舞-乙HiME -Wings of Dreams-
23th step「ケイン・シュナイダー」
自分がこれから何をしていくのか、どうなっていくのか。その答えを探すため、センは単身でガルデローべを、ヴィントブルームを後にした。
明確な目的も理由も行く当てもない。ただただ夢遊病者のように彼はさまようばかりだった。
そして砂嵐吹きすさむ砂漠の真ん中で、彼は体力を使い果たし、力なく前のめりに倒れこんだ。このまま砂の海に沈んで躯へと変わり果てるだけ。センはこのとき一瞬そう思っていた。
センが眼を覚ましたのは見知らぬ谷の真ん中だった。はじめ彼は、ここが天国か地獄ではないかと錯覚していた。
「あっ、やっと眼が覚めたのね?」
その谷の不思議な感覚に浸っていたセンは、後ろから声をかけられる。
「テメェは・・・?」
振り返ったセンは、その先にいる少女に眉をひそめた。ふくらみのある胸、しっかりとした面持ち、はねっ毛のあるショートヘア。
「あたしは舞衣。あなたはこの谷の真ん中で倒れてたのよ。」
センの声に少女、舞衣が笑顔を見せて答える。
「谷?オレは砂漠を歩いていたはずだが・・・どこにいたかも分かんなくなっちまってたのかよ・・・」
疑問を抱いたセンが毒づく。そしてさらなる疑問を舞衣に投げかける。
「それで、ここはどこだ?・・普通の場所じゃねぇようだが・・」
「ここは黒い谷だ。」
センの疑問に答えたのは舞衣ではなかった。彼が振り返った先の岩場の上に、もう1人の少女がいた。
古風の装束を身につけ、黒髪を三つ編みにして下げている少し幼さの残る少女である。
「黒い谷?・・アスワドがいたっていう谷か・・で、テメェは誰だ、小娘?」
疑問を解消したセンが少女に問いかける。すると少女が気さくな笑みを浮かべたまま、突然舞衣に飛びついてその胸元に顔をすり寄せてきた。
「こらこら、ミコトったら・・あ、この子は猫神様のミコト。」
「ミコト?奇遇だな。あの女王のそばにいるデブ猫と同じ名だ。」
苦笑いを浮かべながら、少女、ミコトを紹介する舞衣に、センが不敵な笑みを見せる。するとミコトが舞衣の胸から顔を離すと、センに笑みを見せる。
「その猫は私の“眼”だ。」
「あ?何言ってやがんだ?」
ミコトの言葉にセンが眉をひそめる。
「舞衣、ハラへったぞー。ご飯にしよ♪」
「はいはい、分かったわ。」
その疑問など気にも留めず、ミコトは舞衣にご飯をねだっていた。深く追求することでもないと思ったセンは、憮然とした態度を見せた。
「そういえばあなた、まだ名前聞いてなかったね?」
「オレはセンだ。セン・フォース・ハワード。」
「ハワード?もしかしてあのハワード家の?」
「フン。くだらねぇ過去だ・・・ところでテメェもオトメか?耳のピアスの石、GEMじゃねぇのか?」
舞衣の耳にあるピアスに気付いたセンの問いかけに、彼女は微笑んで頷いた。
マイスターローブを身に着けた舞衣が始めたのは調理だった。そこでセンは様々な疑問を覚えていた。
その中で明確になっているものは2つ。1つは舞衣がなぜここにいるのか。もう1つはなぜミコトをマスターとして契約をしたのか。
「ところでよ、テメェはこんなところで何をしてんだ?」
センはまず1つの疑問を舞衣に投げかけた。
「そのGEMとローブ・・テメェ、あの“炎綬(えんじゅ)の紅玉(こうぎょく)”だろ?一応は聞いてるぜ。」
センの問いかけに、舞衣は調理を行っていた手を止める。彼女のエレメントのリングは炎をまとい、鍋やフライパンを温め続けていた。
オトメの責務と恋の狭間で揺れ、悩んだ末に自らの行く末を求めて神籬(ひもろぎ)の森に入り行方不明となった炎綬の紅玉の悲劇は、オトメの間では伝説と憧れの的となっている。その知識をかじりかけだが得ていたセンの話を聞くと、舞衣は苦笑を浮かべた。
「うわぁ・・まさかこんなことになってるなんて・・」
「けどその様子からじゃ、とても悩んでるように見えねぇんだが?」
憮然さを崩さずに告げるセンに、舞衣は半ば呆れながら答える。
「あたし、ホントは気分転換に旅行に出てただけだったのよ。」
「はぁ?旅行?」
舞衣の答えにセンが再び眉をひそめる。
「それで神籬の森に入ったら罠にかかって、そこへミコトがやってきたの。そう、あなたと同じように網にかかってね。」
「で、それでどうしてテメェは、アイツと契約したんだ?とても国のお偉いさんには見えねぇけどな。」
「あぁぁ・・石を持って出てきたのがまずかったのよ。罠にかかっちゃったとき、ミコトが石を飲み込んじゃって。それから全然出てこなくて、あんな形で認証までできちゃうのよ。」
「ケッ!くだらねぇ!ここまでくだらねぇのは初めてだ!」
舞衣から事情を聞いたセンが完全にあきれ果てる。
「まぁ、あの小娘と女王も似たようなもんだな。行き当たりばったりで契約しちまうんだからよ。」
「それはアリカとかいうヤツとマシロという女王のことか?」
ため息混じりに言い放つセンに、ミコトが笑顔で訊ねてきた。」
「そうだが・・テメェ、何でそんなこと知ってんだ?」
「だから言ったではないか。私はいつも“眼”で見ていると。」
再び口にしたミコトの言葉に、センは再び疑問を覚える。だがその疑問を心の片隅に置くことにした。
「ご飯できたわよー。センさんも食べるでしょ?」
食事の準備を終えた舞衣がミコトとセンに呼びかける。断る理由がなかったセンは、舞衣の心遣いに甘えることにした。
チヒロたちと対峙する道を選んだチグサは、コーラルローブを身にまとい、棒のエレメントを構える。それに対しチヒロは、持っていたクサナギに光刃を出現させた。
「あくまでセンさんの意思を継いで戦うつもりなのですね・・コーラルローブ姿のチグサと、クサナギの持つチヒロ・・」
「ハンデとしちゃ、十分ってところか。」
2人の対峙を見て呟くルナの横に、ケインが姿を現した。
「Kさんも来ていたのですか?」
「あぁ。こんなんじゃつまらねぇかと思ってな。少しハンデをくれてやる。」
ルナの問いかけに憮然とした態度で答えると、ケインは右手から炎を放射する。その先で炎が弾けると、その火花に驚いたマシロとミコトが草むらから飛び出してきた。
「マシロ女王、ミコトちゃん・・!?」
「あの娘のマスターがこそこそ隠れていたようだが、これで少しはマシになるだろう。」
ケインの言葉にルナがさらなる驚愕を覚える。
「そんな・・アリカさんとマシロ女王が契約を・・でもマイスターとして認定されていないアリカさんが・・・!?」
「娘が持っていた蒼天の青玉・・それが契約と力の媒体となってる。」
「蒼天の青玉・・レナ・セイヤーズが使っていたマイスターGEMを、なぜアリカさんが・・!?」
アリカとマシロを見比べて、ルナが愕然さをあらわにする。だがすぐに落ち着きを取り戻して、アリカを見据える。
「アリカさん、マシロ女王、私と一緒に来てもらいましょうか?」
ルナの突然の申し入れに、アリカとマシロが振り向く。
「何を言うか!お前たちについていくわらわではないぞ!」
「私はあなたたち2人の事情を知りました。あくまで私たちに抗うつもりでいるなら、場所を変えましょうと言っているのです。」
声を荒げるマシロに、ルナが言い放つ。ルナの言葉を受けて、アリカとマシロが真剣な面持ちで向き合い、頷き合う。
「やるしかないようじゃの・・」
「だがその前にマシロ女王、チヒロ・ゲイ・ハワードにも認証を与えてもらおうか。」
そこへケインが口を挟み、マシロはチグサと対峙しているチヒロに眼を向ける。
「仮契約でいい。いくらクサナギを手にしているとはいえ、これでは力不足だろう。せめて認証ぐらい与えてやれ。」
「・・後で後悔しても知らんぞ。」
ケインに言い放つと、マシロはチヒロに駆け寄った。
「チヒロ、そなたに認証を与える。そなたの強き意思、わらわに見せてみよ。」
「マシロ様・・・はい。分かりました。」
マシロの言葉にチヒロは真剣な面持ちで頷く。
「ではチヒロ・ゲイ・ハワード、我が名において、汝の力を解放する。」
マシロがチヒロのコーラルGEMに口付けをし、認証を与える。そしてマシロは、ルナとともにこの場を離れていくアリカを追っていった。
「それじゃチグサ、容赦しないから・・・!」
「私も手加減なんてまっぴらゴメンだから・・・!」
チヒロとチグサが互いを鋭く見つめ合う。緊迫した空気の中、チヒロがGEMに呼びかける。
「マテリアライズ!」
コーラルGEMが反応し、コーラルローブを身にまとうチヒロ。クサナギを握り締めて、チグサを見据える。
「こういう状況なら、私が不利のように見える。だけどね・・!」
いきり立ったチグサが一気にチヒロの懐に向かって飛び込む。そしてクサナギの柄を棒のエレメントで弾き飛ばし、チヒロの腹部を突く。
「ぐっ!」
「でも分かってるよね!?舞闘でアンタが私に勝てたのはほとんどないって!」
苦痛に顔を歪めるチヒロにチグサが言い放つ。クサナギを拾おうと目論むチヒロだが、チグサにはお見通しの行為だった。
クサナギの前に立ちはだかるチグサ。チヒロは後退して体勢を整え、棒のエレメントを構える。
(お兄さんの力に頼るなってことなのかな・・・どっちにしても、私は負けられない。チグサに負けるわけにはいかない!)
決意を噛み締めるチヒロがチグサに飛びかかる。チグサもエレメントの棒を構えてチヒロの一打を受け止める。
互いの武具が衝突し、激しく火花を散らす。同時にチヒロとチグサの感情も激しくぶつかり合っていた。
「チヒロ・・・アンタ・・アンタだけには!」
舞衣が調理してセンの前に出したのは、彼にとって初めて見るラーメンだった。ジパング出身であり、赴いた経験があることから箸の使い方は分かっていたが、ラーメンの登場に彼は少し戸惑っていた。
その様子に眼もくれず、ミコトはラーメンを口に入れていた。その食欲ぶりにセンは少し呆れた面持ちを見せる。
「どうした、セン?お腹すいてないのか?」
1杯目を食して舞衣におかわりをねだっていたミコトがセンに声をかけてくる。
「いや。こいつを見るのも初めてだったからよ・・普通に箸でつまむのか・・・?」
言葉に迷うセンが、麺を箸でつまんで口に入れる。その味と感触に彼は一瞬呆然となる。
「初めてだが・・けっこうイケるな・・・」
「そうだろ?舞衣のラーメンは最高だ!うんっ!」
笑みをこぼすセンに、ミコトが満面の笑みを見せて大きく頷く。
「これでもインスタントなんだけど、とびっきりのラーメンなんだから。誰かさんのお墨付きのね。」
舞衣も笑みをこぼして答える。やがて彼女も自分のラーメンを食し、3人は満足げな吐息をついた。
落ち着いたところで、センが改めて舞衣に問いかけた。
「ところで、テメェらはこれからどうするつもりだ?まさかずっとここに居座るつもりじゃねぇだろうな?」
「えっと・・まだ悩んでるってところかな。ここを出て行くかどうか。」
「ダメだ!舞衣は私の家来だ!私は舞衣に離れられたら困るぞ!」
苦笑する舞衣の言葉を受けて、ミコトが不機嫌そうな顔を見せる。しかしすぐに舞衣は落ち着いた面持ちでセンに声をかける。
「そういうセンさんこそ、これからどうするつもりなの?」
逆に舞衣に追いかけられて、センが憮然とした面持ちを見せる。
「オレもよくは分からねぇ・・そもそもオレには夢がねぇんだ・・ちっぽけな夢さえねぇんだ、オレには・・・」
「そんなことないと思うわよ・・・そういえばこのことも聞いてなかったわね。あなたは夢と恋、選ぶとしたらどっち?」
舞衣のこの質問を予期していなかったのか、センは困惑を浮かべる。
「もしかしてオトメの制約の話か?オレは男だ。そんな選択を迫られる覚えは・・」
「そういうのは関係なく選ぶとして、どっちなの?」
舞衣に問い詰められて、センは憮然とした面持ちを浮かべる。
「恋ってヤツも実感が湧かねぇんだよな・・どういう気分がそうなのかさえ・・・」
「・・そうだ!セン、私と勝負してみるといい!うんっ!」
そこへミコトがセンに詰め寄り、満面の笑みを見せてきた。
「何言ってやがる。なんでテメェのような小娘の相手をしなくちゃなんねぇんだ?」
「甘く見ないほうがいいわよ。ミコトは、あたしがマイスターローブを着けても敵わなかったんだから。」
舌打ちをしていたセンに、舞衣が微笑んで言い放つ。するとセンはミコトに眼を向けるなり、不敵な笑みを見せる。
「面白いじゃねぇの。後で泣いても知らねぇぞ。」
ミコトの申し出を受けて、センが拳を強く握り締めた。いくらクサナギを持っていなくても、彼女のような少女に負けるとは思えない。センはそう思い込んでいた。
だが舞衣が言ったことは間違いではなかった。センが繰り出す拳を、ミコトは簡単にかわし、逆にセンに強烈な反撃を返していた。その攻撃に苦痛を覚えながらも、センは意地になってミコトに拳を繰り出すが、これもミコトには通用しなかった。
「どうした?まだやるのか?」
息を荒くしているセンに、ミコトが気さくな笑みを浮かべて訊ねてくる。しかしセンは諦めようとしない。
「何言ってやがる・・オレはテメェなんかに負けてやるつもりはねぇ・・・!」
「いい加減降参したら?ミコト相手にここまで粘るなんて勲章もんよ。」
意固地なセンに向けて、舞衣が呆れ顔で呟く。
「お前はいつも一直線なんだ。それがいつも私に攻撃を教えているんだ。」
ミコトが満面の笑顔でセンに呼びかける。
そのとき、センは以前にカタシから言われたことを思い出していた。幼い頃の2人だけですごした時間の中、2人は剣の稽古や試合をしていた。しかしこのとき、センはほとんどカタシに勝ったことがなかった。
“お前はいつも動きが直線的で、オレにはバレバレなんだよ。だから勝てるもんも勝てなくなっちまってるんだよ。”
このときカタシが言い放った言葉がそれだった。そのときは意固地になって突き放したセンだったが、今の彼にはとてに重要なことに思えていた。
(どうやらオレも、くだらねぇことにこだわってたわけか・・・)
センは無意識のうちに微笑をこぼしていた。
(オレがやるべきことが何なのか、分かった気がする・・)
一進一退の攻防を繰り広げているチヒロとチグサ。互いに決定打を与えられず、体力とローブの耐久力だけが消耗し、ついに限界に達しようとしていた。
「チグサ!」
「チヒロ!」
いきり立つ2人がエレメントの棒を振りかざす。だが2本の棒は衝突した瞬間、中心で折れて砕けた。同時に2人のコーラルローブが消失。2人ともガルデローべの制服姿に戻る。
呼吸を荒くしながらも、互いを見据えようとするチヒロとチグサ。だが2人に戦う力は残っていない。
それにも構わずに、チグサがチヒロに飛びかかる。組み合った状態で、チグサがチヒロの頬を叩く。
チヒロも負けじとチグサを叩き返し、オトメの力の介入のないケンカ同然の争いとなった。
それでも勝負がつかない状況の中、投げ飛ばされたチヒロがようやく、クサナギの柄を手にする。
(また甘える形になってるね・・でも、それでも今は、このまま負けてしまうくらいなら・・・!)
チヒロはクサナギを握り締めて、向かってくるチグサに光刃を振りかざした。光刃はチグサの頬をかすめただけだったが、その勢いに彼女はこの一瞬で戦意をそがれてしまった。
しりもちをついて立ち上がれなくなるチグサを、立ち上がったチヒロが見下ろす。クサナギを振り上げて、とどめを刺そうという様子だった。
倒されることを覚悟したチグサがたまらず眼を閉じる。だが振り下ろされたクサナギの光刃は、彼女の眼前で止まっていた。
なぜとどめを刺さないのか。チグサはチヒロの心境が理解できなかった。
「やっぱり虚しいよね。何にも感じないよね・・・オトメ同士の戦いなんて・・・」
「チヒロ・・・!?」
沈痛さを見せるチヒロに、チグサが困惑する。
「チグサ、私はオトメになる。こんな意味のない争いを失くすために、私はオトメになってみせる・・・!」
決意を込めて、チヒロはクサナギを持つ手に力を込めるチヒロ。
「何が正しいのか、何が間違ってるのか。今の私にはまだ分からない・・でも争いを失くして、みんなと手を取り合える世界を作っていきたい・・・それが私が、オトメになりたい理由・・・」
「フン。ずい分な言い草じゃねぇか・・」
そこへ声をかけられ、チヒロが振り返る。彼女とチグサの戦いを見ていたケインが、右手に炎を灯していた。
「テメェの覚悟は生半可じゃねぇっていうのは分かった。だがナノテクノロジーに、世界の未来を導くことはできねぇよ・・・」
「世界や私たちの未来は、ナノマシンとかそういう観点から導かれるものではない。私たちの持つ心と力が、これからの世界を作っていくのよ・・・!」
チヒロの決意の言葉を受けて、ケインが憮然とした態度を返す。
「ならオレも、この世界のあるべき形にしてやる。ナノテクノロジーを全部ブッ壊してな・・・!」
ケインがチヒロに向けて炎を放つ。チヒロは愕然となったまま動けないでいるチグサを抱えて、炎から逃れようとするが、炎はかすかにチヒロの左腕を焦がす。
苦痛に顔を歪めながら、チヒロがチグサを安全な場所に置き、ケインを見据える。
「燃え尽きろ、ヤツの妹よ・・」
ケインは鋭い視線をチヒロに向けて、右手の炎をきらめかせていた。
次回
「テメェらはどうするか知らねぇが、オレは行くぜ・・」
「チヒロを殺せ、ケイン!」
「私もあなたみたいになれたら、どんなによかったか・・・」
「お兄さん・・・!」
「チヒロちゃんもチグサちゃんも、ルナさんも私が守ってみせる!」