と夕姫が壁に埋め込まれたまま、時間凍結の影響で固まって動かなくなっていた。

「ゴメンね、お姉ちゃん、ゆうぴー・・・私がこれから助けるから・・・」

 海潮は瞳を閉じ、意識を集中してランガとの疎通を試みた。スーラの血を引くなら、ランガを蘇らせることが可能と考えたのだ。

(ランガ、お願い・・・私に力を貸して・・・!)

 海潮が眼を見開いた瞬間、空間に光が放射された。色を失くした世界に、命の輝きが広がる。

 そしてそれはランガの凍てついた体に及んでいた。時間凍結によって固まっていた体がひび割れ、その白い光があふれ出る。

 まるで虫の脱皮を思わせるランガの変化。海潮の思いを受けて、ランガは凍てついた時間から脱した。

 漆黒の巨人が、再びクロティアの眼前に立ちふさがった。

「お姉ちゃん!ゆうぴー!」

 海潮は姉と妹に呼びかけた。すると、凍てついた2人の体も、殻が破れるように光を宿し始める。

 その光が解き放たれた瞬間、ランガの体内に紅が戻った。

「こ、ここは・・・」

 おぼろげな意識の中、視線を巡らせる魅波。

「う、海潮!?」

 海潮の姿を見つけた夕姫が驚く。続いて魅波も海潮に視線を移す。

「海潮、アンタいったい何やってたのよ!今さらノコノコと!」

 苛立ちを隠せない夕姫が海潮に怒鳴る。海潮は沈痛の面持ちで返事する。

「ゴメンね・・・ホントにゴメン・・・」

 心の底から詫びる海潮。憤っていた夕姫も、その怒りを抑える。

「そうね・・こんなところで怒っててもしょうがないわね。今はアイツを・・!」

 夕姫は視線を鋭くして、眼前で動き始めるクロティアを見据える。魅波と海潮も、時のバンガに視線を移す。

「深潮、行くわよ・・・私はもう、迷わない!」

 

 ランガの復活を目の当たりにしていた深潮。クロティアに身を委ねたまま、その漆黒の姿を見据えていた。

 時間凍結を破ったランガは、その姿が変わっていた。巨大な眼を開き、その胸部は相手の姿を映し出している鏡が現れていた。

 これがランガの別形態だった。勝流の駆るバンガ、アカサを撃退したのもこの形態だった。

「ランガ、海潮・・・私の前に立ちはだかるのね・・・」

 歯がゆい思いを抱えて呟く深潮。クロティアの右手をランガに向けさせる。

(もう私の楽園は、私の心の中にしかない・・・!)

 馳せていた思いに区切りを付け、深潮はランガへ敵対心を見せる。

 クロティアの右手から、時間凍結の光が放射され、再びランガをのみ込んだ。

「ゴメンね、海潮・・・どうしても一緒にいてくれないなら・・・いっそ私の手で・・・」

 光に包まれたランガを見つめて、悲痛を感じうめく深潮。割り切ったはずなのに、別れを惜しむ涙をこらえることができなかった。

 やがて光と煙が治まり、そこに再び固まったランガが現れるはずだった。そして不完全とはいえ、彼女の理想は完成するはずだった。

「えっ・・・!?」

 深潮は眼を疑った。うっすらと浮かび上がっていた笑みが消える。

 そこにはランガの姿がなかった。光に巻き込まれる直前、一瞬にしてその場から姿を消していた。

 危機感を感じながら視界を巡らせる深潮。

「深潮。」

 そのとき、海潮の声がかかり、深潮は左方に振り返った。そこにはランガが悠然とクロティアを見据えていた。

「なんで・・・なんで私の力が、クロティアの力が効かないの!?」

 深潮は信じられない面持ちで、海潮たちに向かって叫ぶ。

「クロティアはランガと同じ、時間を操れるバンガ!私がランガに負けるはずは・・!」

 悲痛にあえぐ深潮に、海潮の物悲しい声がかかる。

「私の中にも、私が望む楽園がある。そしてそれは、まだ実現できるって信じてる。」

 その思いが確信に変わることを願い、海潮はその道を切り開く剣を深潮に向ける。

 海潮にあって深潮にないもの。それはその確信への気持ちだった。

 楽園が叶わないと悟った深潮に、海潮の思いを受けたランガに叶うはずもなかった。

「何をしているのですか?」

 そこへ青年の声がかかり、深潮が視線を移す。クロティアの右肩には、英次の姿があった。

 英次は低い声音で、さらに深潮に声をかける。

「僕たちはこんなところで負けているわけにはいかないのです。あなたとクロティアの力で、今度こそランガを倒すのです。」

 ランガを鋭い視線で見据える英次。しかし深潮の困惑は消えなかった。

「たとえランガを倒しても、私の楽園は、もう・・・」

「深潮!」

 悲しむ深潮に叫ぶ英次。

 彼女の楽園と彼の理念は、わずかながらのズレがあった。その小さなズレが、2人のわだかまりと反発を引き起こしてしまったのだ。

「ここでランガを倒さないと、僕たちのしてきた全てがムダになるんだ!君の楽園を取り戻すためにも、今ここで・・!」

「・・うるさい・・・うるさい・・・」

「深潮!」

「うるさい!」

 言いとがめる英次に、深潮は悲鳴染みた絶叫を上げる。感情の混乱の伝達を受けたクロティアが力を放射する。

「み、深潮・・・きみ・・・!」

 何とか吹き飛ばされずに踏みとどまった英次が、深潮に対して動揺する。

「もう私の楽園は見つからないの・・・もう何をしても意味がない・・・」

 クロティアから、深潮の悲痛の声が響いてくる。

「海潮がいないと、そこは私の楽園じゃない!」

 深潮は憤慨し、クロティアが力を解放し収束する。時間凍結の光を集めた固まりが、クロティアの手の中で渦を巻く。

「海潮を、私の楽園を返して、ランガ!」

 深潮はクロティアの持てる全ての力を揮い、それをランガに向けて放射した。

 しかしその姿は、ランガの胸の鏡に映し出されていた。その鏡から、クロティアが放ったものと同じ光が放射される。

 これがランガの時の鏡の効果だった。この鏡に映し出されていたのは、わずか未来の相手、クロティアの姿だった。

 ランガの鏡から放たれた光とクロティアの光が衝突する。しかし、ランガが放った光は未来の相手が放ったものであるため、その力は互角。力は相殺されるはずだった。

 だが、ランガの放った光がクロティアの光を押し、そして粉砕した。

「えっ・・!?」

 あまりにも信じられないことに、深潮は眼を見開いた。

「こんな・・・こんなことが・・・」

 英次も同様に信じられない面持ちだった。

 ランガの光が、力を使い果たしたクロティアをのみ込んだ。時間凍結に対する耐性が最も高いクロティアは、同質の力に包まれる。

 同質の時間の衝突は、互いの崩壊を引き起こす。クロティアの体が、灰のように崩れ去っていく。

 

 真っ白な光の中にいた。

 そこには蒼い髪の少女と黒髪の青年が漂っていた。

 2人とも何も身に付けていない姿で、何もないこの場所にいた。

「ぁぁ・・・あったかいなぁ・・・」

 無意識のうちに、そんなことを口にする深潮。

「もしかしたら、ここが僕らの求め続けていた楽園なのかもしれない・・・」

 続いて英次も呟く。

「でもいいのかい?・・ここには海潮ちゃんはいないよ・・・」

「うん。でももういいの。ここが私の楽園だって分かったから・・・英次さんも、魅波さんが一緒じゃなくて大丈夫なの?」

「うん・・僕にとって、先輩が幸せにいてくれることが、僕の楽園の実現になるから・・・」

 英次のその言葉に、深潮はゆっくりと瞳を閉じた。

「そうだね・・・それじゃ、私も・・・海潮が幸せでいることを願うよ・・・」

 深潮は甘えるように英次に寄り添った。英次も優しく彼女を抱きとめる。

「そう思えば・・そこが私の楽園になると思うから・・・」

「うん・・・僕もそうなると信じることにするよ・・・」

 真っ白な光に包まれながら、深潮と英次は抱き合った。2人の楽園は、すぐにでも届くところに存在していた。

 そしてその光は、2人を昇天へと導く一条の光だった。

 

 クロティアは消滅した。2つの同質の時間の衝突によって、中にいた深潮、そばにいた英次とともに、消滅の末路を辿った。

「うう・・・ああぅぅぅ・・・」

 その光景を目の当たりにしていた海潮と魅波が涙を流す。魅潮と英次の死に、辛さと悲しみを感じていた。

 しかし彼らは死んだわけではなかった。2人はタオのもとに還るため、昇天していくのだ。

 天に昇っていく親友の姿を、海潮は涙を拭いながら見送った。

「私はいつも、海潮のそばにいるから・・・」

 彼女が最後にこう言っていたと、海潮は感じ取っていた。

「深潮、あなたはいつまでも、私の中にいるから・・・私とあなたの楽園は、ずっと近いところにあるから・・・」

 海潮は小さく頷き、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 クロティアの消滅によって、時間凍結の効果が消滅。停止していた町や人々に活気の色が戻ったが、人々は何が起こっていたのか一瞬分からず、いろいろな動揺を見せていた。

 しかも、一瞬にして全世界が時間凍結を受けていたため、起こったことさえ分からなかったという人がほとんどだった。唯一の大事は、時間が早く進んでしまったという間違った認識だけだった。

 奇妙なわだかまりを残させたまま、この奇怪な出来事は些細なこととして心の片隅に追いやられた。そして何もなかったかのように、人々は日常へと戻った。

 青髪の少女、黒髪の青年と所縁のある人々を除いて。

 

 島原家の自宅の2階ベランダ。海潮はそこから青空を見上げていた。

 彼女は深潮に対する思いを巡らせていた。

 時のバンガを使って、深潮が追い求めた楽園は何だったのか。それは海潮がいるだけで叶うものだったのだろうか。

 そして自分は、彼女を助けてやることができなかったのだろうか。

 海潮の中に、様々な思い、感情、後悔、その全てが交錯していた。

「やっぱりここにいた。」

 そこへ魅波がやってきて、声をかけてきた。彼女の声に海潮は姉に振り向く。

「お姉ちゃん・・・」

「また深潮ちゃんのことを考えてたのね。」

 魅波の問いかけに海潮は小さく頷いた。すると魅波は小さく笑みを浮かべる。

「分かるわ、アンタの気持ち。私も英次くんをなくして、心のどこかで寂しさを感じてる。何とか助けてやれなかったかと悔やむこともあるわ。」

 魅波の笑みに悲しみがわずかに宿る。

「でも、それは英次くんが望んだこと。人によって、追い求める楽園のかたちが違うのよ。英次くんは、時間凍結を使って、平和を作ろうとしていたのね・・・」

 魅波の眼に涙があふれる。もしかしたら英次を助けられたのではないかという後悔の涙だった。

 英次と深潮が思い描いていた楽園は、一定の時間の中での平和だった。時間をとめてしまえば、争い、憎悪、苦痛、悲痛の全てが無くなると思っていた。

 しかし全ての悪影響を絶つこの術は、善良な点をもかき消してしまう。そんな無の世界に、平和は存在しない。

 少なくとも、そこに魅波の求める楽園はない。故に英次との決裂を余儀なくされてしまったのである。

「私は行くわ・・・これ以上、大切なものを失くさないためにも・・・私は戦うわ。」

 あふれてきた涙を拭い、魅波は決意を見せる。それに海潮も迷いを振り切る。

「そうだね・・・深潮や英次さんのためにも、私たちは頑張らないとね。」

「立ち直りが早いんだか、遅いんだか。」

 そこへ夕姫もやってきた。彼女は呆れ顔で2人に声をかけてきた。

「ゆうぴー。」

「和真、来てるわよ。アイツ、親戚の家に行くことにしたって。」

「和真くんが?」

「それで、行く前に1回、ランガに乗せてほしいんだって。」

「だったら夕姫が動かしてくればいいことじゃない。今は私も海潮も動かしてないんだから。」

 魅波が夕姫に呆れた様子を見せる。すると夕姫がため息をつく。

「私だけで、アイツの見送りをさせるつもり?」

 この言葉に、海潮はふと微笑み、ベランダから庭を見下ろした。沈黙しているランガの足元で、和真が気さくな笑みを浮かべて彼女たちを見上げていた。

「そうね。あの子にもいろいろ助けられたしね。じゃ、行ってくるね。ゆうぴー、一緒に来て。」

「えっ!?何で私が・・!?」

 来るように促しながら部屋を飛び出していく海潮に、夕姫が抗議の声を上げる。返事のないまま出て行ってしまったので、夕姫も仕方なく後を追いかけた。

 2人の後ろ姿を見送って、魅波も笑みをこぼした。そして2人と合流した和真を、ベランダから見下ろす。

「それじゃ、しっかり捕まっててね。」

 ランガを駆り、海潮と夕姫は和真を乗せて大空を舞う。

 

僕たちは何を目指し、どこに向かおうとしているのだろうか。

人の考えは様々であり、思い描く楽園もまた人それぞれである。

その思いが、時に何らかの形で衝突することもある。

人は願いの叶う喜びと、叶わないわだかまりの中で生きている。それでも人は、自分の中にある楽園を追い求める。

その先に何があるのか。それは流れゆく時の流れで見出すしかないだろうか。

 

楽園は、まだ遠い・・・

 

 

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