Blood –Blue Fiend- File.7 光明のサツキ
石川(いしかわ)サツキ。
ヴィーナスの中でもずば抜けた戦闘能力を備えた少女。
彼女の戦いの中できらめく光から、「光明のサツキ」と呼ばれていた。
ハヤトはサターンに身を置いていた。彼は敵を葬ることに恍惚を覚え、血に飢えていた。
その姿に、サターン統率者であるエドガーも喜びを感じていた。戦慄に満たされたハヤトの姿が、エドガーの眼に焼きついていた。
そんなある日、ハヤトはヴィーナスのヴァルキリアを葬ろうと、戦線に赴こうとしていた。
「ハヤト、お前だけでいいのか?私も向かってもいいのだぞ。」
「他のヤツらがいると足手まといなだけだ。ここはオレ1人で十分だ。」
エドガーが声をかけるが、ハヤトは憮然とした態度でそれを一蹴する。そしてハヤトは単独で駆け出していった。
「冷淡で何者も寄せ付けない。このサターンでも完全に孤立、独立独歩している男。だがそれがいい。その姿こそ、私の渇望を埋めてくれる・・」
ハヤトの姿に対して歓喜を募らせていくエドガー。それがエドガーが望むハヤトの、「蒼の死霊」としての姿だった。
この日のハヤトは、ヴィーナスの本拠地である西洋教会に乗り込もうとしていた。ヴィーナスを本格的に叩き潰そうと考えていたのだ。
自分の力がどこまで及ぶものなのか。ハヤトは戦慄に満たされた日々を常に過ごしていた。
その彼の前に1人の少女が現れた。長い黒髪をひとつにまとめてポニーテールにしている。
「何だ、お前は?ヴィーナスの手の者か?」
ハヤトが眼つきを鋭くして声をかけるが、少女は悠然とした面持ちを浮かべて微笑んだままだった。
「何がおかしい?オレを愚弄しているのか?」
「ううん。ただ、これから楽しい勝負をできると思うと、笑いをこらえられなくて・・」
笑みをこぼす少女の態度が、ハヤトの感情を逆撫でした。
「よほど死にたいようだな。後で後悔しないことだな。」
ハヤトは言い放つと、右手に紅い光を宿して少女に向かって放った。少女は回避も防御も見せず、その光に直撃されたかに見えた。
だがハヤトは笑みを浮かべていなかった。少女が命中する直前でかわしていたからだった。
ハヤトは周囲に視線を巡らせて、少女の行方を追った。だが少女の動きも気配もつかめず、彼は焦りを覚える。
「ダメだよ、そんなに焦ったら。」
そのとき、ハヤトの背後から少女の声がかかってきた。眼を見開いたハヤトがとっさに跳躍し、少女から離れる。
「くっ・・動きは速いようだな。」
「動きだけじゃないってところも、見せておかないといけないね。」
毒づくハヤトに対し、少女は悠然さを崩さない。彼女が指を弾くと、ハヤトが左肩に衝撃と苦痛を覚える。
「何っ!?」
いきなりの攻撃にハヤトが驚愕する。数歩後ずさりして、彼は少女に視線を戻す。
「空気の弾丸か・・指を弾いた衝撃で空気圧の弾を撃ってくるとは・・・!」
「次は力を見せるのもいいかもね。」
毒づくハヤトに向けて、少女が駆け出す。一気に間合いを詰めると、少女はハヤトの背後に回って両腕を後ろ手に回す。
「ぐっ!お、お前!?」
「さて、ここからあなたはうまく抜け出ることができるかな?」
声を荒げるハヤトに、少女は微笑みかける。力を込めて逃れようとするハヤトだが、少女の腕から抜け出ることができない。
(何て力をしているんだ、この女は!?・・うまく組んでいるのもあるが、オレが力で抜け出せないとは・・・!)
少女の力に脅威を覚えるハヤト。人間ではないのではという疑念まで抱くようになっていた。
そのとき、少女が突然ハヤトの腕を放してきた。突然の解放にハヤトは勢い余って前のめりに倒れそうになる。
体勢も感情も狂わされたハヤトが踏みとどまって振り返る。その直後、少女がハヤトの懐に飛び込んできていた。
「やっぱりあなた強いね。楽しかったよ。」
少女は優しく言いかけると、ハヤトに向けて衝撃波を放つ。その直撃を受けたハヤトが突き飛ばされ、その先の大木に叩きつけられる。
完膚なきまでに叩きのめされて意識を失うハヤト。その前に少女が立ち、その後に数人の女性が集まってきた。
「やりましたね、サツキさん。あの蒼の死霊をこうも簡単に・・!」
女性の1人が歓喜の声を上げるが、少女、サツキは苦笑いを浮かべて答える。
「簡単だったわけじゃないよ。この人、ものすごく手強かったよ。」
「えっ!?そうだったんですか!?とてもそんなようには見えませんでしたけど・・」
サツキの言葉に女性が驚きの声を上げる。
「本当よ。組んでいるとき、取り押さえるのに必死だったんだから。」
「うわぁ・・やっぱりすごいんですね、蒼の死霊は。」
女性が感嘆の声をもらすと、サツキは女性たちに呼びかける。
「この人は私が始末をつける。ディオネにそう伝えておいて。」
「分かりました。くれぐれも気をつけてください。」
サツキの指示に、女性たちは彼女に注意を促してから散開した。周囲に人がいなくなったところで、サツキはハヤトに眼を向けた。
「でも、ディオネには分かっちゃうんだけどね・・・」
ハヤトが眼を覚ましたのは、見慣れない小さな寝室のベットの上だった。彼は起きると、自分が置かれている状況を確かめようとする。
「あ、やっと起きたみたいね。」
そこへ女性の声がかかり、ハヤトは眼つきを鋭くする。ドアの先にいると思われる何者かに対し、ハヤトは警戒心を強める。
やがてドアがノックされ、ハヤトは奇襲に向けて身構える。だがドアは普通に開かれ、その先には先ほど圧倒してきた少女の姿があった。
「思ったとおり。私、これでも耳がよくて、寝室のほうで物音がしたから起きたんじゃないかってね。」
「もしかして、お前がオレを助けたのか・・・?」
明るく微笑む少女、サツキに、ハヤトが疑問を投げかける。
「いったい何のつもりだ・・なぜオレを助けた・・・!?」
「なぜって・・・あなたに興味を持ったから。それじゃおかしいかな?」
問い詰めてくるハヤトに、サツキが笑みを崩さずに答える。その態度にハヤトは憤りをあらわにする。
「ふざけるな!お前はヴィーナスで、オレはお前たちを敵としている!そのオレを殺さずに救い出して、お前たちに何の意味があるというのだ!?」
「実質的には私はヴィーナスの人間ということになってるけど、私はそんなつもりはない。ただ人が殺されるのが嫌いなだけ。」
怒号を放つハヤトに対し、サツキは悠然とした態度で答える。
「人が殺されるのが嫌いなだけ?暗殺を生業としている聖者であるヴィーナスにしては実に滑稽だな。あれだけオレを何のためらいもなく追い詰めておきながら、そんな甘い言葉を口にするとは。」
サツキの言葉に対し、ハヤトがあざ笑う。だが、それでもサツキの悠然さは崩れない。
「甘くても馬鹿げていてもいい。そういうのが私のポリシーだから。」
「ポリシーだと?」
「私、人間が好きだからね。だからあなたから人間らしさを感じたとき、放っておけなくなっちゃったのよ。」
「オレが人間らしい?お前はとことん愚かだな。オレはブラッドと呼ばれている吸血鬼の類の1人。人間などではない。」
ハヤトがサツキの言葉に完全に呆れ果てる。そこでサツキは初めて笑みを消した。
「ウソね。」
その一言にハヤトが眉をひそめる。
「だってあなた、こうして感情をあらわにしてるじゃない。心がある証拠よ。」
「フン。つくづくそんな甘い考えができるな。オレを上回る能力を備えているのも、矛盾だらけだ。」
鋭く言いかけるサツキに向けて、ハヤトが再びあざ笑う。だがそれが、指摘されたことを押し隠すための虚勢であることに、彼女は感付いていた。
「まぁいい。その甘さがいずれお前の首を絞めることになるぞ。せいぜい後悔しないよう、十分にオレに警戒することだな。」
ハヤトは憮然とした態度を見せると、ベットに腰を下ろした。するとサツキは笑みを取り戻して、
「ホットケーキ、大丈夫だよね?作ってくるから。」
サツキはハヤトに言いかけると、軽い足取りで部屋を後にした。
サツキがハヤトを保護したことは、ディオネの耳に届いていた。だが彼女は慌てた様子を見せていなかった。
「そうですか。物好きですね、サツキは。」
「いかがいたしますか?相手は万全でないため、私たちでも始末することは可能ですが・・」
微笑むディオネに向けてシスターが訊ねる。だがディオネは心配する様子を見せない。
「しばらく様子を見ましょう。彼女のことですから、任せても大丈夫でしょう。」
「分かりました。他の者にもそのように伝えておきますね。」
ディオネの言葉を受けて、シスターは微笑んで頷き、王室を後にした。
「彼女は底が深い。私でも彼女を読み切れない・・・」
ディオネはサツキの懐の深さに対して絶大ともいえる信頼を寄せていた。
その翌朝、ハヤトはサツキの寝室で眼を覚ました。この朝が今までで1番穏やかに感じられ、彼は不思議な感覚に陥っていた。
「オレは・・オレはいったい、何を・・・」
何ともつかない虚無感が心の中を渦巻いていく。ハヤトは今自分が何をしたらいいのか分からなくなっていた。
「こんな気分は初めてだ・・どうしようもなくなってる・・それなのにイヤにならない・・・」
「それが人の心、優しさというものよ。」
深刻さを隠せないでいるハヤトに、部屋を訪れたサツキが声をかけてきた。
「おはよう。昨日は眠れた?」
「あ、あぁ・・」
サツキの声に、ハヤトが戸惑いを見せる。
「昨日はありがとうね。私、あんまり料理が得意じゃないんだけど、簡単なものなら自信があるんだよね。って、全然自慢にならないんだけどね。アハハ・・」
サツキがハヤトに言いかけて照れ笑いを浮かべる。彼女の天真爛漫な言動が、ハヤトは理解できなかった。
「お前・・本当にヴィーナスの人間か?普段は妙に明るくて、戦場に出れば冷徹に徹する・・お前はいったい何者なのだ?」
「何者って・・私は私。石川サツキだよ。」
深刻な心境で問いかけるハヤトに、サツキは明るさを浮かべながら答える。
「何を言っている・・それが答えになると思ってるのか・・・?」
「だってその通りだもん。ヴィーナス所属だとか人間だとかいう前に、私は私なんだから・・・そういえばあなたの名前、聞いてなかったね。」
「わざわざ聞かなくても、お前たちの情報網ならオレの情報を引き出すことぐらい簡単なはずだ。」
訊ねてくるサツキに、ハヤトは憮然とした態度を見せる。
「そうじゃなくて、あなたの口から聞きたいの。紹介って、けっこう重要なんだよね。」
「・・・ハヤト。天城ハヤトだ・・・」
ヤヨイに言い寄られて、ハヤトは腑に落ちない心境で名乗る。
「ハヤトか・・なかなかいい名前ね。よろしくね、ハヤト。」
「馴れ馴れしくするな。オレはお前と仲良くするつもりはない。」
笑顔を見せるサツキに、ハヤトは苛立ちをあらわにした。
「ところで、お前はなぜヴィーナスにいるのだ?」
サツキに勧められて朝食を取った後、ハヤトは唐突に問いかけた。
「お前のような女が、なぜヴィーナスに身を置いているのだ?」
ハヤトに問い詰められて、サツキが物悲しい笑みを浮かべて答える。
「私ね、ここに預けられたの・・・」
「ん・・・?」
サツキのこの言葉にハヤトが眉をひそめる。
「天涯孤独だった私は、この教会に預けられたの。そこで私はヴィーナスの素性を知ることになった・・表向きにはシスターだけど、裏は邪な存在を抹消する暗殺者。それがヴィーナスの実体・・」
「なるほどな。それで、お前はこれまでヴィーナスの暗殺者として生きてきたわけか。」
ハヤトが言いかけると、サツキは小さく頷いた。
「でも私は、暗殺者とか聖者とか思っていないよ。私は私。私のすることは私の自由、てね。」
笑顔を取り戻したサツキに、ハヤトが呆れてため息をつく。
「返す言葉がないとはこのことか。注意しようとする気すら起きない。」
「とりあえずお褒めの言葉として受け止めておくね。」
全く落ち込む様子を見せないサツキに、ハヤトは押し黙るしかなかった。
ハヤトが戻ってこないことにエドガーは不安と動揺を募らせていた。そこへ1人の兵士が報告のために駆け込んできた。
「ハヤトは見つかったのか?」
「い、いえ・・エドガー様、実はハヤト様が・・・」
エドガーが開口1番にハヤトのことを聞くエドガーだが、兵士は困惑を浮かべて答える。
「昨晩、ヴィーナスの手の者と交戦しまして・・なす術がないまま敗れてしまった模様で・・」
報告を続ける兵士の眼前に、エドガーが紅い刃の切っ先を向けてきた。
「世迷言ならその場で真っ二つにするぞ。ハヤトが負けるはずがない。」
「ま、間違いありません!おそらく、相手はあの光明のサツキかと・・」
「光明のサツキ?・・あの女、ふざけたマネを・・・!」
刃を消したエドガーが、サツキに対して怒りを覚える。
彼はハヤトに対して強い執着心を抱いていた。そのため、ハヤトに忍び寄るものがあれば、彼はそれに激しい憎悪を向けるのだ。
「いいだろう。私が自ら引導を渡してやるとしよう。」
「し、しかし、わざわざエドガー様自ら出ずとも、死徒様が出れば・・」
不敵な笑みを浮かべるエドガーを兵士が言いとがめる。するとエドガーの表情が一変し、激昂するとその兵士の首を跳ね飛ばした。
「私はハヤトをたぶらかす愚か者を許せないのだ。それを阻むなら、私の同胞であろうと容赦はしないぞ。」
「し、失礼しました・・・!」
鋭い視線を向けてくるエドガーに、周囲の男たちが萎縮しながら頭を下げる。
「お前たちは周辺の監視を行え。せっかくのパーティーだ。邪魔が入ってはつまらなくなるからな。」
「了解しました。周辺に滞在している者たちにも連絡いたします。」
エドガーの命令を受けた男たちが敬礼を送り、行動を開始した。
「待っているがいい。私とハヤトに迂闊に関わったことを、地獄で後悔するがいい。」
エドガーもハヤトへの欲情とサツキへの憎悪をたぎらせて、戦場に赴こうとしていた。
ハヤトは西洋教会の屋根の上で、広がる森を見渡していた。その中で彼は、自分が辿ろうとしている運命を見定めようとしていた。
物思いにふけっている彼のところへ、サツキが顔を出してきた。
「こんなところにいたんだ。上ると気持ちいいからね、ここ。」
「オレにどこまで付きまとってくるつもりだ?鬱陶しいぞ。」
笑顔で声をかけてくるサツキに、ハヤトが憮然とした態度を見せる。だがサツキは笑顔を崩さずに、森を見渡していく。
「私、こうして高いところに上るのが好きなんだよね。空気が澄んでいて、鳥になった気分にもなるし。」
「おかしなことを言うな、お前は。そんなくだらないこと、オレは同意しかねるぞ。」
「もう、ロマンがないんだから。そういうのに浸ったほうが気分がいいって。」
ハヤトがさらに憮然さを見せると、サツキが不満を浮かべてふくれっ面を見せてきた。その面持ちにハヤトが唖然となると、サツキがからかっているかのような笑みをこぼした。
「でもそういう考え方、ハヤトらしくていいかなって、エヘへ・・」
「まったく。どこまでふざけているのか、どこからが真剣なのか。お前は全く読みきれない・・・」
照れ笑いを浮かべるサツキに、ハヤトは呆れてため息をつく。
「あんまり人をかんぐってかかっても、その人のことは分からないよ。」
サツキが唐突に口にした言葉に、ハヤトが眉をひそめる。
「純粋に、感じ取ったものをそのまま見る。それがその人の気持ちを知るってことなんだよ。言葉並べをして理屈っぽく考えても、本当に理解できるわけじゃないよ。」
「そんなものなのか・・・」
真面目に語りかけるサツキに、ハヤトは困惑を募らせる。これまで自分が、誰かに対して介入しようとしていなかった。だから彼は人との接し方が分からなかったのだ。
「まぁ、焦ることはないよ。時間はたっぷりあるんだから。」
「本当に、悠長なヤツだ・・」
優雅に振舞うサツキに、ハヤトはただただ呆れるばかりだった。
そのとき、ハヤトはただならぬ気配を感じ取って、たまらず立ち上がる。その強大な気配に彼は覚えがあった。
その気配を、サツキも感じ取っていた。
「すごい力を持った人が、こっちに近づいてきている・・・」
「この気配・・間違いない。エドガーだ。」
「エドガー・・サターンのエドガー・ハワード?」
サツキの声にハヤトが頷く。
「まさかエドガー自ら出てくるとはな・・おそらく、オレを探しに出てきたか。」
「ここは私が行く。ハヤトはここにいて。」
サツキが立ち上がり、森に向かおうとする。だがハヤトが彼女を呼び止める。
「やめろ!出て行けば確実に命を落とすぞ!」
「ハヤト・・・あなたに心配されるなんて、相当なことなのね。でも大丈夫。危なくなったら逃げるから。」
呼びかけてくるハヤトに心配されていると思い、サツキは安堵の笑みを浮かべた。そして彼女は改めて教会を飛び出していった。