Blood –Endless Desire- File.10 偽りの安息
暗闇に満ちた大きな部屋。その中央の床にトールは足を付けた。
彼の手にかかって石化させられたミーアとトモミ。彼女たちは一糸まとわぬ石像にされて、抱きしめ合ったまま動かなくなっていた。
「やっとだ・・やっと君を手に入れることができた・・・この瞬間をどれほど待ったことか・・・」
トールが改めてミーアとトモミを見つめた。2人を自分のものにできたことに、彼は今も喜びを抑えることができないでいた。
「全ては君を手に入れるためだよ、ミーア・・彼女たちも君を手に入れるための布石にもなっている・・・」
トールは部屋の周りに視線を移した。そこには数多くの全裸の美女の石像が立ち並んでいた。
全員がトールによって石化された人たちばかりである。彼女たちは物言わぬ石像にされ、さらに力をトールに利用されることとなった。結果、トールはミーアを上回る力を得ることができたのである。
「君たちのことも邪険にはしないよ・・私の力で絶世の美女に生まれ変わることができたのだから・・・」
石像となっている美女たちを見回して、トールが喜びを振りまく。
「でもミーアを比べればどうしても見劣りしてしまう・・でもそれも仕方のないことかもしれない・・ミーアがすばらしすぎるからね・・・」
トールがミーアとトモミに視線を戻した。彼は再び2人の石の裸身を抱擁してきた。
「このスタイル、この滑らかさ・・私の心を十分に満たしてくれる・・・それだけではない・・・ミーアと一緒にいた君・・・」
トールがトモミの石の裸身を見回していく。彼に見られているのに、ミーアもトモミも何も反応を見せない。
「君も本当にすばらしい・・ミーアとは違ったすばらしさを秘めていて、私の力を受けてそれが解放されている・・ミーアがものにしようとしていただけのことはある・・・」
求めていた以上の喜びと至福を感じていくトール。
「君たちがいれば、私はもう何も望まない・・これでもう、私はブラッドの力を使うことはないかもしれない・・・」
満足したトールが高らかに哄笑を上げる。ミーアとトモミを石化して手に入れたことで、彼は彼自身にとっての最高の幸せをも手に入れたと思っていた。
トールの手にかかり、全裸の石像にされてしまったミーアとトモミ。だが2人の意識は完全に消えていなかった。
「ここは・・・?」
意識を取り戻したトモミ。彼女の意識は暗闇に包まれた世界の中にいた。
「真っ暗・・・どういうことなの?・・・えっ!?」
周りを見回そうとしたとき、トモミは自分が裸であることに気付いた。
「どうして裸!?・・・そうか・・あたし、トールって人にやられて、ミーアと一緒に石にされて・・・」
自分の身に起きたことを思い返していくトモミ。
「全然敵わなくて・・服を破られて裸にされて・・体を石にされて、固くなってひび割れていって・・・」
トモミが自分の体を抱きしめて、歯がゆさを感じていく。
「あたし、このまま裸の石で過ごすのかな・・・でも、こうしていたほうが、辛い思いをしなくていいかもしれない・・・」
「トモミは、そう思っているのか・・・?」
そこで声をかけられて、トモミがうつむいていた顔を上げる。彼女の目の前に現れたのはミーアだった。トモミと同じく意識だけが覚醒しており、一糸まとわぬ姿だった。
「ミーア!?・・・ミーアも、ここにいたんだね・・・」
「どうやら私とお前の心が結びついていたようだな・・そもそも石になっているのにこうして意識を保っていられるのは、常人でないブラッドだからなのだが・・・」
驚きの声を上げるトモミに、ミーアが淡々と声をかける。
「どのみち、私たちはトールの手の中で石像として存在し続けることになることに変わりはない・・私としてはヤツのものとなるのは腑に落ちないが・・・」
ミーアがため息混じりに呟いていく。
「お前と一緒ならば、この気分も我慢できそうだ・・・」
「ミーア・・・確かにアイツのいいようにされるのはイヤだけど・・・」
トモミが沈痛の面持ちを浮かべて、ミーアに寄り添ってきた。
「これでもう、私は楽になれるんだよね?・・こうして石になったままでいれば、辛い思いをしなくて済むんだよね・・・?」
「トモミ・・・そうかもしれないな・・こうして立ち尽くしていればいいのだから・・・」
ミーアも沈痛さを噛みしめて、トモミを優しく抱きしめた。
「本当にすばらしかった・・かわいらしくきれいだから、私はお前を欲した・・そのお前のこの体も、今ではひび割れた無機質な石に変わっている・・・」
「ミーアだって・・・長い間生きてきたから、こういう感じでも平気なんでしょ・・・?」
「どうかな・・・長く生きてきたといっても、体の自由があったからな・・・」
トモミが問いかけると、ミーアが物悲しい笑みを浮かべる。
「どちらにしろ、私たちはこのまま石像として過ごすことになる・・・ブラッドの力を使うこともできない・・・」
ミーアが投げかけた言葉を聞いて、トモミが目を見開く。
「私たちでも、どうすることもできないんだ・・・」
ミーアが完全に諦めていると感じて、トモミは愕然となっていた。
ミーアとトモミを手中に収めたことで、トールの心は満たされていた。彼は2人の石の裸身をひたすら見つめていた。
「本当にすばらしい・・こうして永遠の愛をかたどっている・・・ブラッドということで長い命と若さはあるのだけれど、このすばらしさは普通では手に入れられない・・・」
興奮を抑えきれなくなり、トールが思わず吐息をもらす。
「きっと2人も喜んでくれていることだろう・・ブラッドでは若さと命は得られても、美しさまでは得られないからね・・・」
悠然と語っていくトール。だが石化しているミーアもトモミは、何の反応も示さない。
「これからは私がそばにいてあげるよ・・ミーア、孤独の放浪もここまでさ・・・」
ミーアに言いかけてから、トールがトモミに視線を移す。
「トモミと言ったね・・ブラッドになってしまっていろいろと辛かっただろう・・だが私の中にいれば、もう辛い思いをしなくて済む・・・」
またもトモミの石の頬を撫でていくトール。それでもトモミは反応を見せない。
「しかもミーアと一緒にいられる・・これ以上の至福はないだろう・・・」
再びトモミからミーアに視線を向けるトール。
「ミーアも彼女と一緒で、嬉しい限りだろう・・2人の永遠の幸福を、私は祝福するとしよう・・・」
ミーアとトモミから体を離し、トールは2人を見続けていくのだった。
トールの石化で物言わぬ石像として立ち尽くしているミーアとトモミ。意識だけが覚醒している中、トモミはミーアにひたすら寄り添っていた。
「そういえばトモミ、お前は私にあまり触れてきていなかったな・・・」
ミーアがおもむろにトモミに声をかけてくる。
「またおかしなことを言う・・そんな恥ずかしいの、私はイヤなんだから・・・」
トモミが沈痛さを込めて言葉を返す。
「でも、今の私にやれる欲求解消はこれぐらいしかない・・何もできないのはミーアも同じなんだから・・・」
「そういうことだ・・本当なら私もお前に触れることができるが、私は贅沢をしすぎて、お前を苦しめてばかりだったからな・・だから、お前が私を弄んでいい・・・」
「だから、そういう問題じゃ・・・」
接触と抱擁を受け入れようとするミーアに、トモミは反論しかけてやめる。
「もういいよ・・もう考えるのもイヤになったよ・・・」
「そうだな・・そもそも私は、ここしばらく深く考えたことはなかった・・最近は、お前のことばかり考えていたからな・・・」
自暴自棄になっていくトモミに、ミーアは体を委ねる。
「・・気分がよくなってくる・・・私の日常を狂わせた人なのに・・・」
気分の複雑さを感じながらも、トモミはミーアに寄り添い、触れていく。彼女の手に触れられて、ミーアが高揚感を覚える。
「もしかして、私はミーアを嫌っているんじゃなくて、心を許しているの?・・そうでなかったら、こんなことをする気にもならなかったはずなのに・・・」
考えれば考えるほど、疑問が解消されるどころか膨らむ一方になる。押し寄せる苦悩は、トモミの感情を大きく揺さぶっていた。
「深く考えるな・・辛くなっているお前を見ると、私も辛くなってくる・・・」
ミーアのこの言葉も引き金になり、トモミは徐々に思考しようとしなくなっていく。
「ミーア・・・ホントにわがままなんだから・・・」
トモミはぼやきながらも、安息にすがりつこうと脱力していった。暗闇に満たされた虚無の安息であることに気付かないまま。
私は心が安らげる時間と場所がほしかった。
吸血鬼に襲われて、私はお父さんとお母さんを失くした。
辛くて辛くてたまらなくなっていたけど、それでも気持ちを落ちつけたかった。
1人暮らしを続けていって、私はだんだんと落ち着けるようになっていった。
このままこの生活を続けていってもいいと思っていた。
でも、その安らぎの日常も壊れてしまった。
ミーアが現れて、私は死にかけていたところをブラッドにされて生かされた。
吸血鬼は人とは違う。
人の血を吸って、人とは全然違う存在として扱われている。
そんな吸血鬼、ブラッドにされてしまった私が、今までどおりに生活できるはずがない。
少なくても、周りの人たちはそんな私を受け入れようとしない。
私はブラッドであるミーアと一緒に生きていくことになった。
一変した生き方の中で、私はミーアの手の中で踊らされているような気がしてならなかった。
何とかしてこの息苦しさ、辛さから抜け出したかった。この現状に安らぎなんてとても取り戻せなかったから。
でも一緒の時間を過ごしていくうちに、私は無意識にミーアに心を許すようになっていった。
憎いはずなのに。私の人生を何もかもムチャクチャにした吸血鬼なのに。
憎んでも憎んでも、どうしても憎みきれない部分が、私の中で芽生えてしまった。
そして私は今、ミーアと一緒に石にされて、立ったまま、抱き合ったまま置かれている。
でもこういう状態なら、私は今度こそ楽になれるのかもしれない。
辛いのも苦しいのも味わうことなく、楽に過ごすことができる。
確かに自由はないけれど、本当に楽でいられる。
これで辛いことを感じなくて済む。
私は辛さから抜け出ようと、ミーアとの終わりのない時間を望んでいた。
石化されて物言わぬ石像と化したトモミとミーア。だがトールはトモミの目から、うっすらと涙がこぼれたように見えた。
トールは眉をひそめ、トモミを見つめた。だが彼女の目から涙が出た様子はなかった。
「気のせいか・・ブラッドだから意識があってもおかしくはないが、私の石化を自力で解くことは絶対にできない・・・」
見間違いと思い、トールが安堵の笑みをこぼす。
「君たちはすばらしい・・私がどれほど追い求めてきたかも実感させてくれる・・・」
トールがトモミの石の頬に手を添えて、優しく撫でていく。
「だからこそ、私は君たちを手放してしまうことを恐れるのかもしれない・・私は完全に君たちに依存してしまっている、ということか・・・」
自分の心境も感じ取って、トールが苦笑を浮かべる。
「でも、それでも私は君たちを手放さない・・ここまで力を付けて、ようやくこの手にしたのだ・・その君たちは、他の全てを捨ててでも守る・・・」
またもミーアとトモミの石の裸身を抱きしめるトール。2人から美しさとすばらしさを感じて、彼は喜びを募らせていく。
「ずっとこのすばらしさを感じていたい・・それが私の、今の気分だ・・・」
欲望と渇望がミーアとトモミへの執着に変えるトール。満たされていく心境の一方、彼は2人を喪失させてしまうことをひどく恐れていた。
暗闇の意識の中、ミーアにすがりついていたトモミ。彼女の瞳は虚ろになっており、思考の活発さは完全に失われていた。
「トモミ・・すっかり私にすがりついてしまっているな・・嫌悪しようともせず、何も考えなくなっている・・・」
虚ろな表情を浮かべているトモミを見つめて、ミーアも虚無感を感じていた。
「だがお前はそれに抗おうとせず受け入れている・・ならば私も受け入れよう・・お前を欲し、この手にすることを望んでいたのだから・・・」
ミーアがトモミの背中を優しく撫でていく。こうしてミーアはトモミのぬくもりを感じようとしていた。
「お前が望むなら、私もこの永遠を受け入れる・・それがお前を感じることにつながるのだから・・・」
自分たちに振りかかった運命を受け入れようとするミーア。トモミがそばにいるなら、どうなろうと構わない。それが彼女の願いだった。
そのとき、ミーアは自分の腕に何かが落ちたと感じた。彼女が視線を向けると、滴が落ちてきていた。
「涙・・・?」
ミーアがこの滴に眉をひそめる。虚ろになっているトモミが涙を流したことが、不思議に思えたのである。
「泣いている?・・喜んでいるのか?・・それとも悲しんでいるのか・・・?」
ミーアが呟くようにトモミに問いかける。だが虚ろになっているトモミは、ミーアにすがりつくだけだった。
「お前自身も分からないのか・・・私の本当の願いは・・・」
呟きかけるミーアが、トモミの顔をじっと見つめる。
「お前が本当に納得できる気持ちになってほしいということだ・・・」
ミーアも目から涙を浮かべて、トモミを強く抱きしめる。
「こうして過ごしていくうちに、トモミ、お前がまだどこかで納得できていないような気がしてならなくなってきた・・・」
トモミのぬくもりを感じていくミーア。しかしミーアは拭い去れない虚無感を感じていた。
「お前が求めているものが、本当にここがあるのか・・トモミ・・・?」
次第に歯がゆさを募らせていくミーア。感情的になり、彼女もトモミにすがりついていた。
「何でもいいから答えてくれ・・・トモミ・・・」
私はミーアとの終わりのない時間を過ごそうとしていた。
ずっと楽でいられるなら、ずっとこうしていてもいい。
ミーアとだけど、1人で過ごすわけじゃないから寂しくはない。
全く満足しているとは言い切れないけど、辛さも不満もないからそれでもいい。
そう思いこまないと、また辛くなってしまう。
そう思えてならなかった。
それなのに、どうしても気持ちが楽にならない。
私は受け入れたはずなのに、どこかでこの楽を拒絶しようとしている。
どうして?
私は楽になることを望んでいて、今こうして叶っているのに。
この時間が、本当は私が望んでいた願いではない。
私が求めていた楽。本当は自由がなくちゃいけなかった。
自由があれば楽になれる。心から満足できる。
私が求めていた本当の楽は、こうして石にされる前に過ごしていた私たちの時間だったのよ。