CHRNO CRUSADE –時の勇者- Chapter.1「ロゼット」

 

 

 第一次世界大戦が終局して間もない1928年。全ては1つの奇怪な事件から始まった。

 1つの町の行動が完全に停止していた。人々も、転がっていく果物も。

 その町の時間が完全に凍りつき、その全てが微動だにしなくなっていた。

 しかしそれは、ただの怪奇現象にはとどまらなかった。

 このような時間停止が世界中に続発し、人々にさらなる不安を植えつけた。

 

 闇にまぎれた悪魔を祓い、アメリカの平和を影ながら守り続けている一大組織、マグダラ修道会。彼らはこの時間停止の事件を悪魔の仕業と判断し、行動を開始しようとしていた。

 だが、その直前、マグダラは悪魔の大群の襲撃を受け、崩壊の末路を辿った。それが、アメリカ市民の不安にさらなる拍車をかけたのだった。

 悪魔にとって母なる存在である魔界(パンデモニウム)。それらに反逆の意思を持ち、出奔した悪魔を罪人(とがびと)と呼ぶ。

 しかし当時、魔界の滅亡をもくろむ男、アイオーンの率いる罪人によって、悪魔は支配されていた。マグダラを滅ぼしたのは、その悪魔たちだった。

 これを皮切りに、罪人の支配は人間界に及びだしたのだった。

 

 その日も、悪魔にとある街が襲撃を受けていた。その街に向かって駆け抜けていく数台の自動車があった。

 それらの車の中には、かつてマグダラ修道会で活躍していたシスターや修道士も同乗していた。修道会という組織は崩壊しても、その志は消えてはいなかった。

 現場に到着し、各自武装を整えて身構える。

「いいか、お前たち。相手は悪魔だ。油断するなよ。」

 兵士の装いをした1人の男が指示を送る。周囲の修道士たちも頷く。

 先頭の数人が先陣を切り、悪魔の仕業と思しき破裂音の鳴り響く場所へと向かっていく。

 そして半壊している街の広場の前でその駆け足を止める。兵士が見上げると、上空で数体の悪魔が力を放出していた。

 その力に巻き込まれた人々や建物が、完全に動かなくなっていく。

「これが悪魔が備えたっていう“時間凍結”の力か。」

 兵士たちが悪魔の力に毒づく。

 時間凍結とは、対象の動きを停止してしまう結界の一種で、その力の持ち主でなければ解くことができない。それは元々は、悪魔が霊素(アストラル)を魔界から吸収する器官、尖角(ホーン)を失った悪魔、クロノの力なのだが、悪魔の大半はその尖角の力を受け継いだのである。

 その悪魔たちが支配欲をむき出しにして、人間界に時間凍結を及ぼしていた。

「あ、あれは!?」

 兵士は悪魔から逃げ惑う少女とその母親らしき女性を発見した。悪魔が彼女たちに向けて魔力を発動しようとしていた。

「撃て!攻撃だ!」

 兵士の命令と同時に、修道士たちが手に持った銃の引き金を引いた。その弾丸を受けた悪魔数体が、十字を刻んだ閃光に巻き込まれながら崩れ落ちていく。

 悪魔たちに撃ち込んだのは、聖火弾(セイクリッド)と呼ばれる弾丸で、弾薬の代わりに聖油を詰め込んでいる。対悪魔用の通常武器として使用され、連射も利くのである。

 修道士たちの攻撃で、親子はその間に逃げ延びることができた。そしてこの攻撃で悪魔を倒したはずだった。

「何っ!?」

 しかし聖火弾を撃たれた悪魔たちが、まるで何事もなかったかのように起き上がってきた。兵士や修道士あっちが驚愕を覚える。

「バカな!?このくらいの低級悪魔なら、聖火弾で十分ダメージを与えられるはず・・!」

「もはや、お前たちの貧弱な武器など、今の悪魔たちには何の役にも立たないよ。」

 困惑する修道士の前に1つの影が降り立った。しかしその姿は人とは言い切れなかった。

 上半身は人の女性の形を取っていたが、下半身は虫のような形だった。主となる2本の手とは別に生えている4本の腕。

 尖角を失った悪魔、人形使い、リゼールである。

「罪人か・・!」

「私が出るまでもないよ。ここでお前たちの断末魔を見届けるとしようか。」

 リゼールが妖しい笑みを浮かべた瞬間、周囲の悪魔たちが荒々しい咆哮を上げて、修道士たちに飛びかかった。

 修道士たちも発砲して迎撃するが、強化された悪魔たちに聖火弾は全く通用しない。その爪と牙にかかって倒れ伏し、魔力の光に吹き飛ばされる。

 さらに悪魔が新しく備えた時間凍結の効果で、1人の兵士と2人のシスターがその場で動かなくなる。いかなる衝動にも微動だにしなくなっていた。

「ハッハッハッハ・・無様だねぇ。」

 混乱した修道士たちの姿を、リゼールが哄笑を上げて近くの建物から見下ろしていた。

 先陣を切った修道士たちは、悪魔たちに返り討ちにされてしまった。

 

 強化された悪魔から逃げ延びてきた1人のシスターが、車を待機させている場所に駆け戻ってきた。短い金髪をした、幼さの残る外見の少女である。

「だ、大丈夫、メアリ!?」

 他の兵士や修道士たちと待機していた赤髪のシスターアンナが声をかけてくる。

「う、うん。でもみんなが・・」

 一息ついたメアリが、困惑した面持ちで街に振り返る。アンナと、栗色の髪をしたおしとやかな顔立ちのシスタークレアも、悪魔たちに脅威を感じながら街を見つめる。

 そのとき、彼女たちの背後から、鈍い鉄の音が鳴り響いた。何かがぶつかった強い衝撃音が。

「何!?」

 アンナたちが音のしたほうに振り返ると、眼が点になった。1台の車が、停車していた車たちに突っ込んだのである。

 その運転席には無邪気な雰囲気を放っている蜂蜜色の髪をベールに収めた少女が、助手席に座った高貴な装いの長い赤髪の女性といがみ合っていた。

「アンタにはブレーキをかけるってことを知らないの、ロゼット!?おかげでまたぶつけたじゃないの!」

「うるさいわね、サテラ!このくらいスピード出さないと間に合わないでしょ!」

 到着して早々口論を始めたロゼットとサテラに、アンナたちは唖然となる。しかしすぐに我に返って、

「もう、こんなときにケンカしてる場合じゃないでしょ!」

 メアリに言いとがめられ、ロゼットとサテラが同時に振り向く。呆れてため息をつくアンナ。

 その直後、一条の光が空から降り立ち、街の中に半壊した1台の車に激突、炎上を起こさせる。

 振り返り身構えるアンナ、クレア、メアリ。ロゼットとサテラも車から降りて、その先を見据える。横にまかれる炎の煙の中から、1人の女性が現れた。

 メイド服に身を包んだ短い黒髪の女性は、無表情でロゼットたちを見つめていた。

「あなた方のしていることは無意味なこと。どうかお引取り願います。」

 左手を胸に当てて、その女性、フィオレが一礼する。そこへクレアが真剣な面持ちで前に出る。

「そうはいきません。この戦いに勝たなければ、世界の時間は元には戻らないのです。」

 身構えるクレアたち。その姿を一瞥して、フィオレは右手をゆっくりと上げる。

「そうですか。では・・参ります。」

 変わらない声色で答えるフィオレ。その人差し指と中指の間には、1つの小さな宝石があった。

「あれは!?」

 それをみたサテラが驚愕する。

「晶換(ラーデン)。」

 力を発動させる言葉を呟いた瞬間、フィオレの持つ宝石からまばゆい光が放出された。

「清廉なる九月(ザォバァユングフラウ)。」

 その光が神々しさの宿る鎌に姿を変える。

 その鎌の柄を握るフィオレ。彼女の背後には女神のようにも思える、光をまとう仮面の女王の姿が映し出されていた。

 これがフィオレが宝石を媒介にして導いた使い魔の姿である。その力の一部を使って、この鎌を具現化したのである。

「あれは、宝石使い!?」

 サテラがさらに声を荒げる。

 魔石と呼ばれる宝石を使い、様々な能力を使う宝石使い。その術は独特で、その能力は血統によって受け継がれる。

 そしてその血統は、ハーベンハイト家に受け継がれていたが、その一族も悪魔の襲撃によって崩壊していた。

 現在この力を扱えるのは、ハーベンハイト家の娘であるサテラと、悪魔に拉致された彼女の姉、フロレット・ハーベンハイトだけである。

「姉さま!」

 鎌を振りかざし、アンナたちに飛びかかろうとしたフィオレに向かって、サテラは思わず叫んでいた。彼女にはフィオレが一瞬、捜し求めていた姉、フロレットに思えてならなかったのだ。

 サテラに呼ばれ、フィオレが一瞬足を止める。そこにロゼットが銃を構え、発砲する。

 とっさに反応したフィオレが後ろに飛びのいた。威嚇のつもりで放ったロゼットの聖火弾は、フィオレがいた場所のやや前方の地面で破裂した。

「ここは引き上げたほうがいいわ。みんな、いいわね!」

 混乱していた兵士や修道士たちに向かって、ロゼットが指示を送る。アンナたちも彼女の指示に頷いて従う。

 対悪魔用の武器をはね返された修道士たち。強化された悪魔たちの力の前に、敗北するしかなかった。

 

 悪魔たちの襲撃を受け、半壊したニューヨーク郊外。そこには、悪魔に怯えながらひっそりと暮らす人々と、悪魔に立ち向かう兵士や修道士たちが隠れ住んでいた。

 強化された悪魔に返り討ちになった修道士たちは、憤りと自分たちの無力さを抱えていた。どうにもならなくなりそうな絶望感を抑えるのに必死だった。

 そしてその苛立ちの矛先は、ロゼットとサテラに向けられた。

 1人の兵士が、思いつめながらも休息を取っているロゼットに詰め寄った。

「ロゼット・クリストファ、お前はこの現状をどう思っている!?」

「な、何なのよ、いきなり・・・!?」

 憤慨する兵士にロゼットが困惑する。

「分かっているはずだ、お前には!世界規模の時間凍結。その発端がお前の弟、ヨシュアにあることを!」

「バカなこと言わないでよ!ヨシュアがこんなことをする子じゃないわ!」

 弟のことを指摘され、今度はロゼットが憤慨する。

 ヘブンスベル孤児院の孤児だった彼女には、弟のヨシュアがいた。しかし罪人アイオーンの策略によって、ヨシュアは悪魔の力を手にしてしまった。

 制御しきれない力を持った彼は暴走し、それに巻き込まれた孤児院の少年少女たちはその時間を止められてしまった。

 その後、ヨシュアは行方不明、ロゼットはマグダラ修道会に引き取られた。彼女はそこのシスターとして働きながら、ヨシュアの行方を追っていたのである。

「あの孤児院の時間凍結も結果として、悪魔の力を持ったヨシュアが引き起こしたことだろ!?この現状の根源である彼を探し続けていたとは、いったいどういうつもりなんだ!」

「やめろよ、お前ら!」

 迫害する兵士たちを1人の少年が呼び止めた。

 散らしたような髪型をした金髪のこの少年の名はルドセブ。彼は悪魔によって両親を殺された。その悪魔はロゼットたちによって撃退された。

 彼女のその勇ましい姿と考え方にひかれたルドセブは、彼女を姉のように慕い、今でも対悪魔部隊に協力していた。

「ロゼット姉さんもサテラ姉さんも、いろいろ辛いんだ!それなのに追い詰めてどうするんだよ!」

「ルドセブ・・・」

 必死にかばおうとするルドセブに対し、ロゼットが呟く。ルドセブはさらに続ける。

「オレは信じてるんだ。いつかこの戦いに終わりが来て、平和が訪れることを。姉さんたちが必ず何とかしてくれる!」

「何とかしてくれる?ハッ!」

 ルドセブの信頼を込めた言葉を、兵士が鼻で笑う。

「ルドセブ、お前いったい何を信じてるんだ?・・クロノか?あの罪人悪魔をまだ信じてるのか!?」

 そしてきびすを返し、さらに哄笑を上げる。

「ルドセブ、ロゼット、いい加減眼を覚ませ。時間凍結は、元々はクロノの力だ。ヤツが尖角を抜かれて奪われたおかげで、世界の時間が止まる大混乱を引き起こしたんだ。」

「違う!クロノ兄さんは悪くない!それに、兄さんは必ず帰ってくる!この世界に平和をもたらすために!」

「いつまで寝ぼけてるつもりだ!それに、クロノは負けたんだ。強化された悪魔たちの総攻撃によって、ヤツは・・・」

 歯ぎしりする兵士。彼の言葉に、ロゼットの脳裏にあの悪夢がよみがえった。

 

 焦るロゼットを、大勢の悪魔たちが取り囲んでいた。そして彼女のそばには、幼くおしとやかな少女と、長身の青年がいた。

 漆黒の髪と翼、尖った耳と獣の瞳。その青年の姿は、完全な悪魔そのものだった。

「行くよ、ロゼット!」

 悪魔の青年、クロノが背中の翼を広げて飛翔する。その先には、不気味な哄笑を浮かべている悪魔の群れがあった。

 ロゼットは傍らにいる少女、アズマリア・ヘンドリックをかばいながら、自分の胸を押さえていた。正確には、首からぶら下げている懐中時計を。

 懐中時計は火花を散らしながら、急速に起動していた。

 これは悪魔の力の根源である尖角の代わりとなるエネルギー収束制御ユニットで、悪魔との契約の証とされている。本来は少年の姿に変化して力を抑えているクロノだが、力を発動した際にこの懐中時計が激しく起動し、契約者であるロゼットの命を削り取っていくのである。

 力を解放して、悪魔たちにその爪を振りかざす。このくらいの低級悪魔なら、全開したクロノなら一瞬で全滅できるはず。ロゼットも、クロノ自身もそう思っていた。

 だが、クロノの振り下ろした爪が空を切る。彼の攻撃が簡単にかわされたのだ。

「ウソ・・!?」

 ロゼットもアズマリアも、眼の前で繰り広げられている出来事に驚愕していた。動揺を浮かべながらも、クロノは続けて悪魔に向かっていく。

 しかし、クロノの攻撃はことごとくかわされ、逆に強化された悪魔たちの猛攻に押されていく。そして激しく地面に叩きつけられる。

「ぐっ・・!」

 うめくクロノ。なぜ低級悪魔たちがここまで強化されているのか、理解できなかった。

 そして彼の後方で、悪魔たちが魔力を放出してきた。

「クロノ!」

 彼の視線の先にいるロゼットが手を伸ばし呼びかける。

「ロゼッ・・・」

 クロノもロゼットに向けて手を伸ばして呼びかけようとする。そこに悪魔の放った閃光が彼をのみこんだ。

「クロノォ!」

 ロゼットとアズマリアがいっせいに叫ぶ。

 光が治まり、そこには色を失くしたクロノの姿があった。ロゼットたちに向けて手を伸ばしたまま、全く動かなくなっていた。

「クロノ!」

 アズマリアがたまらずクロノに向かって駆け出した。

「あっ!アズ・・ぐっ!」

 ロゼットも後を追おうとしたが、クロノの力の使用による命の削減で体力を浪費し、その場にうずくまるしかなかった。

「クロノ!クロノ・・・」

 クロノに寄り添ったアズマリアが、伸ばしたまま動かない彼の手を取る。涙ながらに願うが、時間凍結を受けた彼は微動だにしない。

 そこに1人の少年が空から降り立った。背中から神々しい光を帯びた天使の翼を持ちながら、頭部には鋭い角が2本生えていた、ロゼットと同じ蜂蜜色の髪をした少年である。

 彼はロゼットが捜し求めていた彼女の弟、ヨシュア・クリストファである。

「ヨシュア・・・!」

 息苦しさを抱えながら、ロゼットが必死に呼びかける。しかしヨシュアはその声を気に留めず、恐怖を抱きながら振り向いたアズマリアを背後から抱き寄せた。

「捕まえたよ・・僕らの仲間・・」

 ヨシュアの背中の翼が大きく広がる。

「クロノ!ロゼット!・・あっ!」

 叫ぶアズマリアが、ヨシュアに連れられて空の彼方に消えていった。

「アズ!・・くっ・・・!」

 ロゼットも必死にアズマリアとヨシュアを追おうとするが、今の彼女には立ち上がることさえできなかった。やがて悪魔たちは姿を消し、その荒野には、うずくまるロゼットと時間を止められたクロノだけが残っていた。

 

「全てはロゼット、お前の周りにいる連中が全てを引き起こしたんだ!しかもよりによって、お前の弟が黒幕だったなんてな!」

 兵士の皮肉が、ロゼットの脳裏に突き刺さっていた。

 ロゼットは今、寂れた倉庫のような場所に来ていた。そこには色を失った悪魔の青年が立っていた。時間凍結を受けて動かなくなった彼女の相棒、クロノである。

 その姿を見つめて涙するロゼット。

 彼が時間凍結を受ける直前、彼女はやっとのことで弟、ヨシュアを見つけ出すことができた。しかしヨシュアはロゼットを覚えてはいなかった。

 正確には、彼の記憶の中にいるロゼットと眼前に現れたロゼットが一致していなかった。悪魔の力を持った際、彼の心から姉の顔が抜け落ちてしまったのである。

(クロノ・・わたし、どうしたらいいの・・・?)

 非情な現実に打ちひしがれるロゼット。しかしクロノは彼女の声に反応しなかった。

 

 

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