Blood -white vampire- File.7 檻髪

 

 

 シエルに逃げるよう促されたあおいは、急いで健人たちを求めて遠野の屋敷に向かった。

 シエルは神に仕える代行者。そう簡単にやられるはずがないと思っていた。

 しかし、何かイヤな予感がする。彼女の身に、いや、周囲に何かが起こる気がしていた。

 そしてやっと、遠野家の門の前までたどり着いた。

 チャイムを押すことも忘れ、あおいは門をくぐり抜けて、玄関の前まで飛び込んできた。すると彼女が開ける前に、玄関の扉が開いた。

「どうしたんですか?いきなり人の家に・・・あれ?あおいちゃん?」

 出てきたのは琥珀だった。見知らぬ人が入り込んできたと思ったが、相変わらず笑顔を絶やしてはいなかった。

 その後ろから、健人としずく、志貴と秋葉が顔を見せてきた。

「遅かったね、あおいちゃん。あれ?どうしたの?」

 しずくがあおいに問いかける。ただ事に思えない彼女の様子に眉をひそめていたのだ。

「しずく、健人、大変だよ・・お姉ちゃんが・・シエルお姉ちゃんが・・・」

「えっ?シエル先輩がどうかしたのか・・?」

 シエルのことを聞かされ、志貴に動揺が浮かぶ。

「早く来て!このままじゃお姉ちゃんが!」

 あおいはみんなの返事を待たずに、きびすを返して再び外に飛び出していった。

「あおいちゃん!・・オレたちも行こう!」

「うんっ!」

 健人としずくが、あおいの後を追って、続いて外に出て行った。志貴も続いて外に出ようとすると、

「待ってください、兄さん。」

 秋葉の呼び止める声がかかり、志貴は足を止めて振り向く。

「止めないでくれ、秋葉。先輩の一大事かもしれないんだ。」

 妹に真剣な眼差しを向ける志貴と、兄を心配する秋葉。しかし、どんなに望んでも今の兄を止められそうもないことを、秋葉は理解していた。

「ただし、怪我のなさらないよう、お願いしますよ。私だけでなく、琥珀や翡翠にも迷惑をかけることになりますからね。」

「分かってるさ。必ず無事に帰ってくるから。」

 志貴は少し笑みを見せて、再び足を進めた。秋葉はただ、兄の後ろ姿を見送るしかなかった。

 

 あおいに案内されて、健人たちは公園に足を踏み入れた。街灯だけが道を淡く照らすだけだった。

「あおいちゃん、シエルさんはどこにいるんだ?」

 健人が周囲を見回しながら、あおいに問いかける。慌てて駆けたためか、あおいは広場の場所を思い返すのに、少し時間を要した。

 思い返しながらあおいが何とか広場にたどり着く。そこで彼女は信じられない光景を目の当たりにする。

「えっ・・・?」

 

 夜は昼と比べて気温が一気に低くなる。石化されたシエルの肌に、夜の冷たい風が刺さる。

(寒い・・・夜がこんなに寒く思えるなんて・・・)

 肌寒さに困惑するシエル。しかし石になった体は、彼女の思うように動いてはくれなかった。

 支配されたことを痛感していた。不死の呪縛とは違う、全てを他者に握られる心境を感じていた。

 このままこの寒さを体感し続けるのだろうか。まるで極寒の雪山に放り込まれたような。

 いや、もしこの夜を切り抜けたとしても、朝になれば人が来てしまう。そうなれば、その人たちに自分の肌を見せることになる。

 どうしたらいいのだろうか。どうにもならないのだろうか。

 そんな困惑が広がる中、シエルは誰かがこちらに近づいてくるのに気付いた。

(どうしよう・・今、不安になったばかりなのに・・・)

 シエルの不安が頂点に達する。もうどうにもならない。

「えっ・・・?」

 小さく聞こえてきた声に、シエルは聞き覚えがあった。

(あおいちゃん・・・あおいちゃん!)

 シエルが心の声を上げる。彼女の前に現れたのはあおいだった。

 彼女は変わり果てたシエルの姿に動揺を隠せなくなっていた。

 その後から、健人、しずく、志貴が駆けつける。そこで彼らもあおいと同じように動揺を見せる。

「シエルさん・・・?」

「せん、ぱい・・・!?」

「同じだ・・・オレが使ってた石化と・・・」

「えっ・・!?」

 健人のもらしたその言葉に、しずくと志貴、あおいが振り向く。

「オレと同じような力が、シエルさんに働いている・・・体を石にされて、心だけ・・・」

 健人は昔の自分を思い返していた。

 生粋のSブラッドである彼は、死の淵に立たされたのをきっかけに、力の暴走を引き起こすことが多くなった。力や能力に対する歯止めが利かなくなり、周囲にまで危害を加えるに至ってしまった。

 その被害はしずくにも及んだ。彼女に石化の力をかけ、裸にしてその体を弄んでしまった。自分の欲望と制御できない力に駆られて。

 その悲痛な過去を振り切って、健人はしずくに視線を向けた。

「しずく、シエルさんの体に手を当ててくれないか?」

「えっ!?・・ち、ちょっと、何言ってるの、健人!?」

 思わず赤面して混乱してしまうしずく。ふざけて言っているものではないかと思ったが、彼の顔は真剣だった。

「君だって使えるはずだ。触れることで相手の心を読み取る力が。」

「あっ、そうか。」

 しずくが思い出したように声を上げる。志貴は顔を赤らめたまま、押し黙ってしまっている。

 しずくは覚悟を決めて、シエルの石の肌に手を当てた。

「シエルさん、私の声が聞こえたら念じて・・・私に話しかけて・・・」

 しずくは念じた。石化したその体の中にあるシエルの心との疎通を。

(し、しずくさん・・・?)

「シ、シエルさん!」

 シエルの心の声を聞き取り、しずくが叫ぶ。

「あおいちゃんから聞いて、みんなで来たんです!シエルさんは大丈夫ですか!?」

(えぇ・・大丈夫かと聞かれたら、そうではないのですが・・・)

 シエルが少し困った様子で答える。

「先輩、ここで何があったんですか・・!?」

 次に問いかけたのは志貴だった。受け答えできるのがしずくだけであるにも構わず、彼女に声をかけたのだった。

(遠野くん、弓塚さんが・・弓塚さんがさらわれて・・・)

 シエルのこの言葉に、しずくは緊張を感じた。

 

 シエルから話を聞いたしずくは、その話を健人たちに伝えた。そこで1番ショックを受けたのは志貴だった。

 先輩が敵の手にかかって石にされ、さらにさつきもその敵に捕まってしまった。どうしようもない気持ちでいっぱいになっていた。

「そんな・・・先輩がこんな姿にされただけじゃなく、弓塚さんまで連れ去られるなんて・・・」

「とにかく、その男を探さないと。シエルの言うとおりヤツがブラッドだとしたら、ヤツの力が消えない限り、シエルさんの石化は解けない。」

 健人が空を仰ぎ見ながら、今回の出来事の敵を見据えた。

 ブラッドによる力を受けたものは、そのブラッドが力を消すか、そのブラッドが死なない限り、そのほとんどの効果は永続的にそのものを蝕む。

 シエルを助けるには、まず彼女を石化した白服の男を見つけなければならない。

「相手の出方を待たないと打つ手がないなんて、何だか複雑になってくるね。」

 困った顔で呟くしずく。健人も志貴も困惑を拭えていない。

 そんな中、あおいは真剣な表情を浮かべていた。

 自分の意思で行動し、知り合い心を通わせた人。彼女の危機を救おうと、白服の男に対する敵対心を抱えていた。

「まずは、シエルさんをどうしたものか・・」

 健人がおもむろに口を開く。その言葉にしずくとあおいが振り向く。

「そうね・・このままここに置いとくわけにいかないし・・・」

「先輩のアパートに運ぼう。ここしか落ち着ける場所もないだろう。」

 戸惑うしずく。志貴がシエルを彼女のアパートに運ぶことを提案する。

「しずくとあおいちゃんはシエルさんを頼む。オレと志貴で周りを見るから。」

「うん。」

「えっ・・?」

 健人の言葉にしずくとあおいは頷くが、志貴は少し戸惑いを見せた。

「男に裸の女性を運ばせる気か?ここは同じ女に任せて、男のオレたちは周りに人が近づいてきたときに対応できるようにするんだ。」

「そ、そうか・・」

 志貴は納得して、しずくたちの先行に向かう。健人も続いて周囲を見回す。

「それじゃいくよ、あおいちゃん。」

「うんっ!」

 しずくが声をかけ、あおいが力強く頷く。2人はシエルの体に手をかけ、彼女を持ち上げる。

(な、何だか複雑な気分です・・・)

 シエルが胸中で戸惑いを浮かべる。その声を聞いたしずくも困惑し、完全に困った顔をする。

 警戒しながら進む健人たち。広場を抜け、小道に入るまでは人に出くわすことはなかった。

 しかしその小道を出たところで、

「あっ・・!」

 そこを通りがかったOLに見られてしまった。

 OLは彼らの姿と行動に一瞬唖然するが、困惑のあまり悲鳴を上げる仕草を見せる。

「まずいっ!」

 健人はとっさにそのOLに右手を向ける。その手から閃光を放つ。

 OLがその光に包まれる。その光が治まると、彼女は両手を胸の辺りに持っていった状態のまま動かなくなっていた。時間凍結にかかり、色をなくして固まっていた。

「ふう・・危ないところだった・・」

「でも、こんなことして大丈夫なの?」

 安堵する健人。しずくが彼にそわそわしながら問いかける。

「ああ。時間差で解除するようにしてある。1分後に解けるように。」

「でもあまりのんびりできないな。急ごう。」

 志貴の言葉を受けて健人が頷き、しずくたちも急いでその場を後にした。

 それから約1分後、OLにかけられていた時間凍結が解けた。悲鳴を上げかけたが、なぜそうしようとしたのか分からなくなり、しばらくその場で困惑に囚われていた。

 

 何とか人目を避けながら、シエルのアパートにたどり着いた健人たち。

「やっほー。みなさん、おそろいで。」

 そこで白のハイネックの少女が、気さくな声をかけてきた。吸血鬼、アルクエイド・ブリュンスタッドである。

「アルクエイド・・お前が、どうしてここに・・・?」

「あぁ、あおいちゃんがシエルのところにいるってきい・・て・・・」

 志貴の声に答えようとして、言葉に詰まりだすアルクエイド。彼女の眼に、シエルの変わり果てた姿が映ったのだ。

 あおいが再び沈痛の表情になる。それを見たアルクエイドから笑みが消えた。

「何かワケありのようね。」

 頷いたしずくは、シエルを部屋に運びながら、アルクエイドに事情を話した。

 この街に現れたブラッド。さつきがさらわれ、シエルを石化した白服の青年。

 彼が何かを追い求めて、さらなる行動を起こそうとしていること。

「なるほどね。そんなことがね・・」

 部屋の中でアルクエイドが頷いてみせる。

 彼女たちは今、シエルの私室にいた。その中心には、石化されたシエルが立ち尽くしていた。

 裸にされていたシエルだったが、しずくにベットに敷かれていたシーツをかけられて、肌をさらけ出すのを免れていた。

「だから、先輩と弓塚さんを助けるには、その男を見つけなくちゃいけないんだ。」

「そういうことね・・・」

 志貴の言葉にアルクエイドは頷いた。

「とにかく、オレは家に戻るよ。健人さんもしずくさんも戻るからさ。」

「そう。それじゃ私も志貴の家に行く。」

 立ち上がるアルクエイド。

「けど、それじゃあおいちゃんが・・」

「大丈夫ですよ、私は。」

 志貴の不安の声に、あおいが笑顔で答える。

「私は1人でも大丈夫です。といっても、シエルさんがちゃんといますからね。」

「そういうこと。ここはあおいちゃんに任せて、私たちは行こう。」

 あおいの言葉を受けて、アルクエイドが志貴を急かす。玄関の前で、アルクエイドがふと足を止める。

「それにしても、あなたがまさかこんな姿にされるなんてね。」

(相変わらず軽口を叩いてくれますね、アルクエイド。)

 妖しく笑うアルクエイドに、シエルが胸中で愚痴る。その声はアルクエイドに届いていた。

(もしも体が石になっていなければ、この場であなたを始末して差し上げたのですが・・)

「へぇ。だったらあの白服さんに感謝しなくちゃいけないかもね。」

 アルクエイドは振り返り、シエルに近づいた。

(な、何を考えているのですか・・・!?)

 シエルが赤面したい面持ちで聞くと、アルクエイドが満面の笑みを見せる。

「たとえば、こんなふうにしても、あなたは文句のひとつも言えないわけね。」

 アルクエイドがシエルの石の胸を指でつつき始めた。

(ち、ちょっと!やめなさい!そんなことをして・・!)

 シエルが心の声を上げるが、アルクエイドは聞こえないフリをして、さらに彼女をからかう。

「あの、やめてほしいんですけど・・」

 それを呼び止めたのはあおいだった。彼女のムッとした表情に、アルクエイドは指を止めた。

「フフ、ちょっとからかってみただけよ。私も彼女にいろいろやられてるからね。でもいいわ。今はこんなことしてる場合でもないからね。」

 微笑をもらしたアルクエイドが、呆れたようにきびすを返す。

 吸血鬼である彼女と、神の力を扱うシエル。対面すれば対立は避けられない2人だった。

 石化され身動きできなくなっていることをいいことに、アルクエイドはシエルを弄ぼうと企んだのだ。

「それじゃ、後は頼んだよ〜。」

 アルクエイドは気さくな声をかけ、あおいにシエルを任せて外に出て行った。彼女のそんな言動に、あおいは思わず笑みをこぼしていた。

(シエルさん・・・みんなが・・みんなが何とかしてくれるから・・・)

 

 満月の光に照らされた遠野家の屋敷。

 秋葉は私室で読書をして、志貴や健人たちが帰ってくるのを待っていた。

 不安は拭えなかった。しかし彼らの強い意志をねじ曲げることは、彼女にはできなかった。

「秋葉さま、そろそろお休みになられたほうが・・」

 そこへ琥珀が現れ、秋葉に微笑みながら一礼する。秋葉は読みかけの本をテーブルに置き、琥珀に振り向く。

「気持ちは分かりますが、もしも秋葉さまに何か起きたら、志貴さんや健人さんの心配の種を増やすことになってしまいますよ。」

「分かったわ、琥珀。でも、もう少しいいかしら?」

 秋葉は眼を閉じて、琥珀の心配を受け入れる。そして置いてあった本に手を伸ばす。

 そのとき、彼女はただならぬ気配を感じ、本に伸ばしかけていた手を止める。

 顔を上げた彼女の視線の先、窓の先のベランダに、1人の青年が立っていた。揺らめくカーテンの先に、白服に身を包んだ青年が立っていた。

「おや?ここには椎名健人も遠野志貴もいないようだ。」

 青年が部屋の中を見ながら呟く。

「あなたは誰ですか?人の家に勝手に足を踏み入れるなんて、あまりにも不謹慎ですよ。」

 立ち上がった秋葉が、白服の青年、ランティスを鋭い視線を向ける。ランティスは顔色を変えずに、彼女を見つめて妖しい笑みをこぼす。

「厳しい人だな。君が志貴の妹の秋葉か。なかなか気の強い、吸血鬼だね。」

 妖しく笑うランティスに、秋葉は困惑を覚える。シエルから得た記憶、ブラッドとしての感性で、彼女が吸血鬼であることを感じ取っていたのだ。

「あなたも人間ではなさそうですね?」

「フフ、ご名答。オレはランティス・シュナイダー。志貴はどこにいるのかな?」

 動揺を押し殺す秋葉に、ランティスが妖しく笑う。

「兄さんはここにはいません。兄さんに何の用ですか?」

 問いかける秋葉の長い黒髪が、風もないのに大きく揺らめく。そしてその髪の色が紅く染め上げられていく。

「もしも兄さんに危害を加えるつもりならば、容赦はいたしません!」

 赤髪の吸血鬼となった秋葉が、ランティスに敵対の意思を見せる。

 

 

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