魔性の美
悪魔との契約。
同等の代価を支払うことで、その願いを叶えるものである。
その代価は、命か、魂か、はたまた心か。
それはその悪魔の突き出した契約内容に準じている。
とある有名で人気のあるアイドル。彼女は独特のスタイルとキャラクターで、1、2を争うほどの人気を勝ち取っていた。
この日も写真集のための撮影を行っていた。その周囲にいるスタッフの中にいる1人の女性。
芥田雛子(あくたひなこ)。バイトで雑用のためにこのスタジオに入っていた。
雛子は人気アイドルへの憧れを抱いていた。しかし彼女は、アイドルとしてはあまりに不向きな体格をしていて、叶わぬ夢だと半ば諦めていた。
自宅にもアイドルのポスターがいくつか貼られているが、それは彼女たちに対する僻みの意味も含まれているようだった。
いつもどおりの仕事をこなし、時折アイドルの人気を目の当たりにする毎日。
そんなある日の夜、雛子はアイドルの美を心から望んでいた。彼女たちにあって自分にないものを強く欲していた。
しかし叶わないと分かっていたので、それ以上考えることはをやめた。そしてさらにため息をついてから、次の日のための体力を養うため、寝床につこうとしていた。
「大分お困りのようね、お嬢さん。」
そこへどこからか声が聞こえ、雛子が周囲を見回す。しかし誰も見当たらない。
「・・気の、せいか・・・」
ため息をつきながら、今度こそ寝ようとベットに入ろうとした。
そのとき、雛子の前に1人の女性が姿を現す。
「えっ・・?」
雛子は困惑しながらその女性を見つめる。黒装束に身を包んだ女性が妖しく微笑みかける。
「私は見ていたわ。あなた、アイドルのような綺麗な体に憧れているのね?」
女性の言葉が図星だったため、雛子は返す言葉を失ってしまう。女性は微笑んだまま続ける。
「隠さなくてもいいわ。自分に正直になることはとても大事なことだから。」
「それでどうするって言うの?こればっかりはどうにもならないよ。」
女性の言葉に苛立ちを見せる雛子。ところが、女性は全く顔色を変えない。
「でも、それをどうにかできるのよ。」
「えっ・・・?」
その言葉に雛子は眼を見開いた。女性は口元に指を当てて語りかける。
「どうかしら?あなたを1番綺麗で美しく、かわいい女にしてあげましょうか?」
「えっ?あたしが、1番!?」
完全に驚きをあらわにした雛子が聞き耳を立てる。その反応を見て女性が満面の笑みを浮かべる。
「私に任せなさい。あなたに損はさせないわ。ただし・・」
「ただし?」
「あなたを綺麗にする代わりに、あなたの魂をいただかせてもらうわ。」
「えっ・・・!?」
女性の言葉に雛子の顔色が変わる。彼女にとってあまりにも重い代価だった。
「安心しなさい。何も今すぐ魂を奪うようなことはしないわ。奪うのはしばらく時間を空けてから。そうね・・あなたが充実した頃合いかしら?」
それを聞いて安堵を見せる雛子。
「少しやさしめな悪魔の契約だと思ってくれていいわ。よろしければ、あなたの願いを叶えてあげるわ。」
悪魔の契約と証する女性の誘い。少し考えてから、雛子は頷いた。
「ホントにあたしの願いを叶えてくれるなら、何でもあげちゃうから。」
「契約成立ね。それじゃ明日を楽しみにしていてね。あまりの変わりように、あなた自身がビックリしてしまうかもね。」
満足げに頷いて見せて、女性は音もなく姿を消した。そしてその魔性に誘われるかのように、雛子は眠りの中に沈んでいった。
次の日の朝、雛子はいつもの調子で眼を覚まし、起き上がっていた。昨晩の誘いを不思議な夢だと思いながら、彼女は仕事に向かうために準備することにした。
そして眠気を覚ますために顔を洗おうと洗面所に向かったときだった。
「あれ・・・?」
雛子は鏡に映った自分に眼を疑った。その姿は普段の、魅力のない自分とはかけ離れた綺麗な女性の姿だったのだ。
信じられない面持ちのまま、雛子は自分の体に視線を移す。鏡に映った自分の姿そのままの体格になっていた。
「ウソ・・信じらんない・・・これが、あたし・・・!?」
未だに信じられない気持ちでいっぱいになっていた雛子。ふと彼女の脳裏にあの出来事が、女性との「悪魔の契約」が蘇ってくる。
「あれって、ホントだったんだ・・・ということは、あたしも・・・」
雛子が次第に笑顔があふれてくる。そして自らの美貌に狂喜乱舞するのだった。
それでも自分の仕事はきちんとこなさなければならない。雛子はいつもどおりに仕事場に向かっていった。
「おはようございます!」
「おう、おはよう!・・って、えっ?」
元気よく挨拶してみせた雛子だが、監督も他のスタッフも眼を丸くした。
「おい、あんなかわいい子、オレたちの中にいたか?」
「さ、さぁ・・新入りでしょうか・・?」
監督とスタッフの1人が小声が言い合いながら、一変した雛子を見つめていた。
「おい・・君、誰だ?」
監督が恐る恐る訊ねてくる。すると雛子が苦笑いを見せる。
「もう、監督、あたしですよ。雛子です。芥田雛子。」
「雛子・・・えっ!?」
雛子が名乗ると監督やスタッフが驚く。
「た、誕生日はいつだ?」
「8月4日ですけど。」
「お前のモットーは?」
「仕事と夢です。」
「好きな本は?」
「恋愛小説とダイエット本。」
様々な問いと、雛子に当てはまる回答に、監督は驚きながらも確信する。この綺麗でかわいい子が、本当に雛子であることを。
「お、おい・・雛子?」
「はい・・?」
妙に緊張を見せる監督に、雛子はきょとんとなる。
「ちょっと、お前をメインに撮影をしてみてもいいか?」
「えっ!?あたしがですか!?」
「何か、不都合でもあるのか?」
「・・・・はい!やらせてください!」
監督からのこれ以上にない言葉に、雛子は満面の笑みを浮かべて頷いた。
それが彼女の大きな転機となるのだった。
監督の機転は、雛子に大きな飛躍をもたらした。
最高位の美貌と魅力を得た雛子の撮影やアイドルデビューは、瞬く間に彼女の人気を向上させ、知名度を格段に広げた。
自分が今まで憧れていたアイドルたちを追い抜き、雛子はトップアイドルの地位を獲得するまでに至っていた。
平凡な貸し部屋生活も、人並みに住めるものへとなり、生活、仕事ともに不自由ないものとなっていた。
これもあの女性がもたらした奇跡の賜物。雛子は胸中で感謝の意を感じていた。
女性から譲り受けた美貌にさらに磨きをかけ、雛子は何不自由ない仕事と生活を送っていた。
その日の仕事を終えて、自宅に戻る彼女。ベットに腰を下ろしたところで、彼女に美貌を与えてくれた女性が、音も立てずに姿を現す。
「ごきげんよう、お嬢さん。」
女性は妖しく声をかけると、雛子が顔を向けて笑みをこぼす。
「その様子では、充実した生活を送っているようね。私が与えた美しさ、あなたを心身ともに満足させたようね。」
「うん。最初は夢か何かだと思ってたけど、あなたがあたしの願いを叶えてくれたおかげで、あたしも憧れの、ううん、それ以上のアイドルになれちゃったよ。こんなの、夢のまた夢だと思ってたことだったのに。」
微笑む女性に雛子が照れ笑いを浮かべる。すると女性は口元に指を当てながら語りかける。
「それでは、そろそろ契約を果たさせてもらうわ。」
「契約?」
女性の言動に雛子が眉をひそめる。意味深に思えて雛子が唐突に立ち上がる。
その彼女に向けて、女性の眼からまばゆい眼光が輝く。その光に思わず眼を閉じる雛子。眼を開けたところで、彼女は奇妙な違和感を感じた。ふと足元に眼を向けると、
「えっ・・・!?」
雛子は眼を疑った。自分の細やかな両足が灰色に変わり、思うように動かなくなっていたのだ。
「何なの、コレって!?・・足が、動かない・・・!?」
驚愕をあらわにする雛子。その様子を女性は笑みを崩さずに見つめている。
「そんな怖い顔しないで。綺麗な顔が台無しになってしまうわ。」
「あ、あたしに何をしたの!?あたし、どうなってるの!?」
石化していく自分の体に完全に動揺を隠せなくなる雛子。
「私はあなたとの契約を全うしているだけよ。そう、あなたをきれいにしたときに言った、魂の回収にね。」
「えっ・・・!?」
契約を交わした夜のことを思い出したものの、受け入れがたいことのように思っていた雛子。そんな彼女に、女性はさらに続ける。
「いつもだったら命や魂を奪うところだけど、私はあなたのきれいな体をもらうことにするわ。」
「あたしの、体・・!?」
困惑しきっている雛子の前で、女性は身を翻しながら笑みを振りまく。
「私はメデューサ。石化の力をつかさどる魔女よ。」
「メデューサ・・!?」
「私は美しさからかけ離れている女性たちに美貌を与える。私はその美貌が際立った頃を見計らって石化をかけてその体を貰い受ける。お互いに損のない話でしょう?」
魅了するような眼つきで語りかけてくる魔女、メデューサ。彼女に心身を掌握され、さらに石化にも包まれて、雛子は言葉を切り出せなくなっていた。
「私はあなたが臨んでいたきれいさ、かわいさを与えた。それをあなたはさらに磨きをかけて、ここまで仕上げた。」
メデューサが語りかけている間も、雛子の石化は腰に達し、上半身に及び始めていた。
「私はその最高の姿を、石像という形で留めて手に入れる。これが私の趣向なのよ。」
「それじゃ、他の誰かも・・!?」
「それは愚問というものよ。これが私がいつも持ちかけている契約の代償の内容よ。断ることができたはずなのに、あなたはこれを承諾した・・分かっていたことなのよ。」
愕然となる雛子に淡々と語りかけるメデューサ。不安と恐怖で満ちている雛子の表情を見かねて、魔女は満面の笑みを浮かべる。
それが、雛子に向けての最後の魅了と誘惑の幕開けだった。
雛子は大観衆の中心に立っていた。人々の心は完全に彼女に向けられ、彼女の美貌と魅力に惹かれていた。
雛子自身もこの歓声と状況に感無量だった。こんな状態だったら、これほどすばらしいひとときはない。
不安で消えていたはずの彼女の顔に笑みが戻っていく。そしてその笑みは感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
こんな幸せがいつまでも続いてほしい。雛子の気持ちもその一色になっていた。
自分の体が、足から徐々に灰色に変わっていっていることにも気付かずに。いや、気付いていながらも、彼女はこの幸せの中にい続けたいと思っていた。
魔女、メデューサの契約における魔力によって、雛子は灰色の石像と化した。石化の恐怖や不安など全く感じさせないような幸せそうな笑みを浮かべ、その表情は不変のものとなっていた。
それはメデューサが望んでいた表情であり、彼女がかけた幻惑の効力がもたらしたものだった。
「そう。その幸せな顔。それこそ私のものになるのにふさわしいわ。」
雛子の灰色の微笑みを見つめて、メデューサも妖しい笑みをこぼす。
「あなたは私の力を受けて満たされ、そしてあなたを魅了した多くの人の心も満たした。今度は私の心を満たしてもらうわよ。」
物言わぬ石像の頬に優しく手を添えながら、メデューサは満面の笑みを浮かべた。
その翌日から、芥田雛子の姿は観衆の前から消えていた。行方不明という噂まで流れて、人々は不安の色を見せ始めていた。
その傍らで、とある美術館が新しく作品を公開した。その作品とは、行方不明の雛子と瓜二つの石のオブジェであり、気落ちしていたファンの心のよりどころとなっていた。
その美術館のオーナーを兼ねている作家こそが、雛子を高みへと上らせた魔女、メデューサだった。
館内に展示された石像は他にもあった。いずれも人気を博したアイドルや女優など、有名な美女たちを模したものと思われていた。
しかしこれらは全て、メデューサが彼女たちとの契約の上で石化したものである。魔女の企みが全ての元凶というわけではない。
これは全て契約の上で成り立っている美である。彼女たちは拒むことができたにも関わらず、そうしようとはしなかった。美しさ、かわいさに魅入られて、石化という結末を受け入れた彼女たちにも非の打ち所があった。
そう。この結末は、彼女たちが無意識のうちに望んでいた、最高の美を永遠の美とするものだったのだ。
「次は誰を誘惑してみようかしら。」
魔女の欲情と魅了は、さらなる美を追い求める。