Blood –Blue Fiend- File.8 死人の雫
ハヤトの行方を追って、西洋教会へ進んでいたエドガー。彼の動きを察して、ヴィーナスの女性用兵が彼を狙っていた。
「侵入者発見。サターン統率者、エドガー・ハワードです。」
用兵の1人がエドガーを監視しながら報告を入れていく。
“了解。あくまでエドガーの動きの把握が目的だ。戦闘は極力避けろ。”
「了解。」
指揮官の指示を受けて用兵が答える。そしてなおも前進するエドガーの監視を続けた。
だがその用兵たちの気配を、エドガーは既に感付いていた。
エドガーはブラッドの力を発動させ、周囲の空気を凍てつかせていく。突然の力の発動に用兵たちが驚愕する。
冷気は森を一気に侵食し、草木やそこにいた用兵たちを一瞬にして凍てつかせた。
「愚かな。お前たち程度では、私の力の全てをさらけ出すこともできない。」
エドガーは冷淡に告げると、凍てついた女性用兵たちを背にしてさらに歩き出す。その前に1人の少女が現れ、エドガーは足を止める。
「私の冷気から逃れるとは、大したものだな・・・光明のサツキ。」
エドガーが少女、サツキに鋭い視線を向ける。サツキも真剣な面持ちでエドガーを見据える。
「まさかあなたが出てくるとはね、エドガー・ハワード。暇つぶしで出てきたようには見えないわね。」
「妙な明るさを持った娘だ・・光栄に思うがいい。今回の私の目的はお前だ。」
「私?私を狙ってくるなんて、物好きね。」
サツキが淡々と答えると、エドガーが憤りをあらわにしていく。
「この上ない禁忌を犯しておきながら、ひどく落ち着いているようだな、石川サツキ・・・!」
「禁忌?」
「そうだ。お前が犯した最大の禁忌。それはハヤトをたぶらかし、堕落させようとしたことだ!」
エドガーが眼を見開いて、サツキに敵意を向ける。彼の右手から放たれた閃光が、刃となって彼女に伸びる。
その一閃はサツキの体を真っ二つにしたように見えた。だがその直後、サツキの姿が霧散して消えた。
「一筋縄ではいかない、とでも言いたいのか?」
エドガーは振り返らずに背後に声をかける。その背後にはサツキが立っていた。
「自慢する気はないんだけどね。楽しくなればいいと思ってるだけ。でも・・」
サツキはエドガーに言いかけて、笑みを消していく。
「あなたからは楽しさがまるで感じられない。ハヤトとは違う・・・」
「・・馴れ馴れしく、ハヤトの名を口にするな・・それが許されるのは、私だけだ・・・!」
サツキに対してさらに憎悪を膨らませていくエドガー。
「その禁忌、結局はあなたの勝手の押し付けじゃない。そんなのは禁忌だなんてたいそうなものじゃないよ。」
「勝手を口にしているのはお前のほうだ、愚か者が!」
言いとがめるサツキに向けて、エドガーの怒号が飛ぶ。
「いつまでもいつまでも調子に乗りおって!お前のような下等な種族が、ハヤトと対峙することすら滑稽に値するもの!己の分をわきまえろ!」
「・・確信したわ。あなたを、ハヤトのそばに行かせるわけにいかない。」
サツキが眼つきを鋭くして、エドガーの前に完全と立ちはだかる。
「あなたはハヤトを不幸にする。私の周りの人が不幸になるのは、私は耐えられない・・・!」
「ならば命を終えるがいい。お前の命にピリオドを打てば、お前に幸福が訪れる。もちろんハヤトにも!」
悲痛さを噛み締めたサツキに、エドガーが狂気に満ちた笑みを浮かべて飛びかかっていく。紅い光を放ち、再び一閃を繰り出すが、サツキは飛び上がって回避する。
その直後、エドガーがブラッドの力を解き放ち、冷気を放つ。さらに凍てついていく森の中、サツキはその凍結をかいくぐっていく。
「氷があなたの力のようね。それであなた自身の心も凍らせてるの?」
「世迷言を。私の力は凍結が主流ではない。」
サツキの言葉を一蹴すると、右手に灯った紅い光を振りかざす。解き放たれた刃の群れを、サツキは身を翻してかわしていく。
刃をかいくぐって、サツキはエドガーの懐に飛び込む。彼の体に右手をかざし、衝撃波を放つ。
「ぐっ!」
苦痛に顔を歪めて突き飛ばされるエドガー。何とか踏みとどまるも、至近距離からの直撃に彼は追い込まれていた。
「これ以上は意味がないわ。氷を消してここを離れて。でないと、私はあなたを殺さなければならなくなる。」
サツキはエドガーに向けて鋭く言い放つ。それを受け入れまいとしていたが、追い込まれていることをエドガーは否めなかった。
「私を追い込むとはさすがだ。褒めておこう。だが・・」
エドガーは突如不敵な笑みを浮かべると、かざした右手に紅い光を宿す。
「お前は暗殺者としてはずい分と甘いようだな。」
「ムダよ。もしもあなたがここを離れないなら。私は今度こそあなたを殺す。そう言ったはずよ。」
「そうして相手に生死を選ぶ権利を与える・・その時点でお前は甘いといっているのだ・・・」
さらに言いかけるサツキに対し、エドガーは引かない。彼の右手から一条の刃が放たれ、凍てついている木の枝を切り落とした。
「お前はムリでも、凍てついている周囲のものならばたやすいことだ。そう。私の力で一瞬にして氷付けになった者たちも。」
「あなた、まさか、私たちの仲間を・・・!?」
エドガーのこの言葉に、サツキが初めて驚愕をあらわにする。
「ここで力を拡散させれば、間違いなく周囲にも被害が及ぶ。無防備のお前の仲間は、確実にその巻き添えを受けることになる。」
「やめなさい!そんな卑怯なこと!」
「卑怯?この戦いにおいて卑怯など些細なこと。そこに身を置いているお前にも十分理解できているはずだろう?」
声を荒げるサツキをエドガーがあざ笑う。
「さぁ、どうする?大人しく私の制裁に下るなら、取りやめても構わないが?」
「私はあなたには屈しない。すぐにあなたを止める・・!」
サツキがたまらずエドガーに飛びかかる。だがこれは普段落ち着いている彼女にとっては、攻を焦る行為に他ならなかった。
サツキの天真爛漫さを垣間見たことで、ハヤトは次第に穏やかさを覚えていっていた。彼自身、ひどく落ち着いているものだと思わずにはいられなかった。
「オレは、そこまであの女に感情移入しているというのか・・オレがここまで堕ちたというのか・・・」
自分自身の心さえも見失いそうになり、ハヤトはたまらず自分の顔に手を当てていた。
「これはオレになかったものだというのか・・それとも、始めはあって、いつしか忘れていたものなのか・・・」
自分の中で芽生えていく感情。ハヤトはサツキを放っておけなくなっていた。
そしてついにハヤトも、ここに近づいてきているエドガーのところに向かうことを決意する。
「何がしたいのか明確にはなっていない。だが、それでもオレは、アイツのところに行かなくてはならない。そう思える・・・」
いつしか森のほうへ駆け出していっていたハヤト。彼は無意識に、サツキへと心が引かれていた。
凍てついた仲間を救うため、エドガーに飛びかかっていくサツキ。だが感情的になっているために動きが単調になり、エドガーに先読みされることになった。
「どうやら見かけ倒しのようだったな。こうも脆く折れるとは。」
息を荒げているサツキを見て、エドガーがあざ笑ってくる。
「人間というものは実に脆いものだな。わずかばかりの揺さぶりで、簡単に自滅の道を辿るのだからな。」
「あなたは、人間を甘く見ている・・人間を理解していない・・」
「理解する気もない。力も精神力も私よりはるかに劣る下等な存在など。」
声を振り絞るサツキに、エドガーがねめつけるように言い放つ。
「そうやって人間を甘く見ていると、いつかその人間に寝首をかかれることになるわよ・・」
「その格好でよく大口を叩けるものだな。だが、そこがお前の限界というものだ。」
エドガーは笑みを強めると、紅い光を解き放ち、弾丸にして発射する。サツキは力を振り絞って、紅い弾の群れをかわす。
(こうなったら、あれを使うしかなさそうね。聖なる存在のヴィーナスからも、聖なる邪とされている禁断の力・・)
サツキはエドガーに対して、最後の特攻を仕掛けようとしていた。
(あの人の懐に飛び込んで、一気に叩き込む・・決まれば勝ちは確実だけど、外したら逆に負けが確実になる・・つまり、これで優劣、勝敗が決まる・・・!)
意を決したサツキが、不敵な笑みを浮かべているエドガーを見据える。
(やってみせる・・やらなくちゃ、みんなを守れないから・・・!)
思い切ったサツキが駆け出し、エドガーに飛びかかる。だが真っ直ぐに向かってくる彼女に対して、彼は悠然としていた。
「血迷ったか?真正面から来て倒せるとでも・・」
エドガーが笑みを強めて、光を宿した右手を振りかざす。だが繰り出した一閃の先にはサツキの姿がなかった。
サツキはエドガーの懐に飛び込んできていた。彼女は右手に白い光を宿していた。
(一気にこれを叩き込む!)
「くっ!」
サツキがその右手を伸ばし、エドガー毒づきながら回避行動を取る。彼女の右手は彼の左肩に叩き込まれた。
(外した!?)
急所を外してしまい、サツキが愕然となる。だが彼女の攻撃は、彼の動きを封じ込むには十分だった。
攻撃された左肩から無機質な音が響き渡った。その肩が色を失くし、石化を始めていた。
「これは・・・変質と崩壊をもたらす力・・・所謂死の宣告か・・」
エドガーがサツキがもたらした力の効果を分析する。
「これを急所に直撃させれば、その者は確実に死を迎える。だが急所から外れれば、一部の者ならばその死を免れることが可能・・・」
思い立ったエドガーが、崩壊を引き起こしている自分の左腕を引きちぎった。鮮血があふれ出し、激痛を覚えて顔を歪める。
そしてエドガーは間髪置かずに、怯んでひざを付いているサツキの背後に回りこむ。そして右手から光を放ち、触手のように彼女の体を絡め取る。
「あの状況下で、私をここまで追い詰めるとは。これほどの力量の持ち主は、お前がハヤトに続いて2人目だ。」
エドガーが鋭い視線を、満身創痍のサツキに向ける。
「それを称えて、お前の血をいただかせてもらう。大罪の罪人でありながら、この私の糧となれるのだ。光栄の極みであろう。」
エドガーはサツキを後ろから組み付く。取り巻いている紅い光が消えた瞬間、エドガーの牙がサツキの首筋に突き刺さった。
「うああぁぁっ!・・かはぁ・・・!」
一気に血を吸われて、サツキがあえぎ声を上げる。力を使い果たした彼女には、エドガーの吸血に抗うことができなかった。
(ダメ・・体に力が入らない・・・ゴメン、ハヤト・・あなたを、守れそうにない・・・)
ハヤトを想い、サツキは悲しみにさいなまれる。血を吸い取られ、彼女の体から力が抜けた。
サツキとエドガーの気配を探って、ハヤトは森の中を駆け回っていた。その最中、彼はサツキの気配が弱まっていくのを感じ取った。
「まさか、エドガーがあの女を・・・!?」
眼を見開いたハヤトがさらに急ぐ。もはや周囲に気付かれないようにする暗躍は、今の彼には持ち合わせていなかった。
そしてついに、ハヤトは森の奥にある小さな広場にたどり着いた。
「この辺りにいるはずなんだが・・・どこに・・・」
周囲を見回して、サツキとエドガーを探すハヤト。数歩歩いたところで、彼は眼を疑った。
彼が見たのは、エドガーに首筋を噛まれているサツキの姿だった。彼女は血を吸われて、体が脱力していた。
ハヤトが姿を見せたことに気付いて、エドガーがサツキから牙を離して、ハヤトに視線を向ける。
「無事だったのか、ハヤト。よかった。心配したよ。」
エドガーがハヤトに向けて淡々と声をかける。
「ハヤト、お前をたぶらかしていた女は今、私がこの場で断罪したよ。彼女は死をもって、私たちを堕落させようとした大罪を後悔することになるだろう。」
エドガーの言葉を耳にして、ハヤトがサツキに眼を向ける。サツキは力を失いながらも、ハヤトに眼を向けてきていた。
「左腕をやられてしまったが、時期に再生する。これで私とお前、2人の優位は改めて周囲の者たちに認識されることに・・」
エドガーが悠然と言いかけたところへ、一条の紅い光が飛び込む。彼の頬に切り傷が付けられ、血があふれる。
光を放ったのはハヤトだった。彼が掲げた右手から紅い光が放たれたのだ。
「これは、どういうつもりなのだ、ハヤト・・・?」
「その女を放せ、エドガー。オレの牙にかかりたくなければな。」
疑問を投げかけるエドガーに、ハヤトが鋭い視線を向ける。
「何を言っているのだ、ハヤト?こいつは人間。しかもお前を堕落させようとした愚か者だぞ。」
「何度も言わせるな。その女を放せ。でなければ、今度はお前の首をはねるぞ・・・!」
苦笑を浮かべるエドガーに、ハヤトがさらに言い放つ。その態度に観念したかのように、エドガーはハヤトに向けてサツキを投げる。
ハヤトがとっさに彼女を受け止める。彼女の顔を見て、ハヤトがいたたまれない気持ちにさいなまれる。
「何をこんなところで寝ているつもりだ!?・・あのとき、オレを完膚なきまでに叩きのめした威勢はどこへ行った・・・!?」
「エヘヘヘ・・ゴメン、ハヤト・・ちょっと、ドジっちゃった・・・」
歯がゆさを浮かべて言いかけるハヤトに、サツキが笑みを作って答える。
「ハヤト・・あなたは強い優しさを持ってる・・私以上に・・・」
「何を言っているんだ・・オレにそんなものは・・・」
「ハヤト、自分の気持ちを素直に受け止めて・・自分を知って初めて、自分がしたいことが見えてくるから・・・」
冷徹さを見せようとするハヤトに、サツキは切実な心境で言いかける。その言葉にハヤトが困惑を覚える。
「私はハヤトを信じてる・・・だからハヤト、自分の気持ちにウソをつかないで・・・」
「サツキ・・・」
ハヤトがサツキが伸ばしてきた手を取る。するとサツキが満面の笑顔を見せてきた。
その直後、サツキの手が、ハヤトの握る手から滑り落ちる。その瞬間、ハヤトはサツキが命を閉ざしたことを悟る。
「サツキ・・・」
サツキを想うようになっていたハヤトの眼から、無意識に涙が流れる。それが彼女を失った悲しみであることを、彼は直感していた。
「ようやく息絶えたか・・忌々しい分際で、往生際悪く生き延びるのだからな。」
そこへエドガーがあざけりの言葉を入れてきた。それがハヤトの解放されていた感情を逆撫でした。
ハヤトがエドガーに向けられた鋭い視線。それと同時に一条の刃が放たれ、エドガーの右肩を穿った。
「ぐおっ!」
突然の攻撃と激痛に、エドガーがうめいてひざをつく。ひざまずくエドガーを、ハヤトが眼つきを鋭くして見据える。
「ど、どういうつもりだ、ハヤト!?・・なぜ、この私を・・・!?」
「エドガー、今すぐオレの前から消え失せろ。今はオレは、お前の姿を見たくない。声を聞きたくない。気配も感じたくない・・・!」
なぜ攻撃されているか分からないでいるエドガーに、ハヤトが鋭く言い放つ。
「何を言っているのだ、ハヤト!?私はお前のために、お前を堕落させようとしていたその女を断罪しただけだ!その私が、なぜお前に責められなければならないのだ!?」
「もう1度だけ言う・・死にたくなければ消え失せろ。でなければ、オレがこの場で消す・・・!」
声を荒げるエドガーに対し、ハヤトがさらに言いかける。その威圧感に押されて、エドガーは撤退を余儀なくされた。
「ここは大人しく、お前の言うとおりにしよう、ハヤト・・だがその女に感化されたのならば、いずれお前は後悔することになる・・・忘れるのだ・・手遅れになる前に・・・」
エドガーはハヤトに言い放つと、満身創痍の体を引きずって、この場を後にした。静寂を取り戻した森の中には、ハヤトとサツキだけが取り残されていた。
「サツキ・・オレはいつしか気付いていたのかもしれない・・お前に気付かされたのかもしれない・・オレが誰かの、何かのために戦うことを、お前は見えていたのだろうか・・・」
ハヤトはサツキを見つめて、自分の心境を確かめていた。彼女の亡骸を彼は強く抱きしめていた。
「これが悲しみなのか・・・大切なものを失った衝動なのか・・・これらが、これほど愛おしく思えるようになっていたのか、オレは・・・!」
悲しみをこらえきれず、ハヤトはひたすら涙を流した。彼はサツキを抱えたまま立ち上がり、さらに涙ぐむ。
「サツキ、オレは行く・・オレ自身の戦いを、オレは勝ち進んでいく・・・」
サツキに決意を告げるハヤト。彼の背後には、沈痛の面持ちを浮かべているディオネの姿があった。
それを期に、ハヤトはサターンを離反し、ヴィーナスに身を置き、エドガーと敵対することを決意した。