舞HIME –another elements- 第10話「杉浦碧」
怯んでいた獣が立ち上がったところに、愕天王が再度突っ込んできた。
碧のチャイルド、愕天王。サイを思わせる姿をしたこのチャイルドは、頭部の角とたてがみの先端の剣を武器としている。
その角の威力を込めた突進を受けて、獣が弾き飛ばされる。危機感を感じたのか、吹き飛ばされた勢いに乗りながら、木々に紛れて逃走してしまう。
「あっちゃ〜。逃げられちゃったかぁ。」
碧が頭に手を当ててがっかりした面持ちを見せる。彼女が力をしたことで、愕天王がその姿を消す。
「ちょっと、アンタ大丈夫?」
碧が木にもたれかかったまま身動きができなくなっている堅たちに声をかける。千草は未だに眼を覚ましていない。
「アンタもHIMEだったのか・・・」
堅が傷ついた体を起こして、何とか立ち上がろうとする。
「うぐっ!」
しかしそのとき、彼は右腕に激痛を感じて、うずくまる。
「ちょっと、どうしたの!?」
そのただならぬ様子に、舞衣がたまらず駆け寄る。押さえている彼の腕を診て、状態を把握する。
「骨には異常ないみたいだけど・・・」
舞衣の沈痛な言葉。堅の右腕は獣の攻撃を受けた際、激しい痛みが生じて悲鳴を上げていた。
「このくらい、どうってことは・・うぐっ!」
強がりながら前に進もうとする堅だが、腕の激痛に襲われて動けなくなる。
「ダ、ダメよ!骨は折れてなくても楽観視できないんだから!」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ・・早く行かないと、オーファンが・・」
呼び止める舞衣の言葉を聞かず、獣を追おうとする堅。そんな彼の前に碧が立ちはだかる。
「舞衣ちゃんの言うとおりだよ。アンタは休んでたほうがいいって。でないと、ホントに骨が折れちゃうかもしれないよ。」
からかうようにも見える碧の表情。しかし堅は引き下がろうとしない。
「HIMEの力は借りねぇよ。たとえ教師であるアンタでもな。」
相手がHIMEと分かった途端、彼は手のひらを返したように悪ぶった態度を取る。それは教師である碧に対しても例外ではなかった。
「今アンタがしなくちゃなんないのは、オーファンを追うことじゃなくて、その子を安全な場所に運ぶことじゃないのかい?」
その言葉に堅は我に返った。千草を危険に投じさせてまで、敵を追って倒すことは彼にはできなかった。
腑に落ちない面持ちを抱えたまま、堅は碧の指示に従うことにした。
「大丈夫ですよ。腕は全治1週間です。でも、2、3日は絶対安静。ムリは禁物ですよ。」
「はい。分かりました・・」
医者の診断報告に頷く堅。右腕を巻いた包帯が首から下げられたまま、診察室から出てくる。
一番地からの介入を避けるため、道端で派手に転んだと彼は告げた。医者も呆れながら彼の診察に当たったのだった。
「大丈夫か、堅?」
廊下に出ると、待っていた命が心配そうな面持ちで声をかけてくる。
「あぁ。オレは大丈夫だけど・・千草の具合はどうなんだ?」
堅が病院の広場の椅子に腰かけていた舞衣に声をかけた。
「今、病室で寝てるわ。意識を失っただけで、特に怪我とかはなかったみたい。」
「そうか・・」
彼女の返答に、堅も安堵の笑みを見せる。
「それにしても、“お兄さん”は重傷のようね。どうしてHIMEを嫌ってるのか分かんないけど、しばらくは安静にしといたほうがいいと思うよ。」
そこへ碧が、包帯に巻かれた堅の腕を見て声をかける。
「そうはいかねぇ。HIMEにオーファン退治を任せるくらいなら、たとえ体中の骨が砕けようとオレが・・」
「アンタもずい分とガンコだねぇ。まぁ、そんな人はいろいろ見てきたけどね。」
あくまで自分の意思を貫く堅に、碧がため息混じりの笑みを見せる。
「ところで、千草のいる病室はどこなんだ?」
「うん。すぐそこの個室のベットで寝てるけど。」
そういって舞衣は堅を個室に案内する。命、なつき、碧もそれに続く。
訪れた個室のベットには、千草が横たわっているか、あるいは眼を覚まして体を起こしているかしているはずだった。
「えっ・・・?」
しかし堅と舞衣たちは眼を疑った。
そのベットには千草の姿がない。シーツがめくれ上がったままだ。
「まさかアイツ、あのオーファンを追っていったのでは・・!」
「何?オーファン?」
なつきの呟きに堅が眉をひそめる。
「その千草というヤツが抱えていたオーファンだ。そのときは小動物の大きさになっていたが・・アイツはプリスと呼んでいたが・・」
「ということは、千草はそのオーファンを探しに行ったんじゃ・・」
なつきの言葉に命が反応する。そして堅がきびすを返して、部屋を出て行こうとする。
「ダメだよ、堅くん!そんな腕じゃ・・もし千草ちゃんのそばにいた動物がオーファンだったとしても、とても戦えないよ!」
舞衣がたまりかねて堅を止めに入る。しかし堅は、
「いや・・アイツは今、HIMEに対して疑いを持ってる・・だから、HIMEのアンタたちより、オレが行ったほうが・・!」
舞衣の手を振り払い、そのまま外に向かっていった。彼女はしばし困惑に囚われたが、すぐに堅を追うことを決め込んだ。
「私たちも行くわよ。」
碧も指示を送って舞衣を追う。命もなつきもそれに続いた。
病院を抜け出した千草は、なつきに連れてこられた林の中にやってきていた。目的は騒動で離れ離れになってしまったプリスを探すことである。
「プリスー!プリス、どこー?」
呼びかける彼女の声が林の中で反射してこだまする。必死の思いで、自分の思い入れた動物を探し求めた。
そしてしばらく捜索を続けていると、近くの木陰から白い毛並みの動物が姿を見せる。
「プリス!」
千草が喜びをあらわにして、プリスに駆け寄った。プリスも千草の胸の中に飛び込み、じゃれてきた。
「プリス、無事だったんだね!」
千草がプリスとの再会に歓喜を感じる。そしてその嬉しさのあまり、涙さえ見せていた。
「よかった・・ホントに・・・」
プリスの頭を撫でる千草。視線を向けると、怪我していた足の包帯が取れ、その傷もまるで最初からなかったかのように消えていた。
「とにかく、今度こそ病院に行かないと。またあの人がやってきたら大変だからね。」
襲ってきたなつきを警戒しながら、千草はプリスを連れて林を出て行こうとする。
「千草!」
そこへ彼女を探しに来た堅がやってくる。彼は腕に包帯を巻いた状態で彼女の前に現れた。
「千草、どこ行ってたんだ!?」
「お兄ちゃん・・その腕、どうしたの!?」
心配の声をかけ合う堅と千草。
そこで彼は彼女の腕の中にいる動物に眼を留める。
「千草、その動物・・」
「あ、これ?怪我していたところを見つけたんだよ。名前はプリス。」
堅の呟きを受けて、千草が抱えていたプリスを見せる。プリスは千草のそばにいられることを喜んでいるのか、バタバタと尻尾を振っている。
「千草、そいつを持ってたら危ない。オレに渡してくれ。」
「危ないって・・またあの人が狙ってくるとか?」
「あの人って?」
「髪の長い人で、いきなり変わった形の銃を向けてきたの。」
「髪の長い・・銃・・なっちゃんのことか?」
「なっちゃん?」
「高等部1年の玖我なつきだ。そいつ、その動物を狙ってきたんだろ?」
堅がたずねると、千草は小さく頷いた。
「もしかして、お兄ちゃんがプリスを守ってくれるの?」
千草が期待のある表情を見せると、堅は困惑を見せる。するとそれが伝達したのか、彼女も苛立ちを感じ始める。
「違うの?・・・もしかして、お兄ちゃんもプリスを・・・」
「千草・・・」
「どうしてみんなプリスを嫌うの!?プリスがあんな怪物の仲間であるわけないじゃない!」
叫ぶ千草の脳裏に、クラスメイトを襲った円盤生物の姿がよみがえる。プリスが同じ怪物でないと彼女は信じて疑わなかった。
しかしそれで堅が引き下がるはずがなかった。オーファンを野放しにすれば、また誰かが傷ついてしまう。
「とにかくそいつを持ってたら危険だ。オレに渡すんだ。」
「イヤッ!」
嫌がる千草から無理矢理にプリスを取り上げようとする。しかし右腕を包帯で巻かれていたため、思うように取り上げることができない。
互いが力任せになっていると、彼女の腕からプリスが落ちる。4本の足で着地すると、2人から少し遠ざかる。
「プリス!」
「ダメだ、千草!」
プリスを追いかけようとした千草の腕をつかんで、堅が呼び止める。そんな2人の眼の前で、プリスが振り返って全身の毛を逆立てる。
その小動物の眼に不気味な光が宿る。その直後、プリスの体が膨大にふくれ上がり、牙と爪を鋭くする。
「なっ・・!?」
堅が驚愕し、千草が眼を疑った。かわいらしかったプリスが、凶暴性をあらわにしたオーファンに姿を変えたのだった。
「そんな・・どうしちゃったの、プリス・・・!?」
信じられない面持ちで、変わり果てたプリスを見つめる千草。プリスは身構えている堅を睨んで唸りを上げている。
その前足を振り上げ、堅に向けて振り下ろす。
「危ない、千草!」
堅が千草を突き飛ばして、自分も回避行動を取って、プリスの前足をかわす。地面がえぐれ、その衝撃で烈風が巻き起こる。
「プリス、やめて!大丈夫だから!私がそばにいるから・・!」
「やめろ、千草!そいつは・・!」
説得を試みる千草。それを診るに耐えなくなる堅が叫ぶ。
「もう、大丈夫だから・・・」
警戒されないよう、笑みを見せてさらに説得を続ける。しかしプリスは未だに唸りを上げ続けている。
「くそっ!・・こうなったら・・!」
堅は腕を首から下げている包帯を取り外し、右手に波動の刀を出現させる。そして完治していない右腕を振り上げ、プリスに向かって飛びかかる。
振り下ろされた刀の衝撃を受けて、プリスが怯む。バランスを崩し、数本の木々をなぎ倒す。
「プリス!」
悲鳴染みた声を上げる千草。着地した堅に、慌しく駆け寄る。
「お兄ちゃん、やめて!プリスは悪い子じゃないよ!」
「千草、いい加減に・・・!」
「お兄ちゃんは、プリスを助けてくれるよね・・?」
苛立つ堅に信頼の眼差しを送る千草。その思いが間違っているものだと堅は感じていた。
しかしもしこのままプリスを倒せば、千草が悲しむことになる。困惑が彼の心を包み込んでいた。
そこへプリスが再び前足を振り下ろしてくる。しかし困惑に囚われていたため、堅の回避が遅れる。
そのとき、紅い影が飛び込み、プリスを再度横倒しにした。堅たちが振り向くと、追ってきた舞衣たちの姿があった。彼らの危機を救ったのは、碧の愕天王だった。
「迷うな、堅くん!迷ったら何もできないままやられちゃうわよ!」
碧が堅に向かって叫ぶ。斧型のエレメントを構えて臨戦態勢を取る。
「けど、千草が・・!」
堅が反論しようとしたそのとき、プリスの突進が彼に叩き込まれた。
「ぐっ!」
激しい衝撃を受けた堅が、なぎ倒される木々とともに吹き飛ばされる。
「堅くん!」
舞衣がたまりかねて駆け出そうとする。しかしそこを千草に止められる。
「ダメ!プリスが!」
「千草ちゃん・・・でもこのままじゃ、あなたのお兄さんが・・!」
今度は舞衣が困惑を見せる。そこへプリスが右の前足を振り抜いてきた。
舞衣は即座に炎の腕輪を展開して、千草を抱えて飛び上がる。
「舞衣さん・・・!?」
舞衣の発動したエレメントに驚愕を覚える千草。それをよそに、舞衣はプリスに対して戸惑いを感じていた。
「くそっ!デュラン!」
たまらずなつきがデュランを、命が剣を出現させる。
「あっ!ダメェ!」
それに気付いた千草が悲鳴を上げた。
(このままじゃ、千草が・・みんなが・・・)
木々の上に倒れていた堅がうめく。
(けど、アイツを倒したら、千草が・・・)
彼は未だに迷いを抱えていた。千草への優しさか、打倒オーファンか。彼はその選択への答えを出すことができないでいた。
そんな彼の脳裏に過去の記憶が蘇る。それは親友の死だった。
HIMEの力の破壊によって友は死んだ。あかねのチャイルド、ハリーを破壊されて死に陥って消滅した和也のように。
(そうだ・・・)
その直後、堅の迷いが糸のように吹っ切れる。
(オレは、オーファンを倒さなくちゃいけないんだ・・・これ以上、HIMEの悲劇を繰り返させるわけにはいかないんだ・・・!)
思い立った堅が立ち上がる。周囲に波動を拡散させている彼の眼は、血のように紅く染まっていた。
その衝動に、舞衣たちとプリスが振り向く。堅から放たれるまがまがしい空気の流れに思わず息をのむ。
「お兄ちゃん・・・!?」
千草も堅の様子にただならぬものを感じ取っていた。プリスが鋭い視線を堅に向ける。
右手に波動の刀を握り締め、プリスに敵意を見せる。
「ダメ、お兄ちゃん!」
叫ぶ千草。しかし堅は聞く耳を持たず、プリスに向かって飛びかかった。
獣の頭部に刀を叩きつけ、地面に頭部を押し付ける。満身創痍の体の堅が、今までにない強靭な力を発揮する。
地面にめり込まれていた頭部を持ち上げるプリスに、堅がさらに横なぎを見舞う。そして刀の切っ先を、プリスの眉間に突き刺す。
絶叫を上げて昏倒するプリス。絶命し、紫煙に包まれる。
「いやあぁぁぁーーー!!!」
消えていくプリスを目の当たりにして、千草が悲鳴を上げる。舞衣の手を振り払って、死にゆく獣に駆け寄る。
その傍らで堅が着地する。力を抑え、握り締めていた刀を消失させる。
「プリス・・・いや・・いやあっ!」
再び響く千草の悲鳴。その声に堅が我に返る。同時に紅くなっていた眼も元に戻る。
「オレは・・いったい・・・」
自分の両手を見つめ、呆然となる堅。視線を移すと、愕然としている千草がそこにいた。
兄を見る彼女の見る眼が、恐怖と困惑であふれていた。兄を恐れ、背を向けてそのまま駆け出す。
「千草!」
堅がたまらず後を追いかけようとする。しかし糸が切れた人形のように意識を失い、前のめりに倒れる。力を過剰に消費した結果だった。
「堅くん!」
舞衣たちが堅に駆け寄る。
「わ、私は千草を追いかける!」
命が千草を追いかけて駆け出す。HIMEとオーファンの悲劇に、千草までもが巻き込まれることとなった。
「やれやれ。またおかしなことになっちゃったかな。」
堅とHIMEたち、プリスの戦いを、凪は近くの木の上から見下ろしていた。兄妹の決裂の様を、彼は無邪気な笑みを浮かべて見つめていた。
「さて、堅くんはどうするのかなぁ?」
期待を込めた呟きをもらしながら、凪は音もなく姿を消した。
堅と千草の悲劇を遠くから目撃していたのは、凪だけではなかった。
半壊している木々の木陰に1人の人影があった。
「クフフフ・・これで思惑通りに事が運んできたな。」
今の悲劇をあざ笑う人影。
「これからどうなるか、じっくりと見物するとしようか。」
その人影も哄笑をもらしながら姿を消した。
次回
「お兄ちゃん・・どうして・・・」
「オレはこれから、どうすればいいんだ・・・」
「彼は今、戦うことに迷っているのです。」
「友達になってくれた堅さんのためにも・・」
「アンタだったのか、ユッキー。いや、ダイアナって言ったほうがいいかな?」