Blood File.4 ネットの悪魔

 

 

 翌日、いちごは前日の運命の転機がなかったかのような雰囲気で、あかりたちと登校していった。

 ブラッドとなったいちごは、心配かけたくないという思いでそのことはあかりたちには秘密にし、マリアから受け取った瞳の色が黒くなる特殊コンタクトレンズを使用することにした。

 当然、覚醒されたはずの自分の力の使い方を彼女はまだ知らない。地道に慣らすと言って、いちごはワタルの教えを断った。

 ワタルもそれで納得した。悲劇の連鎖のさらなる広がりを知らないまま。

 

 パソコンやインターネットが盛り上がりを見せ、それが当たり前になりつつあった現代。

 しかし、その魅力に囚われた人や将来や社会に対して失望した人が、部屋に閉じこもって一昼夜パソコンに向き合っている現象が少なくなかった。

 浅野亮二。彼もその1人である。

 彼はネット代などを除いた料金が無料のサイトをよく開く。

 その1つで、彼は我慢のならない憤慨を感じた。

 そこには他人を中傷する書き込みがいくつもあった。最初それは自分に向けられたものではなかったが、彼がいさめようと書き込みをすると、逆に自分に中傷の矛先が向いてきたのである。

 亮二の中で殺意が芽生えた。2度と中傷できないほどに叩き潰したいと。

 しかし、これは不可能と言っても過言ではなかった。

 ネット間で行われているやり取りは、相手に触れられないのはもちろんのこと、相手の顔さえ分からないものである。

「へっ!またふざけたこと言ってやがるよ。なぁ?」

 亮二がパソコンのキーボードをいじりながら、不気味な哄笑を上げる。それは誰に向けられて言ったものなのか。

 部屋には亮二以外誰もいないはずだった。しかし、そこには悪魔が住み着いていた。

「なんだ亮二、またやってやがるのか?その、何だ・・イ、インタ・・」

「インターネット。また1人、お前の餌がバカな書き込みをしてきたぜ。」

 不気味な声を発した悪魔が姿を現した。人間と同じくらいの大きさはあるトカゲのような悪魔だった。

 普段は亮二の飼っているペットのトカゲに成りすまして、部屋を漂っていたのである。

「この世界は愚か者どもで満ち溢れている。亮二、お前とオレがそいつらを駆除してやるんだよ。」

「お前の力がなかったら、こんな嬉しい気分にはなれなかったよ。さすが、リザドス様様だ。」

「お前が、傷ついたオレを助けてくれたからさ。オレも餌が手に入るんで、お互いがいい思いをしてるだけの話さ。」

 悪魔ディアスの1体、リザドスがパソコンの画面に向けて眼を光らせた。

「で、今度の餌はどいつだ?」

「ああ。このハンドルネームのヤツだ。」

 リザドスの眼光がさらに強まる。

 リザドスは様々な空間を経由して、餌となる人間の魂を奪い取ることができるのである。亮二のパソコンからネットという電子世界を通って、標的の情報を得てそのパソコンを探し出し魂を抜き取るのだ。

 亮二の憎む人間の魂を得ることでリザドスも満たされる。人間とディアスの共存がここに実現しているのである。

 

 数日前から、街では原因不明の昏睡状態に陥り、病院に運ばれた人たちが相次いでいた。

 患者はいずれもパソコンでネットをしていて、操り人形の糸が切れたように突然倒れたという。

 そしてその十数人が、またも原因不明の突然死を遂げていた。

 警察は画像、フラッシュ、書き込みなど、様々な線で原因を追求していたが、患者が中傷的な書き込みをしていたこと以外何も分からず、行き詰っていた。

 この事件のためにサイトを休止、閉鎖する管理者も少なくなかった。

 この事件はワタルの耳にも、バイト先のパン屋の店長、富士野・J・ジョージアの口から届いていた。

「ホントですか、店長?」

「うむ。わしはパソコンも使わないからよく分からんのじゃが、新聞やニュースで大げさに騒がれておるわい。」

 運送されてきたパンを運びながら、ワタルは事件のことを考えていた。

 ディアスの中には、命あるものの魂を抜き取って喰らっているものがいる。この事件の裏にそんなディアスの存在を嗅ぎ取っていた。

 そして心の片隅で、ワタルはいちごのことを気がかりにしていた。

 ブラッドになっても、その明るさは以前と変わらない様子を見せていた。

 しかし、ブラッドと人間とのすれ違いを感じ始めるのはこれからである。普段と変わらない時を送りながらも、ワタルの不安は募るばかりだった。

 

 その日の昼休みも、いちごたちはあかりたちと昼食を取っていた。

 全員、売店でパンを購入して、屋上で食べることにした。

 いちごが買ったのはクリームパンと大好物のガーリックトースト、それぞれ2つずつである。

 会話を楽しみながらクリームパンを食べ終わったいちごだったが、ガーリックトーストは喉を通らない。

 そのことはいちご本人はもちろん、あかりたちも動揺を隠せないでいた。

「どうしたの、いちご?食欲ないの?」

 あかりが心配のあまりに声をかけてきた。

「だ、大丈夫よ!何でもないから安心して。」

「でもなぁ、滅多なことなら好物のそいつを必ず食べるアンタが食べようとしないなんて。今日は雪でも降るんじゃないのか?」

「こんな都会にですか?」

 なるがからかうように言い、マリアがそれに相づちを打つ。

「ちょっと!それってどういう意味よ!」

 いちごがふくれっ面でなるに突っかかる。

「ワリィ、ワリィ。じょうだんだって。」

 苦笑いするなると、おかしく笑うあかり。

 いちごは苦笑しながら、胸中で不安になっていた。

 ブラッドは吸血鬼だが、おとぎ話のような吸血鬼の弱点はない。しかし、いちごはこの2者を混同してしまい、ないはずの弱点に反射的に拒絶してしまっていた。

「そうだ!いちご、いいもの買ってきたんだ。」

 あかりはスカートのポケットから小さい袋を取り出した。

 封をしていたセロハンテープをはがし、中から2つのピアスを取り出した。それぞれ三日月と星の飾りの付いたピアスだった。

「繁華街の出店で勧められたから買っちゃった。愛を永遠のものにするって言われてる“星空のピアス”だって。」

「騙されたんだよ。非合法(モグリ)のよく使う売り文句。」

「うるさいわねぇ!」

 冷やかすなるに、今度はあかりがふくれる。またも苦笑するいちごに気が付き、照れながら向き直る。

「女性が左耳に三日月のピアスを、男性が右耳に星のピアスを付けると、必ず幸せになれるらしいよ。これ、あたしが持っててもしょうがないから、いちごにあげるね。」

「えっ!?そんなにいいもの、受け取れないよ!」

「いいって、いいって。星のピアスはワタルさんにつけてあげるといいよ。」

「だから、そんなんじゃないって〜!」

 笑う3人と、恥ずかしくなって赤面するいちご。照れ笑いしながらいちごは“星空のピアス”を受け取り、三日月のピアスを左耳に付けてみた。

「おおっ!けっこう似合うじゃないか!」

「ホント!絵になるようですわ!」

 なるとマリアが感心の声を上げる。

「そ、そうかな。あははは・・・」

 思わず上機嫌になったいちごは、その場でくるりと1回転して見せた。付けたピアスの三日月が揺れる。

「ありがとう、あかり。大事にするよ。」

 感謝するいちごに、あかりは笑顔でうなずいた。

 

「こんにちは、ジョージアさん!」

 放課後、あかりたちと別れたいちごは、そのままジョージアのパン屋に訪れていた。

「おお、いちごちゃん。ワタルなら今仕事を終えて着替えておるところじゃ。」

 腰かけていた椅子から立ち上がったジョージアは、いちごの左耳の三日月のピアスに気が付いた。

「おおっ!なかなか綺麗な耳飾りじゃないか。」

「あかりからムリに渡されちゃって、エヘヘヘ・・」

 照れ笑いするいちごと、優しく微笑むジョージア。そこに着替えを終えたワタルが顔を出してきた。

「店長、おつかれ!」

 気さくな笑みを見せてジョージアに挨拶するワタルは、その横にいたいちごに気が付く。

「おう、いちご!」

「ワタル、ちょっとコレを右耳に付けてみて。」

 いちごは持っていた星のピアスをワタルに手渡した。

「何だ?ピアスじゃないか。」

 何がなんだか分からず、ワタルは呆然と手のひらにあるピアスを見つめていた。

「いいから、いいから。」

 いちごの意図が飲み込めないまま、ワタルは鏡の前で右耳に星のピアスを付けてみる。

「おお。けっこういい感じじゃないか。」

 ピアスを付けた自分の姿に感心するワタル。そしてふと思い出したようにいちごに向き直る。

「けど、どうしてオレに?それに何で右耳なんだ?」

「ちょっとしたおまじないよ。男の人が右耳に星のピアスを、女の人がこのように左耳に三日月のピアスを付けると、その男女は幸せになれるんだって。“星空のピアス”っていうの。」

 いちごが嬉しそうに説明する。

「オレはあまり信じないなぁ、そういうのは。」

 ワタルが苦笑いして、いちごが肩を落としてため息をつく。その様子を見つめながら、彼は胸中で呟いていた。

(もし信じて当たっていたなら、ブラッドとしての辛さから抜け出せていたはずだよ。)

 

 ワタルがいちごと帰宅したのは夕暮れ時だった。冬の日は落ちるのが早く、すぐに空を暗くする。

 その日の食事当番はワタルだが、彼は調理が苦手で、いつもいちごに手伝わせる形になってしまっている。

 やっとのことで料理が出来上がり、食事を取っている中、ワタルはいちごに声をかけてきた。

「いちご、何か変わったことなかったか?」

「変わったこと?」

「いつもと何かが違うとか、ヘンなものが見えたりとか。」

「そう言えば・・」

「何かあったのかい!?」

 ワタルがテーブルから身を乗り出して問い詰めてくる。その様子に、いちごは一瞬唖然となる。

「うん。大好きなガーリックトーストが喉を通らなかったの。滅多なことなら絶対食べられるのに。」

「それだけ?」

「うん。それだけ。」

 呆れるような答えを聞かされたワタルに、いちごは頷いた。そしてワタルは思わず苦笑いしてしまう。

「そうか・・」

 その様子が腑に落ちず、いちごは浮かべたままだった。

 しかし、ワタルの不安が消えたわけではない。

 ブラッドは血と恐怖を好む吸血鬼。いつその本能に囚われるか分からない。ブラッドになり始めた自分も、本能に支配されまいと必死だった。

 ワタルは、いちごがその本能に押しつぶされないことを祈るばかりだった。

 

「今日もいい餌が集まったものだ。」

 亮二がパソコンに顔を向けている部屋の中で、リザドスが不気味な哄笑を上げていた。

 その眼前にはいくつもの異なる色の水晶の玉が置かれ、その中にはそれぞれ人間が収められていた。

「ネット回線をつなげているパソコンを通じて、相手の魂を抜いて封じ込める。オレとお前の最高の良策だな。」

 リザドスは相手の魂を抜き取ってそれを食す。しかしあえて魂を水晶に封じ込めておくことで、長時間保存することができる。

「だが、街は魂の抜け殻となった人間たちがあふれ返って、大騒ぎになっているな。だが、まさかこれがオレたちの仕業とは、間抜けな人間たちには誰も気付けないだろうな、亮二。」

「そういうこと。オレはバカがいなくなっていい気分になれるし、お前も餌が手に入る。一石二鳥だな。」

 リザドスと亮二の哄笑が部屋に響き渡る。

「さて、そろそろいただくとしよう。」

 リザドスは舌を伸ばし、魂の入った水晶をかき分ける。そしてその1つを選び出し、舌の先端を付けた。

 舌の先端が広がり、水晶を取り込む。取り込まれた水晶は舌の中を通過して、口の中に吸い込まれていく。

 食料となった魂を飲み込み、リザドスが安堵の吐息を漏らす。その様を見て亮二が呆れるように苦笑いする。

「トカゲみたいな姿なのにヘビみたいに丸飲みして、えげつない食い方するなぁ。けど、これでそいつはもう完全に助からなくなったな。なんせ魂が喰われてなくなっちまったんだからな。」

 絶対の自信を決め込んだ亮二が、リザドスとともに再び哄笑を上げる。

 しかし彼らは知らなかった。

 人間に味方するディアスの存在を。

 人として生きるブラッド、保志ワタルの存在を。

 

 

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