舞-乙HiME -Wings of Dreams-
13th step「マリア・グレイスバード」
生徒のほとんどがユーリの毒牙にかかり、無法地帯となってしまったガルデローべ。ユーリの前に現れたナオが不敵な笑みを見せる。
「パールオトメか・・でも認証を受けていないオトメに何ができるというの?」
「あんまりナメてもらっちゃ困るわ。マテリアライズしなくても、アンタなんかに負けたりはしないわ。」
「ずい分な自信ね。でも、あなたの相手は私だけじゃないことをお忘れなく。」
この言葉にナオが笑みを消す。周囲にはユーリに操られている生徒たちが立ちはだかっていた。
(コーラルのほとんどがあの女の言いなりになってるのね・・・)
ナオがこの現状に毒づき、舌打ちをする。巡らせた彼女の視線が、同様に不気味な眼光を浮かべているシホを捉える。
(あのうずまきまで!?・・これは厄介なことになったわね。いろんな意味で・・)
ナオがため息混じりにシホを見据えてから、改めて身構える。そこへアリカ、二ナ、チヒロが駆け寄ってきた。
「ダメです、ナオさん!エルスちゃんたちにケガさせてしまいますよ!」
アリカの呼びかけに、ナオは再び舌打ちをする。生徒たちに一撃を与えるという打開策を封じられ、彼女は歯がゆさを覚えていた。
「仕方ないわね!ここは一時撤退よ!」
ナオの言葉を受けて、アリカ、二ナ、チヒロがいっせいに振り返って駆け出した。追いかけようとした生徒たちを、ユーリは左手をかざして制する。
「追わなくてもいいわ。たとえマイスターオトメでも、生徒相手に迂闊なことはできないからね。」
ユーリはこのガルデローべのオトメに対して、絶対の勝利を確信していた。
突然巻き起こったガルデローべの事件。それはナツキたちマイスターオトメたちにも伝わっていた。
「いつの間にか広まってしまったな・・ここまで・・・」
ナツキもこの事態に歯がゆさを感じていた。シズルも深刻な面持ちを浮かべていた。
「どないしはります?迂闊に手を出せば、生徒さんたちを傷つけることになってしまいますわ。」
「分かっている。今、ヨウコが襲われた生徒の体内を調べている。操られている生徒には、何かが起こっているはずだ。」
「ではうちは、まだ無事な生徒さんを探して、こっちに連れてきます。」
シズルはナツキが頷くのを確認すると、きびすを返して学園長室を飛び出した。
その直後、学園長室の電話が鳴り出した。ナツキはその受話器を手にする。
「私だ・・ヨウコか・・どうした?」
“被害を受けた生徒を調べていて分かったわ。これは吸血鬼ではないわ。”
ヨウコからの連絡が入り、ナツキが真剣に彼女の話に耳を傾ける。
“これはナノマシンによる洗脳よ。ある特殊のナノマシンが混入して、その人を操り人形にしているわ。あの首筋にあった傷は、ナノマシンを挿入された痕跡・・”
「今までナノマシンを発動せず機会をうかがっていた。ナノマシンのエネルギー反応も出ず、本人も気付かない。だから操られているとは気付かなかったんだ。」
ヨウコの報告にナツキが毒づく。
「それで、そのナノマシンを植えつけた者は分かったのか?」
“えぇ。というより、本人が堂々と現れてくれたわ。まるで勝利を確信しているみたい。”
「何!?・・闇に潜む吸血鬼が、ずい分と大胆不敵だな・・シズルに伝えておく。ヨウコも気をつけてくれ。」
“分かってる。今すぐその人物の画像をそっちに送るわ。”
ヨウコの答えると、学園長室のパソコンに転送データが送られてくる。ユーリの顔写真を確認したナツキも、無法となった庭園に向けて行動を開始した。
ユーリと生徒たちから逃げ延びたアリカたち。それでも近くに生徒たちが潜んでいると思い、彼女たちはさらに走り続けていた。
「ねぇ、そろそろ休まない?もうヘトヘトになってきたわよ。」
「そうしたいのは山々なんですけど、ナオお姉さま・・どこから襲ってくるか分からないですから・・・」
文句を言うナオに対して、チヒロが走りながら答える。
「せめて誰かマイスターのお姉さまと合流できれば・・・」
吸血鬼となった生徒たちを警戒しながら、チヒロたちは他のオトメたちを探した。
そんなチヒロの前に突然人影が飛び込んできた。チヒロがその影にぶつかってしりもちをつく。
「アタタタ・・もう、何なのよ、いきなり・・・あれ?チヒロ?」
チヒロたちの耳に、少女の痛がる声が聞こえた。チヒロが前に視線を戻すと、そこには同様にしりもちをついているチグサの姿があった。
「チグサちゃん、無事だったんだね!・・あっ!イリーナちゃんも!」
アリカが驚きの声を上げる。チグサが飛び出してきた草むらから、イリーナが姿を現した。
「もう、チグサちゃん、そんなに突っ走ったら・・って、アリカちゃん、みんな・・・!?」
呼吸を整えようとしているイリーナが、アリカたちに気付く。
「イリーナさん・・無事なのは私たちだけのようね・・・」
チヒロが周囲をうかがいながら毒づいていた。
「とにかく、マイスターのお姉さまの誰かと合流したほうがよさそうね。」
二ナの言葉に全員が同意する。そして再び学園長室に向かって駆け出そうとしたときだった。
突如、操られた生徒3人がチヒロに襲い掛かってきた。
「えっ!?もう追いつかれちゃったの!?」
アリカが驚きを見せて、すぐにチヒロを助けようと前に出る。だが彼女を助けたのは、彼女の兄、センだった。
「お、お兄ちゃん・・!?」
「こんなところで何やってんだ?」
起き上がるチヒロに、生徒たちを引き離したセンが淡々と言い放つ。
「セン、こんなところにどうして・・?」
アリカが当惑の面持ちのままセンに声をかける。センは態度を変えずに彼女に振り返る。
「そんなことはテメェらには関係ねぇ。ったく、どうなってやがるんだ、ここは。」
センはアリカたちにぶっきらぼうに答える。マシロからアリカやチヒロたちの様子を見て来いと言われ、彼はやる気のないような素振りを見せてからこのガルデローべに来ていたのだが、彼はあえてそのことを口にしなかった。
そんな彼らの前に、再び生徒たちが立ちはだかった。
「チッ!まだ向かってくるのかよ。」
舌打ちをするセンがクサナギの柄を取り出し、光刃を出現させる。
「待って、セン!みんな操られてるだけなんだよ!」
「そんなことは関係ねぇ。邪魔するヤツは誰だろうと容赦しねぇ・・・!」
アリカの呼びかけに耳を貸さずに、センは襲い掛かってくる生徒たちに対して迎撃の構えを取る。彼はクサナギを振りかざすが、光刃を当てることはせず、光刃を放っている柄で生徒たちの腹部に打撃を与えた。
痛烈な攻撃を受けた生徒たちが意識を失い、次々とその場に倒れていった。
「セン、あなた・・・」
「オレは殺すのは気に食わねぇんだよ。胸くそ悪くなるからよ・・」
当惑するアリカたちを前に、センは憮然さを見せてクサナギの光刃を消す。
「無事なのはテメェらだけか?」
「うん・・エルスちゃんも、生徒のほとんどが吸血鬼に操られてるようなの・・今、マイスターのお姉さまの誰かに合流したいと思っていて・・・」
センの問いかけにチヒロが答える。彼が周囲をうかがうと、アリカたちも真剣に頷くが、ナオは憮然とした面持ちを浮かべていた。
「センさん、シズルお姉さまたちとは・・」
「さぁな。とにかく、さっさと認証ってヤツをもらってこいよ。やるつもりでいるならな。」
二ナの問いかけにセンがぶっきらぼうに答える。
「それなら心配あらしまへん。」
そこへ、シズルがセンたちの前に姿を現した。
「あっ!シズルさん!」
アリカが笑顔を見せてシズルに駆け寄ってきた。シズルはアリカに笑顔を返すと、横をすり抜けてイリーナに近づいた。
「他の人の眼はごまかせても、うちの眼はごまかせまへんえ。」
シズルは淡々と告げると、イリーナの首筋に手を添えた。眼を見開いたイリーナをよそに、シズルは彼女の首筋に噛まれた痕があるのを見つける。
「マイスターも支配するつもりやったんけど、そうはさせませんえ。」
シズルに指摘を受けると、イリーナが歯がゆい面持ちを浮かべて彼女から離れる。
「なかなか眼の付け所がいいわね。さすが嬌嫣の紫水晶といったところね。」
イリーナがシズルに向けて言い放ち、不敵な笑みを浮かべる。だがその声はユーリのものだった。
「ウソ・・イリーナちゃんまで、吸血鬼になっちゃったの・・!?」
アリカがイリーナの姿を見て驚愕をあらわにする。二ナたちも動揺の色を隠せなかった。
その中で、シズルは落ち着いた様子を見せ、センも憮然とした態度を崩さなかった。
「アンタの目的は?オトメを操って、混乱でも引き起こすつもりなん?」
いつでもマテリアライズできるように気構えながら、シズルがイリーナに問いかける。イリーナを操るユーリがシズルたちに答える。
「混乱ねぇ。それも悪くないかもね。マイスターオトメの誰かをこっちに引き込めれば、私にとってかなり有利になるからね。」
「そうやね・・せやけどそんなこと、うちらがさせると思ってはります?」
シズルが淡々と告げた直後、視線を移したユーリの前にナツキが姿を現した。
「残念だが、これ以上お前の好きにはさせない。」
「学園長まで姿を見せてくれるなんて、実に光栄ね。でも、ガルデローべのオトメのほとんどは吸血鬼となり、私の思うがままよ。」
淡々と告げるナツキに、ユーリは悠然と語ってみせる。するとナツキが不敵な笑みをこぼす。
「吸血鬼か・・それはただのまやかしに過ぎない。」
この言葉に、ユーリに操られたイリーナが眉をひそめる。
「お前は吸血鬼ではない。吸血鬼を装って、特有のナノマシンをオトメたちに植え付けていたのだ。」
「ナノマシン?」
ナツキの言葉にアリカが疑問符を浮かべる。
「お前が混入したナノマシンは、体内に広がって神経を侵食。オトメのナノマシンとも同調してその人間を支配してしまう。違うか?」
ナツキの説明を聞いて、イリーナは不敵に笑ってみせた。
「なかなかのものね。さすがガルデローべといったところね。」
イリーナが言い放ったところで、本物のユーリが姿を現した。
「ついに正体を現したか。こんなマネをして、タダで済むと思ってんのか・・!」
センがユーリに鋭い視線を向けるが、ユーリは悠然さを崩さない。
「テメェをブッ潰せば、それでケリがつくんだろ。」
センがクサナギの光刃の出力を解き放つ。ストリウム・ランスエッジの構えである。
「待って、セン!そんなのを撃ったら、みんなまで巻き込んじゃうよ!」
そこへアリカが呼び止め、センは踏みとどまる。下手をすれば生徒たちを傷つけることを無意識のうちに感じ取っていたのだ。
「いいのかしら、ためらって?」
ユーリが妖しい笑みを浮かべた直後、彼女に操られた生徒たちがセンに飛び掛ってきた。押さえ込まれて倒れるセンの手からクサナギが離れる。
「ぐっ!しまった・・!」
迂闊な反撃ができずうめくセン。彼を助けようと駆けつけようとするアリカだが、他の生徒たちの妨害に阻まれる。
そしてさらなる生徒たちの介入で、アリカと二ナ、ナツキとナオ、チヒロとチグサとシズルに分断されてしまう。
「このままじゃみんなやられちゃうよ・・・!」
「こうなったら、マテリアライズして戦うしかない・・・!」
チグサが不安の言葉を口にして、チヒロが決意を呟く。2人がいっせいにシズルに振り向く。
「せやけど、狙いはあくまであの人やさかい。生徒さんを傷つけたらあきまへんえ。」
「はいっ!」
シズルの指示にチヒロとチグサが答え、その声が重なる。シズルは2人のそれぞれのピアスの宝石に口付けを行い、認証を与える。
「これでよし・・行くわよ、チヒロ!」
「分かってるわよ!」
呼びかけるチグサに言い放つチヒロ。2人はユーリに振り返り身構える。
「マテリアライズ!」
2人の呼びかけに宝石が反応し、ローブが展開されて2人の体を包む。赤のコーラルローブを身に着けたチヒロとチグサが、共通の棒のエレメントを手にして構える。
ユーリの意思に呼応して、生徒たちが2人に襲い掛かってくる。チヒロとチグサはエレメントを駆使して打撃を与え、生徒たちを気絶させていく。
(ゴメン、みんな・・でも、こうするしかないから・・・!)
ともに夢を追い求める級友に手を上げることを悔やみながら、チヒロはユーリを目指して突き進む。それを見たユーリが笑みを消して、この場を離れようとする。
だがその先には、紫のマイスターローブを身にまとったシズルが待ち構えていた。
「逃がしまへん。」
シズルが長刀のエレメントを振りかざし、ユーリに迫る。ユーリはとっさに後退して振り下ろされた刃をかわす。
「みんなを元に戻すなら、アンタを傷つけることはしまへん。」
淡々と告げるシズルに、ユーリは追い込まれていた。盾とも使えたはずの生徒たちは、チヒロとチグサによって気絶させられていた。
「残ったのはあなただけよ!」
「早くみんなを元に戻してよ!」
チヒロもチグサもユーリを鋭く見据えていた。センもクサナギを取り戻してユーリを見据えていた。
完全に追い詰められた状況に陥ったユーリ。だが彼女は唐突に笑みを浮かべていた。
「わざわざ忠告なんてすることはないわ。私の中にあり、生徒たちに植え付けたナノマシンは、私の心臓と完全に同調している。私の行動を完全に止めない限り、生徒たちはずっと私の操り人形よ。」
ユーリが口にした言葉を耳にして、センが眼を見開いた。
生徒たちの洗脳を解くためには、ユーリの息の根を止めなければならない。だが命を絶つことはセンにとって許されないことだった。
「生徒たちを助けたいなら、私を殺すしかないということよ。」
ユーリが眼を見開いて言い放つと、シズルが笑みを消してエレメントを振りかざす。分割された刀身がユーリの胸を貫く。
「なっ・・・!?」
その瞬間にセンが驚愕する。シズルの刃は、ユーリの命を完全に停止させた。
死を迎えたにもかかわらず、笑みをこぼしていたユーリ。
生徒たちの安全と解放のために、自らの手を汚したシズル。彼女自身の心に喜びはなかった。
そんな彼女に向けて、センがクサナギの光刃の切っ先を向ける。その行為にチヒロたちが騒然となる。
「どういうつもりだ、テメェ・・・!?」
低い声音で言い放つセンを前に、シズルは顔色を変えず、身構えようともしない。
「あんなヤツでも人間だったんだぞ!それを簡単に・・・!」
「簡単に迷わずにやったつもりはありまへん。うちかて心苦しいどす・・・」
「ふざけるな!そうやって命を奪って、それで満足できるのか、テメェは!」
沈痛の面持ちを見せるシズルに、センがさらに感情をぶつける。
「お兄さん・・・」
その兄の様子に、チヒロも困惑を隠せないでいた。
「世界の安泰のため、命を殺めることもいとわないのです。」
そこへマリアが姿を見せ、落ち着いた様子でセンに呼びかける。
「ミス・マリア・・・」
ナツキが戸惑いの面持ちでマリアに振り返る。シズルに向けていた光刃を収め、センがマリアに振り返る。
「世界の安泰のため?そんなくだらねぇことで命を奪っていいとでも言いたいのか・・!?」
マリアに対しても鋭い口調で言い放つセン。だがマリアは顔色を変えずに続ける。
「オトメが1国の命運を左右するほどの能力を備えているということは、あなたも知っているはずです。しかしひとたび国同士が衝突することになれば、オトメ同士が戦うことにもなりかねないのです。」
「それがふざけてるっていうんだよ。命を奪うってことが、どこまでくだらねぇことか。それだけ年食ってたら、分かんねぇテメェじゃねぇだろうが!」
「そんな甘えが通じるほど、世界は優しくはありません!」
センの憤りに、マリアがついに強く反発する。
「オトメ同士の本当の戦いは、このような生半可なものではありません。世界と国の行く末が、オトメの力に委ねられた争い・・・私のお姉様方も、その争いに身を委ねたのです・・・」
「国や世界なんか関係ねぇ。命のやり取りをすること自体がくだらねぇってんだよ・・・!」
互いに引こうとしない雰囲気の中、センはマリアに言い放つときびすを返して立ち去ってしまった。
「セン!」
そこへカタシが現れてセンを呼び止めるが、センは聞かずに立ち去ってしまった。
「セン・・・すまない、ミス・マリア。センは悪気があってそんなこと言ったんじゃないんだ。ただ、アイツ・・・」
カタシがマリアに謝罪をして、沈痛の面持ちを浮かべる。
「ただ、アイツ・・誰かが死ぬことを快く思っていないみたいなんだ。たとえどんなヤツであっても・・・」
カタシの言葉を聞いて、ナツキが困惑を浮かべる。センの気持ちを代弁したカタシに、マリアは微笑んだ。
「私も、誰かを傷つけることを快く思ってはいません。しかし、戦争はその心優しい気持ちでさえも無力となってしまうのです・・・」
マリアの言葉に全員が固唾を呑む。彼女がこの現代において数少ない戦争経験者であるだけに、その言葉は重く説得力があった。
しかし争いの悲しみを知っているカタシ、「オトメ」という夢に一途なアリカは、戦争というものに対して懐疑的であった。
ユーリの死亡により、生徒たちに侵食していたナノマシンが機能を停止し、操られていた生徒たちは正気を取り戻した。
しかしシズルがユーリを手にかけたことで、センが不信感を募らせてしまっていた。そのことにカタシ、チヒロ、チグサ、アリカは彼を心配していた。
命の奪い合いという認識が強いため、戦争に対する嫌悪感が1番強かったのはセンだった。
彼がなぜ命を大切にするのか。このとき彼以外、誰もその理由を知らなかった。
次回
「あなたは、オトメについてどう思いますか?」
「アスワド?・・サイボーグか・・」
「破邪の剣、クサナギを渡してもらおうか。」
「これは、まさか・・・!?」
「センさんは、チヒロちゃんの自慢のお兄さんだって、私は信じてるよ。」