Blood File.10 消えゆく光

 

 

「あかり、ホントにあかりがなるたちをこんなにしたの・・?」

 いちごがうつむいたまま、あかりに訊ねる。あかりが満面の笑みを浮かべて答える。

「そうだよ。驚いた?」

 無邪気に話すあかりに、いちごは困惑して言葉が出なかった。

「あたしの中のもうひとりのあたしが目を覚まして、みんなから力をもらってどんどん強くなっているよ。それに、みんなも綺麗になって、さらにそれがずっと続くんだよ。お互いがすばらしくなると思うでしょ?マリアもいい体してたし、あたしに触られていい気持ちになってたよ。」

「あかり、まさかマリアも!?」

 いちごが振り返り、驚愕の声を上げる。

 あかりが指し示した先にいる石像に、いちごは見覚えがあった。肌の色を失くし、一糸まとわぬ姿だったが、間違いなくそれはマリアだった。

「ここだといろいろと大変だから、あたしたちだけ場所を変えよう。」

 あかりの眼が淡く光り出し、いちごがなるから離れないまま身構える。

 あかりの力によって、いちごとなる、マリアを残して空間が歪み始めた。

 周囲が真っ暗になった直後、再び元の空の広がる部屋が現れた。しかし、そこにはいちごたち以外の、あかりによって石にされた女性たちはいない。

 あかりがマリアの石の肌で手を滑らせながら、妖しく言葉をかけてきた。

「体に触れながら意識を集中させてみて。ブラッドのいちごなら、心への交信ができるはずだよ。」

 あかりに促され、いちごはなるの体に触れたまま意識を集中させる。

(お願い、なる!答えて!)

 いちごの意識がさらに高まる。それに同調するように、触れている右手から紅いオーラが小さく漏れる。

(・・・いち・・ご・・・)

「あっ!なる!」

 いちごはなるの心の声を聞くことに成功した。彼女の願いが届き、なるの心の声が小さくいちごに響いた。

(いちご、あたし、力をあかりに奪われちゃったよ。だけど、何だか気分がいいんだ。とても楽でいられる。ハァ・・・)

 安堵のため息がいちごの頭に届く。なるの安楽な様子に、いちごは落胆しそうになりながら踏みとどまった。

 あかりによって石化された人たちは、力の全てだけでなく、心の中にある恐怖や不安、混乱などの負の感情や意識をも奪われてしまっている。あかりはそれらを、さらに自分の力に変えていた。よってなるたちの心にあるのは、安楽と安らぎだけである。

「マリア!」

 いちごは慌ててマリアに近づき、意識を集中させた。マリアの心の声がいちごに伝わる。

「マリア!マリア!」

(・・この声は、いちごですか・・?)

「マリア、あなたもあかりにやられたんだね。」

(いちご、私、とても居心地がいいです。もしかしたら、あかりが私の怖さを取り除いてくれたのかもしれませんね。)

「マリア、しっかりして!あなたはあかりの力で石にされちゃったのよ!」

(いちご、しばらくこのままでいさせてください。もう少し、この海の中を漂っているみたいな気分を堪能していたいのです。もう少し、もう少し・・・)

 いちごに響くマリアの安堵の声。その楽天的な心の態度に、いちごは胸を締め付けられる気分に襲われた。

 どうしてみんなこんなにも楽観的でいられるのだろうか。これもあかりの力なのか。恐怖も不安もなくなった人は、みんなこんな言動をするのだろうか。

 悲痛の思いを押し殺して、いちごは視線を満面の笑顔で見つめているあかりに向けた。

「あかり、どうしてこんなことするの!?みんなの力を奪って、それで何の意味があるの!?」

 苛立ちのこもるいちごの言葉に、あかりは無邪気に笑いながら答える。

「教えてあげる。それはね、ワタルさんをやっつけるためだよ。」

 あかりの言葉にいちごは驚愕し、憤りさえ感じた。

「ワタルを・・どうして!?ワタルは人として生き、私たちの力になってくれる人だよ!死にかけた私を助けてくれたんだよ!」

「ブラッドにしてね。」

 笑顔の消えたあかりの返答に、いちごは言葉を詰まらせた。

「あの人がいちごの血を吸ってブラッドにしてしまったのよ。ブラッドはディアスの一種。人じゃないよ。ワタルさんが、いちごをあたしたちの手の届かない世界に連れて行ってしまったのよ。」

「それは違うよ!私がワタルに血を吸ってほしいってお願いしたのよ!ワタルも最初はためらったわ!でも私がムリに頼んだから!」

「でも、ワタルさんがいちごをブラッドにしたのは変わらないことじゃない!」

 いちごの必死の説得。しかしそれが逆に、あかりに憤怒の気持ちを与えてしまった。

「ワタルさんが現れなかったら、あたしたちは今までどおり、楽しい生活を送れたはずだったのよ!あの人があたしたちを無茶苦茶にしたのよ!」

「ワタルはそんな人じゃない!ワタルさんがいなかったら、私は今まで生きてこれなかった!ワタルは私を、私たちを救ってくれたんだよ!」

「違う!いちごをブラッドに変えたのも、あたしにこんなことをせざるを得なくしたのも、全部ワタルさんのせいよ!あたしはワタルさんを許さない!あたしのこの力で、ワタルさんの息の根を止める!」

「そんなこと、私がさせない!」

 いちごが怒りをあらわにして、ワタルが振るうのと同じ紅い剣を具現化させた。

「お願い、あかり!なるやマリア、みんなを元に戻して!」

 いちごのこの言葉に、あかりは大きく哄笑を上げた。

「そんなことしたら、あたしがしてきたことがムダになっちゃうじゃない。それとも、その剣であたしを殺すの?」

「・・お願い・・石にされたみんなを戻して!」

 いちごが静かな怒りを込めて、紅い剣の切っ先をあかりに向ける。

「オブジェになったみんなを元に戻すには、あたしの力を取り除かなくちゃいけない。でも、あたしはみんなを元に戻すつもりはないわ。」

 あかりの言葉に、いちごは胸中で焦った。

 石にされたなるたちを助けるには、あかりのディアスの力を消すしかない。その方法は2つ。あかりが自ら力を解くか、あかりの命が消えるか。しかし、あかりに力を解く意思がないため、彼女の命を絶つしかない。

 だが、いちごにはそれはあまりにも酷なことだった。自分の手で親友を殺める。なるに勝るとも劣らない仲間想いであるいちごには、死ぬことよりも辛いことだった。

「いちごでもワタルさんでも、今のあたしに勝つことはできないよ。あたしはみんなの力をもらって、かなり強くなってるから。」

 いちごは迷いをかなぐり捨て、笑顔のあかりに紅い剣を振り下ろした。

 だが、その刀身はあかりに命中したはずなのに、彼女は傷ひとつついてはいなかった。

「あたしには通じないよ、いちごの力は。」

 その光景にいちごは驚愕を隠せなかった。

 様々な効果をもたらすブラッドの力は、使う人の心理状態に強く影響される。いちごが心の奥底であかりを傷つけることを躊躇したため、紅い剣の威力が半減してしまったのである。

「力をもらう前に、あたしの力を見せてあげるね。」

 あかりの周囲に風が巻き起こり、いちごを吹き飛ばし剣を叩き折った。いちごは大きく飛ばされ、空を写した壁に叩きつけられた。

「すごい力・・これがあかりの、ディアスとしての力・・!」

 驚異的な力に、いちごが驚愕する。

 渦巻く旋風の奔流の中で、あかりが悠然と視線を向けていた。

「これがあたしの力。空間を自在に操れるんだよ。」

 旋風の渦が治まり、あかりがひとつ息をつく。

 ディアスとして覚醒した彼女の主な力は3つ。相手の力を奪い、石に変える力。相手の精神に介入することで、その心を読み取る力。空間を支配し、自由自在に操る力。

 今、彼女は空間を操ることでいちごとなる、マリアを別の空間に移動させ、別空間からの衝撃波でいちごを吹き飛ばしたのである。

 別空間から放たれるこの力は、ブラッドの力をもってしても無力化させることはできない。

「いちごもいろいろ辛かったでしょ。今あたしが楽にしてあげるからね。」

 あかりが音もなく姿を消えた。

 いちごが身構えて数歩前に出た。するとその背後にあかりが姿を現した。空間を渡って移動したのである。

 振り返ったいちごに、あかりが右手を伸ばしてくる。

(やられる!)

 いちごが胸中で覚悟を決めた。

 そのとき、空を映し出す天井がガラスのように割れ、そこから人影が飛び込み、いちごとあかりの間に割って入った。

 あかりはとっさに後退して間合いをとった。いちごが顔を隠していた手を下ろすと、眼前にワタルが立っていた。

「ワタル!」

「いちご、大丈夫か!?」

「うん。ちょっと危なかったけどね。・・ワタル、その傷!?」

 いちごは、血みどろになったワタルの左肩に眼をやった。見るからにとても万全の状態とは思えなかった。

「ちょっと油断して、やられちゃったよ。けど、オレはヤツに勝ったぜ。」

 ワタルの余裕の混じった言葉に、いちごは安堵する。

「でも、どうしてここが分かったの?あかりの家の場所は教えてなかったし、この空間は私たちのいる空間とは全く違うはずなのに・・」

 ふと思い出したように、いちごがワタルに問いかける。

「ものすごい力が伝わってきた。いちごの力とは違っていたから、あかりちゃんかと思ったんだ。」

 そしてワタルはあかりに視線を向けた。彼のわずかばかりに見せていた余裕が消えた。

「それにしても、ものすごい力だ。押しつぶされそうだ。今まで相手をしてきたディアスの中でも1番だ。ダークムーンが最強のディアスだと言ったことがうなずける。」

 あかりの強大な力に圧倒されながらも、ワタルが紅い剣を構える。いちごも立ち上がって剣を握る。

「あかりはみんなの力を奪ってたの。それに、その力は空間を操ることができるのよ。」

「空間を・・!?」

 いちごの言葉にワタルが驚きの声を上げる。そして肩を落とし、大きくため息をつく。

「参ったな・・これじゃ勝てる可能性がない。」

「えっ!?ワタル!?」

「今のオレは体力が減って、左肩の傷でかなり出血してる。それにあかりちゃんは空間を操れる。ブラッドでも空間の壁を打ち破るのが精一杯だ。」

「諦めちゃだめだよ!」

 いちごの必死の言葉に、ワタルが振り返った。いちごが悲痛の思いでワタルを見つめていた。

「私たちが諦めたら、あかりは救えない!なるやマリアも助けられないよ!」

 いちごの励ましの言葉を聞き、ワタルはまたため息をついた。それは諦めのものではなく、諦めかけていた自分をバカバカしく思ったものである。

「そうだな。まだ可能性がなくなったわけじゃない。わずかでも希望があるなら、それを信じて、オレたちは戦う!」

 ワタルは覇気を見せて、紅い剣の切っ先を悠然と構えるあかりに向けた。

「ワタルさんのほうからやってきてくれるなんて、移動する手間が省けたわ。万全の状態でも、ワタルさんは今のあたしに勝てないよ。あたしの胸の中にある、ワタルさんを憎む気持ち。今、ワタルさんにぶつけてあげる!」

 そう言うとあかりは空間を渡り、ワタルたちの背後に移動した。

 ワタルといちごはすぐさま振り返り、手に握る紅い剣を振りかざした。

 しかし、あかりの空間を操る力によって、2つの刀身が一瞬にして消失した。

「えっ!?」

「これがあかりちゃんの、空間を操る力・・!」

 驚愕する2人に、あかりの別空間からの衝撃波が襲いかかる。空一面の床を転げ回る2人。痛みのあまり、うめき声を漏らす。

「2人がかりでも通じないよ。いちごやワタルさんの触れられない世界に、あたしは踏み込んでいるんだからね。」

 あかりが妖しく笑いながら、ワタルたちを見下ろす。

「じゃそろそろ、ワタルさんに辛い思いをさせなくちゃね。最高に苦しめて殺してやるわ。」

 あかりはふわりと飛び上がり、別空間を通っていちごの横に現れた。

 虚を突かれたいちごに、あかりが力を奪おうと右手をかざした。

 あかりが描いたワタルへの苦しみは、彼の眼の前で彼が大切に想っているいちごを石化することだった。それによって、ワタルはいちごを守れなかったことに対してかつてない絶望にさいなまれ、そんな彼にとどめを刺そうと考えていた。

「いちごっ!!」

 いちごを守りたい想いが、ワタルの背中を後押しした。

 傷ついた体を引きずって、あかりの右手から放たれた光の真っ只中に飛び込んだ。

「ワタル!?」

「どうして・・!?」

 あかりと、光に包まれたいちごが驚愕の声を上げる。

 まばゆい光は、いちごばかりでなく、彼女を守ろうとしたワタルの力さえも奪い去っていった。

 やがて光が治まり、あかりの右手に吸い込まれていく。ワタルは駆け出した勢いで、いちごの体を抱きしめた。力を失ったことによって、2本の紅い剣が消失する。

「いちご、大丈夫か!?」

「うん。でもないかな。あかりに力を奪われちゃったし・・」

 ワタルが心配の声を上げ、いちごが笑顔を作る。

「何で、私をかばったの?あなたまで力を奪われちゃったら、誰があかりを救えるの!?誰がなるたちを助けられるの!?」

 いちごの悲痛の声が、ワタルの耳に、心に響く。

  ピキキッ パキッ

 あかりの力によって、2人の足が灰色に変わり、靴がバラバラになった。さらけ出された素足は固く冷たく、所々にヒビが入っていた。

 2人は痺れるような刺激を受け、足の感覚がなくなった。極寒の中、完全に冷え切ってしまったかのように。

 ワタルが物悲しげな笑みを浮かべる。

「ダメだよ、オレには・・」

「えっ・・!?」

「もしもいちごを守れなかったら、オレは何のために戦っているのか、分からなくなってしまうよ。君はオレにとって、心のより所だからね。」

「ワタル・・・」

 ワタルの優しい言葉が、いちごの心に突き刺さる。涙をこらえることができなくなる。

  ピキッ ピキッ

 ワタルといちごの石化が進行し、ジーンズとスカートが引き裂かれる。

 2人の心に虚無感と安堵感が込み上がってくる。

「ワタル、何だか気分がよくなってきちゃった・・ホントに力がなくなっちゃったみたい・・・」

「いちご、平気か?ずっと裸のままで、しかも動けなくなるんだぞ。」

 ワタルの言うとおり、2人はあかりの石化の力によって、衣服を全て剥がされようとしていた。

 しかし、いちごの小さな笑みは消えない。

「構わないよ。ワタルにはもう裸見せちゃってるし、ワタルと一緒だったら、どんなことになっても怖くないよ。」

「いちご・・いちご!」

 ワタルはいちごを強く抱きしめた。抱擁されたいちごが吐息を漏らす。

「こんなオレを、こんなにも想ってくれるなんて・・いちご、君はオレの光だ。君と出会ったことで、オレは闇から抜け出そうとする気持ちを持つことができた。今オレはとっても幸せだよ。」

「私もだよ・・ワタル・・・」

  パキッ ピキッ

 快楽に浸る2人にかけられた石化が、胸を浸食する。痺れるような刺激と貫くような冷たさが2人の体に伝わるが、互いを抱擁する2人の心は温もりが残っていた。

 虚ろな表情のまま、ワタルといちごは唇を重ねた。

 かつてない快楽と安堵が、2人の中に入り込んでくる。あまりの開放感に涙さえこぼれてくる。

  ピキッ ピキキッ

 石化は2人の体を完全に浸食し、身にまとっていた衣服が全て剥がれていった。

(なる、マリア、ゴメンね・・私とワタルでも、助けることができなかったよ・・)

 快楽の中、いちごが胸中で呟く。

(でも、これだけは思うの・・私はワタルと出会えてよかったって・・このまま裸で、石にされちゃうけど、私たちが幸せだってことは変わらない・・)

  ピキッ パキッ

 2人の頬にもヒビが入り、口付けをしたまま唇も固まった。いちごとワタルの視界が次第にぼやけてくるが、2人の脳裏にある互いの姿ははっきりと映し出されていた。

(いちご、オレは君が・・)

(ワタル、私はあなたが・・)

 意識が遠のいていく中、ワタルといちごの心の声が重なる。

(・・ダイ・・ス・・・キ・・・)

  フッ

 やがて2人の瞳から命の輝きが消え、涙腺が途切れる。

 お互いの一糸まとわぬ体を抱きしめながら、ワタルといちごは灰色の石像へと変わった。

 

 

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