ガルヴォルス 第1話「悪魔への変貌」

 

 

「あ〜あ。どうしてこんな夜の道の真ん中でエンスト起こすかなぁ。」

 車の助手席のドアにもたれかかり、長い茶髪の女性がため息をつく。夜の道の途中を走行中に突然エンジンが停止し、なかなか来ない他の車が通りがかるのを待って立ち往生していた。

「もう。車どころか、人1人来ないじゃないのよ。」

 辺りを見回す女性に、次第に焦りと苛立ちの色が浮かんでくる。

 すると、彼女はふと視線を止めた。

 道を照らす明かりの先に、人影がゆっくりと近づいてきていた。

「あっ!誰か来た!おーい!」

 女性が大きく手を振って、その人影に呼びかける。しかし、その直後に彼女の動きが止まる。

 黒く映し出されていた人影が、不気味に形を変えた。影は鋭い爪と牙を思わせる形になり、熊ほどにまでその大きさを肥大化させる。

 女性の中に不安がこみ上げ、後ずさりする。そして獣のような形の影が明かりに照らされた瞬間、

「キャァァーーー!!」

 明らかになった影の正体を目の当たりにして、女性が悲鳴を上げる。影と同様、その正体も不気味な怪物だった。

 爪は狼のように研ぎ澄まされ、トカゲのように凸のある口からは鋭い牙が浮き出ていた。

 怪物は荒い吐息をもらしながら、怯えた女性にゆっくりと近づいていく。

「イヤッ!来ないで!」

 絶叫を上げる女性に、怪物が口から白い液体を吐き出した。液体は恐怖を募らせる女性に頭上から降りかかった。

 液体のぬめり気のある不快な感触に、女性の引きつった顔がさらに歪む。しかし彼女の恐怖が強まるのはここからだった。

 白い液体が彼女の衣服や肌に染み込むと、その部分が硬直したように動かせなくなる。彼女の意思を聞き入れず、見つめた両手が微動だにしなかった。

「な、何なの、コレ!?手が・・動かない・・!?」

 動かない自分の手に疑問と違和感を抱き、女性の体が高まる恐怖のあまり震えだす。

 その間にも、液体の染みがさらに女性の肌や衣服を白く侵食していく。その広がる部分も、彼女の意思に反して動かなくなっていく。

 自分が別の物質になっていくような気分を感じ、女性は声にならない叫びを上げていた。

 白色の広がりによって、女性は硬直していくような、痺れるような感覚を体感していた。極限にまで恐怖の高まった彼女は、何をすればいいのか判断できなくなっていた。

 そんな困惑にかまわず、白色の進行は広がり、恐怖を表した顔面だけを残していた。

「やめて・・・やめ・・て・・・」

 涙ながらに浮かべる恐怖の表情のまま、女性は完全にその動きを止めた。

 その姿を見つめて、怪物は再び荒い吐息をもらした。

 

「調理は的確、かつ迅速に。客を待たせるなよ。」

 料理長の指示が厨房に響く。中の調理士たちが客の注文を受けてそれぞれ調理に取りかかっている。

「おい、和海(かずみ)、遅れてるぞ!」

 1人の調理士が、厨房の奥で調理を進めている短い茶髪をした少女に声をかける。彼女は作った料理を皿に移すため、フライパンを持って移動する。

「あっちっ!」

 そのとき、和海の持つフライパンが、調理を進めている黒髪の少年に右ひじに接触。少年が思わずうめく。

「何やってんだ、和海!」

「す、すいません!」

 その声を耳にした料理長が怒鳴り、和海が頭を下げる。しかし料理長の怒りは治まらない。

「何度も何度もヘマをやって!お前はクビだ!」

 料理長が和海を突き放す。

 彼女はこのレストランのバイトだったが、いつも失敗をしては料理長の怒りを買い、ついにはクビを宣告されてしまったのだ。

「ちょっと待ってください!」

 それに抗議したのは、黒髪の少年、たくみだった。和海と同じバイトである彼は火傷した右ひじを押さえて、料理長に訴える。

「和海は一生懸命やってるんです!少しぐらいその努力を認めてください!」

 たくみの訴えに、料理長は渋い顔で答える。

「しかし和海の失敗は1度や2度じゃないんだ!いくらなんでもこれ以上大目には見れん!」

「せめてもう1度、お願いします!」

「ダメだ!いくらお前でも聞き入れられん!」

 必死に頼み込むたくみの声を、料理長は却下した。するとたくみの態度が一変した。

「なんでだよ・・・!?」

「んっ!?」

「何事にも失敗は付き物だろ!ただ失敗が多いからって、クビにしちまうのかよ!」

「たくみ・・・」

「冗談じゃないぜ!このまま和海をクビにするなら、オレだって!」

「ちょっとやめて!」

 鉄のテーブルに手を叩き付けたたくみに、和海が呼び止める。

「私なんかのために、辞めるなんて言わないで!悪いのは、私のほうなんだから・・・」

 うつむいて視線をそらす和海。しかしたくみの抗議は終わらない。

「これは、オレが言い出したことなんだから・・・!」

 たくみはきびすを返し、そのまま厨房を飛び出していった。和海も彼が気がかりになって後に続く。

「たくみ・・・」

 料理長は立ち去ったたくみの姿に呆然となっていた。

「あいつの性格をもう少し把握しておけば・・・」

 料理長の中に、歯がゆい思いと後悔の念がよぎっていた。

 

「あちちち・・・」

 厨房の奥の洗面所で右ひじの火傷を水で冷ますたくみ。その様子を悲痛の面持ちで見つめる和海。

「なんで、私なんかのために自分から辞めるなんて、バカにもほどがあるわよ。」

「ああ。そういうこと何度も言われてるし、オレ自身そう思う。」

「だったら少しは改善させなさいよ。将来棒に振るようなこと続けてたら、何もできなくなるわよ。」

「ムリだな、今さら。」

 水を止め、タオルでひじを拭くたくみ。

「ここまで成長したら、性格なんてそう簡単に直せないだろ。だったらこのまま自分を貫き通すまでだ。」

「つまり、当たって砕けてるわけね。」

 和海の淡々とした指摘に、たくみは座ろうとした椅子から転げ落ちる。

「これだとなかなかいい人生にならないわよ。まぁ、私も人のこと言えないけどね。」

 尻をさするたくみを見下ろした後、和海が視線をそらす。

「調理のバイト、ここで5件目なのよね。一生懸命がんばっても、いつも失敗ばかりで、結果としてクビになっちゃうわけ。」

「甘いな。」

「えっ?」

 立ち上がったたくみが、疑問符を投げかけてくる和海に答える。

「オレはここで10件目だ。」

「えっ!?そんなに!?」

 驚きの声を上げる和海だが、すぐに納得してうなずいた。

「でもそうよね。そんな感情剥き出しで、すぐに辞めるとか言うから仕方ないことだね。」

「あ、おい・・そんな言い方しなくても・・」

 平然と語る和海に、たくみは肩を落とすしかなかった。

「ところで、名前なんていうの?せっかくだから、覚えてあげるわ。」

 和海がふと振り返り、たくみは答えた。

「オレは不動(ふどう)たくみ。アンタは?」

「わたし?長田和海(おさだかずみ)。覚えておいてね。」

 

 レストランを出たたくみと和海は、ともに街路樹の並ぶ通りを歩いていた。互いに気落ちした様子を見せ、交わす言葉さえ思い当たらなかった。

 そんな暗黙の2人の前に、長い黒髪をツインテールにしている少女が駆け込んできた。

「あれ?和海じゃない。」

「あっ!美奈!久しぶり!」

 再会の握手を交わす、美奈と呼ばれた少女と和海。その様子を呆然と見守るたくみ。

「高校を卒業してからけっこうたつわね。今何してるの?」

 美奈がたずねると、和海は悲しい笑みを浮かべる。

「コックになろうと思って、いろいろバイトして勉強してきたけど、いつも失敗続きで、またクビになっちゃった・・」

「クビって・・!?」

 美奈が気まずく声を荒げると、和海はぼうっとしているたくみの腕を引っ張った。何事か分からずにあわてるたくみ。

「それで、こいつがそのことで料理長に反論して、自分から辞めるって言い出したのよ。」

 不機嫌そうに話す和海のつかむ手を振り払って、頭をかくたくみ。

「それじゃ、2人ともバイト先を探してるわけね。」

「えっ?まぁ、そういうことになるけど。」

 ぶっきらぼうに答えるたくみに、美奈は笑みを見せる。

「だったら、お兄ちゃんの店でバイトしてみたら?」

「えっ!?」

「あなた、人情の強い人に思えるのよ。私のお兄ちゃんもそんな感じの人だから、意気投合するかもね。」

「ホントにいいのか?」

「あなたたちさえよかったらね。」

 釈然としない様子のたくみに、満面の笑みを見せる美奈。

「ところで、アンタの兄さんの店、どんなところなんだ?」

「どんなって、ケーキなどの洋菓子店だけど?」

「えっ!?ケーキ!?」

 驚くたくみに、和海と美奈が疑問符を浮かべる。

「どうかしたの?」

「いや・・オレ、いろいろバイト回って、いろんな料理ができるようになったけど、ケーキは作ったことがないんだ。」

 頭を抱えるたくみを見て、美奈が笑みを浮かべる。

「だったら、お兄ちゃんに教わるといいよ。お兄ちゃん教え上手だから、あなたもすぐにできるようになるって。」

 励ますように語る美奈だが、逆にたくみの不安を増すことになっていた。

 

 美奈に案内されてたくみと和海がやってきたのは、和やかな盛装の洋菓子店だった。

「へぇ、前々から聞かされてたけど、いい店だね。」

 感心の声を上げる和海。店のドアを開けると、数々のケーキと1人の長身の青年が迎えてくれた。

「いらっしゃいま・・美奈、今日も来たのか?」

 挨拶しそうになってやめ、青年が美奈に視線を向ける。すると美奈が笑顔を見せて、

「うん。今日はバイトしたいって人を連れてきたんだよ。」

 美奈に言われ、青年は照れ笑いを浮かべているたくみと和海に眼を留める。

「おや?和海ちゃんじゃないか。」

「お久しぶりです、隆さん。」

「もしかして、和海ちゃんがバイトしたいっていうのは・・?」

「そうだよ。それと、もう1人。」

 美奈に合わせて、たくみに視線を移す隆。

「不動たくみです。よろしくお願いします。」

 きょとんとした様子のたくみに、隆は笑みを見せる。

「きみ、僕と似ているね。」

「えっ?」

 隆の言った意味が分からず、たくみが疑問符を浮かべる。

「どうにも人情が厚くて、気に入らないことにはすぐ反論する、感情的な人間ということだよ。」

「まったくそのとおり。ついさっき、私が注意されたとき、それに抗議したんですよ。」

 ぶっきらぼうに答える和海に、たくみが半ば呆れる様子を見せる。それを見て隆が思わず笑みをこぼす。

 和海があえてクビではなく注意と言ったのは、あまり心配をかけたくなかったからである。

「そうか。まぁ、とにかくよろしくね。」

 その後、美奈がたくみがケーキ作りの経験がないことを話したことによって、隆の教え心に火がついてしまった。

 和海と美奈が接客をしている中、たくみは2時間ばかり、隆に教わりながらケーキを作らされる羽目に陥った。たくみが解放されたのは、夕日が沈む直前のことだった。

 

 隆からやっとのことで解放され、1人暮らしをしているマンションへの帰路についていたたくみ。

 ケーキ作りのおさらいに頭を巡らせ、疲れた肩を落とすしかなかった。

「ふう、明日から大変だ。いろいろと。」

 作り方を思い返しながら、先のことにため息をつくたくみ。

 そんな彼が夜道を歩いていると、1人の女性がおぼつかない足取りで近づいてきた。

「な、何だ?」

 何事かのみこめず、たくみは呆然と彼女の様子をうかがった。

 すると女性が突然、不気味な哄笑を上げた。同時に女性の体が不気味に変形し、たくみが思わず身構える。

 変貌した女性の姿は、まるで蜂を思わせるようで、左手は鋭い針が突き出ていた。

「な、何なんだよ、ありゃ!?」

 たくみが怪物と化した女性に驚愕の声を上げる。周囲にいた2人の女性も怯えた様子を見せる。

 怪物はその悲鳴を聞いて、左手の針を女性たちに向けた。そして針が2本放たれ、女性の胸に突き刺さった。

「イタッ!」

「キャッ!」

 針を刺された痛みにうめく女性たち。そして彼女たちは信じられない光景に驚愕する。

 刺された部分から、女性たちの体が灰色に変色し始めた。怪物が放った針には、相手の体を石に変えてしまう毒が塗られていたのである。

「イヤッ!何なの、コレ!?」

 女性たちが変化していく自分の体に恐怖の悲鳴を上げる。石化は徐々に彼女たちの体を蝕み、その動きを封じていった。それが肺に達しているのか、彼女たちの呼吸が乱れ始めていた。

「た、たすけて・・・だれ・・か・・はぁ・・・」

 たくみに助けを求めて伸ばそうとした女性の手が、石化にのまれて灰色に固まった。

 恐怖と混乱を浮かべたまま、2人の女性が完全に石化した。

 その光景を目の当たりにしたたくみにも恐怖と混乱が染まった。怪物の出現とその能力を受けた女性たちの姿に、どうしたらいいのか分からなくなっていた。

 蜂の怪物の大きい眼がたくみに向いた。その動きにたくみの体が震える。足を進め始めた怪物に対し、たくみは恐怖のあまり後退する。

 怪物が左手を上げた瞬間、たくみは大きく身をひるがえした。石化の毒を持つ針が放たれ、電信柱に突き刺さる。

 顔を上げたたくみは、怪物の右手の殴打を受けて壁に叩きつけられる。強烈な怪物の攻撃に苦痛を感じ、歯軋りするたくみの前に、怪物が立ちはだかり左手の針の切っ先を向ける。

 いかんとも知れない力の差に、たくみは息の詰まる思いでいっぱいになっていた。痛みに悲鳴を訴える体にも、動揺を隠せない。

「何なんだよ・・・何なんだよ、こりゃ・・・!?」

 混乱のあまり、自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。もしかしたら、悪い夢でも見ているのではないのか。

 このまま死ぬのか。不気味な怪物に襲われ、骨も残らず朽ちていくのか。

 全身から湧き上がる恐怖が心を満たした瞬間。

「ああぁぁぁーーーー!!!」

 巡らせている思考が乱れ、絶叫を上げるたくみ。その顔に、螺旋のような紋様が浮かび上がる。

 そして彼の姿も怪物へと変えた。その姿は怪物というよりも悪魔といったほうが正しいだろう。

 肌は青緑、鋭い牙と爪を備え、紅い眼光を光らせていた。

 蜂の怪物がその変化に動揺したのか、数歩後退する。そしてすぐに左手の針を悪魔に向けて放った。

 悪魔はそれを右手で叩き落とした。針は音を立てて床に落ちた。

 動揺の色を強める蜂の怪物。悪魔の吐息が夜の冷たい空気に冷やされて白くなっていた。

 

「女などにうつつをぬかしている場合ではないぞ、総一郎!」

 殴られた青年、飛鳥総一郎(あすかそういちろう)に、父親が見下ろして怒鳴り声を上げる。

 総一郎は伝統工芸の一家の息子で、父親は彼をその跡取りにしようと考えていた。彼が女性と付き合い始めたことに腹を立て、叱り付けたのである。

「お前はこの飛鳥家の伝統を受け継ぐ後継者なのだ!それに泥を塗るようなマネは、絶対に許さん!」

「父さん、オレはオレの生きる道は自分で決めたいんだ!父さんの言いなりになるつもりはない!」

「口答えするな!」

 総一郎の抗議に父は顔を歪ませ、胸ぐらをつかみ上げた。

「お前は飛鳥家を継ぐ者なのだ!いい加減自覚しろ!」

 父親の理不尽な要求に、総一郎の怒りが頂点に達した。

 彼の顔に紋様が浮かび上がり、父親がそれに虚を突かれて思わず手を離す。

「そ、総一郎・・!?」

「いい加減にするのはアンタだ・・オレはアンタの玩具じゃないんだ!」

 総一郎の叫んだ絶叫が、次第に獣の咆哮へと変わる。彼の姿が不気味な怪物へと変えた。

「お、お前・・!?」

 変貌を遂げた息子の姿に、父が動揺する。

 凶暴な怪物へと変身した総一郎。鋭い牙と爪、頭部に突き出た2本の角、強度を増した皮膚。ドラゴンを思わせる肉体だった。

 父が足を進める息子に恐怖の声をかける。

「お、おい、総一郎・・いったい、何が・・!?」

 声を荒げる父親に向けて、ドラゴンの爪が振り下ろされた。鋭い爪に切り裂かれ、父親から血しぶきが飛び散った。

 恐怖を満たして顔に浮き彫りになったまま、父親の体が白く変色して固まった。その直後に、総一郎の姿がドラゴンから人間へと戻る。

「と、父さん・・・!?」

 恐る恐る父親に手を伸ばす総一郎。その手が白くなった頬に触れた瞬間、父親の体がもろく、砂のように崩れ去った。

「あ・・・!」

 消えていく父親の面影に、総一郎は思わず声を上げる。

 白い砂は夜の風に吹かれて霧散していく。わずかに手に残った白い亡がらを握り締め、総一郎は困惑した。

 突如自分に起こった変化。怪物へと変身し、強大な力を手にした。そして勘当していたとはいえ、自分の実の父親を殺めた。

 手にかけた父親の体は石のように固まり、そして砂のように崩れ去った。

「これが・・オレの力・・・オレは・・こんな力を持っていたのか・・・」

 混乱が治まらないまま、総一郎は歩き出した。

 今まで住んでいた家を捨て、父親の怒りを買うきっかけとなった、付き合っている女性のところへと足を進めた。

 

 

次回予告

第2話「ガルヴォルス」

 

突如出現した怪物。

危機に陥ったたくみの怪物への変身。

彼の前に現れた女性。

彼女が語る、怪物“ガルヴォルス”とは?

 

「ガルヴォルス・・それは、誤った人の進化よ。」

 

 

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