Blood File.23 まやかしの安息

 

 

 あゆみが眼を覚ましたのは、いちごが部屋を飛び出してしばらくしてからのことだった。

 海気から受けた強い刺激のため、意識がおぼつかない状態だった。

「いちごちゃん・・・ワタルといちごちゃんが・・海気さんのところに・・・」

 あゆみはワタルたちの気配を感じ取り、何とか立ち上がる。なぜ裸にされていたのにいつの間にか服を着ていたのか気付かないほど、彼女の精神力は弱まっていた。

「行かなくちゃ・・早く、行かないと・・・」

 それでも、あゆみはワタルのところへ向かおうと、海気に裸の石像にされた女性たちのいる部屋を抜け出す。

 ワタルたちの力になって、めぐみや海気を助けたい。かすかな意識の中、あゆみの純粋な願いは変わっていなかった。

 壁伝いにゆっくりと廊下を歩いて、ワタルたちを捜すあゆみ。ワタルと海気が同じ場所にいて、いちごもそこを目指して移動していたからだった。

 やがて食事部屋にたどり着いたあゆみ。だがそこで、彼女は信じられない光景を目の当たりにした。

 ワタルといちご、なるとマリアが裸の石像に変えられ、その前に立っていた裸の少女が振り返ってきた。

「あっ!あゆみお姉ちゃん!」

 あゆみの姿に気付き、少女が明るい笑顔を見せる。あゆみはその少女の姿に困惑する。

「めぐみ、ちゃん・・・これって・・・」

 海気によって石にされたはずのめぐみが、今自分の眼の前に立っていた。以前よりも大人びた姿で、背中から天使のような白い翼を生やしていたが、その面影は間違いなくめぐみだった。

「どういうことなの、めぐみちゃん!?あなたは海気さんに石にされたはずなのに・・」

「あゆみおねえちゃんも驚いたみたいだね。海気さんの使っていたあの力はね、私の力だったんだよ。」

「めぐみちゃんの、ちから・・・」

 無邪気に話しかけるめぐみに、あゆみの困惑は治まらない。めぐみは右手を伸ばして、あゆみに近づいてきた。

「お姉ちゃん、私なら大丈夫だよ。この通り平気だし、前よりもいい気分なんだよ。」

 めぐみの笑顔。その裏に隠された強大な力に、あゆみは彼女と向き合うことが困難となっていた。

 めぐみの腕が、あゆみの首にからみつき、力の弱まっているあゆみを優しく抱き寄せる。

「あゆみお姉ちゃん、私とっても辛かったんだよ。お姉ちゃんも辛いのは分かってるよ。友達も家族もみんないなくなっちゃったんだからね。でも心配しなくていいよ。私がお姉ちゃんを守ってあげる。ワタルお兄ちゃんもいちごお姉ちゃんも、みんなここに一緒にいるから。」

「めぐみちゃん、どうなってるの?その姿は・・?」

 めぐみに抱かれたまま棒立ちになっているあゆみが、唇を震わせながら訊ねる。

「これはディアスとかの神様の、ディアボロスっていうのが使ってた力だって。その力を使って、ちょっと自分をかわいく見せてみたってわけなの。」

「ディアボロス・・・?」

 困惑が混乱に転じていたあゆみは、その言葉を理解できなかった。彼女の動揺を気に留めず、めぐみはさらに話を続けた。

「このすごい力で、辛い思いをしてるみんなを助けて守ってあげるんだ。あゆみお姉ちゃんも、これからは私が守ってあげるから。もう、お姉ちゃんに悲しい顔にはさせないから。だから、ずっとそばにいよう!」

 めぐみが眼に涙を浮かべてあゆみを抱きしめる。彼女の柔らかな温もりが、あゆみの心を落ち着かせる。

(あゆみちゃん、ダメだ!)

 ワタルがあゆみに向けて叫ぶ。

 ブラッドであるワタルといちごは、その力を併用させることで、自分の心の声を相手に送り込むことができる。石化されていた2人だが、ブラッドの力はまだ使うことができ、心の叫びをあゆみに放っていた。

 しかしその声はあゆみには聞こえていない。耳には届いていたが、頭には入っていなかった。

(ダメだ、あゆみちゃん!めぐみちゃんから離れるんだ!)

(そうだよ!このままじゃあゆみちゃんまで石にされちゃうよ!そうなったら、誰がみんなを助けられるの!?)

 ワタルに続いていちごも呼びかけるが、あゆみにその願いは届かなかった。

 あゆみはめぐみの顔を見つめたまま、かける言葉がみつからないでいた。家族を失った境遇に立たされた人同士。めぐみのことを何よりも思っていたあゆみには、彼女を突き放してワタルたちを助けるほどの非情さはなかった。

(逃げるんだ、あゆみちゃん!)

「お姉ちゃん、私を信じて・・」

(お願い、あゆみちゃん!)

  ピキッ ピキッ

 ワタルといちごの呼びかけが届かないまま、めぐみはあゆみに石化のイメージを送り込んだ。その直後、あゆみの靴が壊れて、灰色になった両足が現れる。

 あゆみは自分に起こっている変化に気に留めていない。めぐみのそばにいたいという思いでいっぱいになっていた。

「今、お姉ちゃんにも石化の力をかけたから。でも大丈夫だよ。こうすればお姉ちゃんにはもう辛いことは起きないから。」

 めぐみはあゆみを抱きしめたまま離れない。あゆみも裸のめぐみから離れようとしない。

  ピキキッ パキッ

 あゆみの石化は足を駆け上り、彼女のスカートを引き裂いた。彼女の下半身の素肌がさらけ出される。

「めぐみちゃん、本当に辛いことがなくなるの?どうしたらそんなことが・・」

「大丈夫。ここは裸になって、着てるものと一緒に、嫌なことを全部脱ぎ捨てちゃおうよ。だから、私に心を預けて楽になって。」

「何だか寒い・・石になって服が破れてるせいかな・・?」

 感覚の残る石の足に、部屋を漂う冷たい風が吹き付ける。ただでさえ石となった足は温度が下がっているのに、さらなる冷たい風は痛烈だった。

 めぐみの背中の翼が広がり、あゆみの体を包み込む。母親が優しく赤ん坊を抱くように、翼は生まれたときの姿に戻ろうとしているあゆみを抱きとめていた。

  ピキッ ピキッ ピキッ

 石化は上半身に及び、着ている衣服が全て剥がれ落ちた。彼女の体は完全に脱力し、めぐみにされるがままとなっていた。

「もうちょっとで石になっちゃうね。私が抱いてあげる。また辛そうな気持ちになったら、私が守る。ずっと私がそばにいるからね、あゆみお姉ちゃん。」

 ずっとそばにいたいというめぐみの純粋な想いに、あゆみは逆らうことができなかった。

 あゆみもめぐみといたい気持ちは同じだった。だから、めぐみの一途な願いは極力聞いてあげたいと思っていた。

(あ、あゆみちゃん!)

 ワタルの心の叫びがあゆみに向かって飛ぶ。しかし未だにあゆみには届かない。

「いいよ、めぐみちゃん・・私も、めぐみちゃんと一緒にいたい・・・めぐみちゃんと一緒にいられるなら、私はどうなってもいい・・・」

 あゆみはめぐみに全てを預けることを呟いた。家族、親友を失い、自らもブラッドという血塗られた運命を背負わされ、彼女の心はかつてないほどに打ちひしがれていた。孤独へと追い詰められていたあゆみは、同じく両親を亡くしためぐみとは、妹と思って接してきていた。

 これ以上、大切な人を失いたくない。それ故に、あゆみはめぐみの願いを優先したのである。

  パキッ ピキッ

 石化は手足の先まで達し、首筋に到達していた。あゆみはめぐみの涙ながらの笑顔を見つめることしかできなくなっていた。

「ありがとう・・あゆみお姉ちゃん・・・」

 感謝の言葉をかけた後、めぐみはあゆみに口付けを交わした。今までにない快感と高揚感があゆみに押し寄せる。

(めぐみちゃん・・・)

  ピキッ パキッ

 めぐみの唇と重ねたまま、あゆみの唇は固まった。眼から流れ落ちた涙が、ヒビの入った頬によって雫が弾け飛ぶ。

   フッ

 ついにあゆみの瞳から命の光が消えた。めぐみの翼に抱かれて、あゆみは裸の石像と化した。

(あゆみちゃん!!)

 ワタルといちごの心の叫びが重なる。願っていた唯一の希望が、今ついに絶たれたのだ。

 めぐみの翼が散りばめられ、周囲に変わり果てたあゆみの姿がさらけ出される。

(あゆみちゃんまで・・・)

 いちごが落胆の呟きを胸中で漏らす。

 世界はめぐみを天使として慕い、逆らおうと考える人さえいなくなった。

 もうめぐみを、石化された自分たちを助ける者は誰もいない。

(私たち、どうしたらいいの・・?)

 いちごの悲痛な言葉に、しばらく沈黙を置いてからワタルは答えた。

(あゆみちゃんを、Sブラッドにするしかない。)

(Sブラッドに!?)

(Sブラッドの力を使えば、自分の身に起こった変化を時間を操ることで消し去り、術者が力を失うことがなくても元に戻ることができる。だけど、めぐみちゃんの心を取り戻すことができるのは、彼女を心から想っているあゆみちゃんだけだ。)

 ワタルには分かっていた。あゆみがめぐみを家族同然に想っていたことを。めぐみが1番に心を開くのはあゆみだけだとワタルは感じていたのだ。

(しかし、そのあゆみちゃんも、めぐみちゃんに石にされてしまった。だから、あゆみちゃんにSブラッドになってもらって、めぐみちゃんを救わなくちゃいけない。)

(でもどうやって?私たちは石にされて、こうやって心で話すことしかできないんだよ。)

 いちごの言葉に、ワタルは彼女に余裕のある雰囲気を見せる。彼の心の姿は、笑みを見せているようにいちごは感じた。

(オレたちはブラッド。しかも時間の流れを自由に動き回れるSブラッドなんだ。ここはあえて元には戻らず、オレたちの精神があゆみちゃんの心の中に入り込む。石にされても意識が残ってたのは助かったよ。)

 ワタルといちごの精神が、実際の体と同様に抱き合う。

(いいか。あゆみちゃんに向けて意識を送るように。イメージを強く思い描くんだ。)

 ワタルの言葉にいちごは頷いた。

 2人の石の体から、薄らいで見える精神が浮かび上がる。めぐみはあゆみに見入っていて、彼らが介入しようとしてるのに気付いていない。

(今だ!)

 ワタルといちごの精神が、石化されたあゆみの中に入り込んだ。

 

 あゆみの心の中に入り込んだワタルといちご。あゆみの心の世界は蒼く、2人の肌の色さえ蒼く染め上げていた。

 周囲は何もない、無とも言えるような空間だった。

 2人はその空間を漂いながら、あゆみの姿を探し求めた。心の世界は、その心の持ち主の精神体がどこかに必ず存在している。

「あゆみちゃん、どこにいるんだ。」

 ワタルは血眼になるほどに、あゆみを捜した。

 ディアスの力に囚われためぐみの心を解き放つことができるのは、あゆみ以外にいない。石化された彼女を救うには、時を操るSブラッドの力を覚醒させるしかない。

「こんなところに、あゆみちゃんがいるの?」

 不安になったいちごがワタルに訊ねる。ワタルは彼女に振り返らずに答える。

「ああ。ここはあゆみちゃんの心だ。絶対にどこかにいるはずだ。」

 そのとき、周囲の空間が歪み、微量の振動が起こり始めた。

「何っ!?」

「あゆみちゃんの心が、揺らいでいる・・!?」

 揺れる空間の真ん中で、ワタルといちごが体を寄り添わせる。空間はあゆみの心理状態に影響されて、激しい振動を引き起こしていた。

「あれは!?」

 ふと上を見上げたいちごが驚愕の声を上げる。巨大な物体が大きく広がり、上からワタルたちに襲いかかった。

 回避行動が間に合わず、2人は物体に包まれてしまった。物体は冷たい金属の質をしていて、2人の体に密着していった。

「冷たい・・・何なの、コレ!?」

「固い、金属みたいだ。だけどこれは幻覚だ!幻覚に違いない!」

 ワタルはこの金属の物体を、幻だと言った。

 この空間はあゆみの心。この物体も、あゆみの心に刻み付けられた記憶が具現化したものである。

 しかし、金属に触れられた固さや感触は本物と変わりないほどに実現的だった。

「か、体が、動かない!?」

 いちごは何が粘り気のあるものを吹き付けられ、体の自由が利かなくなった。

「ワタル、体が金属になってるよ!」

 ワタルの右肩を見て、いちごが驚愕する。液体を吹き付けられたワタルの体も、物体と同じ金属と化して固まっていたのだ。

「大丈夫だ!これは幻だ!心の核となっている精神体が力を及ぼさなければ、オレたちには何の危害もないはずだ!」

「でも、この感じは確かに・・」

「気にするな!意識しなければ感じなくなる!」

 ワタルは眼を閉じ、眼の前で起きている出来事を意識から除外する。いちごも同じように眼を閉じた。

 すると体を金属質にされて動けなくなっていた不快感が徐々に消えていった。

「元に、戻ったの・・?」

 いちごは自分とワタルの体を見比べて、無事であることを確認する。

 形のない幻でも、その印象の受け方によって現実味を引き起こしてしまう。受ける側がその恐怖のあまりに鵜呑みにしてしまえば、その幻は現実となってしまうのである。

 金属の物体の幻は消えたが、空間の歪みはまだ治まってはいない。

「まだ何かあるのか・・!?」

 警戒心を解かずに、ワタルはさらにあゆみを捜す。

「ねぇ、また寒くなってない・・?」

 いちごがワタルにすがりついて震え始めた。ワタルも周囲に立ち込める冷気を感じ取った。

 金属に触れたり液体で変質したりしたときの冷たさとは違った。本当に冷たい空気にさらされていたのである。

「これは、本当に吹雪だ。氷漬けになるくらいの・・」

 冷気は冷たく吹きすさみ、周囲を凍らせていく。

 ワタルといちごは前と同じく、自分が凍りつかされるイメージを取り除いた。しばらく空間に吹き荒れて、冷気は2人を凍らせることなく治まっていった。

「これもあゆみちゃんの記憶か・・」

 意識を現実に戻すワタルといちご。再び蒼い空間が2人の周囲に広がる。

「あゆみちゃん、どこにいるの?」

 眼を凝らして必死にあゆみを捜すいちご。ワタルの体に寄り添いながら、空間をさらに奥へと進んでいく。

 しばらく進むと、淡い水色の光を発見した。

「あれか!」

「あれが、あゆみちゃんの精神、心・・・」

 ワタルといちごはさらにその光に近づいていく。

「あ、あゆみちゃん!?」

 その光の奥を目の当たりにしたいちごの顔が蒼白になる。光の中にあゆみの姿はあった。彼女を抱き寄せているめぐみと一緒に。

「囚われている・・ディアボロスの力に、めぐみちゃんの心に・・!」

 動揺するワタルたちに気がつき、めぐみが振り向いた。あゆみは放心していて、めぐみにされるがまま、2人の姿に全く気付かない。

「なぁんだ。ここまで来ちゃったんだ、お兄ちゃんたち。」

 めぐみが明るく声をかけてきた。この状況下での彼女の無邪気な態度が、ワタルといちごの動揺をさらに強くする。

「でも邪魔しないで。私はあゆみお姉ちゃんと一緒にいたいの。」

 そう言ってめぐみはあゆみにすがりつく。

「めぐみちゃん、あゆみちゃんから離れるんだ!そうやって束縛して、本当に君は幸せなのか!?あゆみちゃんが幸せでいられると思ってるのか!?」

 ワタルが必死にめぐみに呼びかけるが、めぐみはその笑顔を消さない。

「だって、幸せじゃないなら、お姉ちゃんがまた辛そうな顔するもん。でもそのときは私が幸せにしてあげるんだ。今の私は、思うだけで何でもできるディアボロスの力があるんだからね。」

「それは違う!君は逆にその力に振り回されているんだ!それに、ディアボロスの力を使っても、絶対に思い通りにならないものが1つだけある!」

「何言ってるの?今の私にできないことなんて・・」

「だったら、なぜオレといちごはここにいる!?」

「えっ・・?」

 ワタルのこの一言に、めぐみは言葉が返せなくなる。

「もしも全てが君の思い通りなら、オレもいちごも君に心を奪われてるはずだ!なのにオレたちはここにいる。」

 ワタルはいちごを強く抱き寄せた。その行為にいちごは少し戸惑う。

「ディアボロスでも思い通りにならなかったもの。それは心だ。」

「心・・?」

「人の心は、移ろい揺らぎやすいが、時に何ものにも止められない強い力となるんだ!ディアボロスの力は、ある程度留まっているものに対してその効果を発揮し、世界にあるほとんどのものがその対象となっている。だが、心は揺らぎやすい性質、その在り方がなかなか定まらないため、ディアボロスの力で唯一支配できないものなんだ。」

 人の心は、唯一ディアボロスの束縛を受けない存在である。ディアボロス自身もそのことは理解していた。

 強い感情や意志によって、心はその宿主を強くも弱くもする。そしてその変動の波が激しく幅も大きいため、ディアボロスの力でも抑えることが極めて困難である。

 ディアボロスにとって最大にして唯一の天敵は、人の心なのである。

「だったら、私に見せてよ。その心の強さっていうのを。」

 めぐみが左手を上げた瞬間、細く冷たい触手のようなロープが、ワタルといちごの体を縛り付けた。

「ぐっ!」

「キャッ!」

 肌にロープが食い込み、2人が苦しみ悶える。無数のロープは、ワタルといちごを完全に拘束した。

「私に、できないことは何もないよ。私とあゆみお姉ちゃんの邪魔は、誰にもさせない!」

 ディアボロスの力を持っためぐみが、初めて感情をあらわにした。

 

 

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