Blood -white vampire- File.5 不死

 

 

 シエルと対立してから翌日。

 健人としずくは、琥珀の調理した朝食をいただいていた。

 遠野家の規則ということで早々から翡翠に起こされた彼らは、琥珀からご飯とパンの好きなほうを作ってくれると言われた。ただの泊り客が贅沢を言えないと健人たちは言ったが、気にしないでくださいと琥珀に言いとがめられてしまった。

 結局、2人は彼女の言葉に甘えることにして、パンを頼むことにした。

「おいしい。こんなスープ、初めていただいた気がするよ。」

「そうですか。ほしいときにはまたお作りいたします。」

 感嘆の声をもらす健人に、琥珀は笑顔で頷いた。その傍らで、志貴は困惑の消えない面持ちで、秋葉はすました表情で朝食を食べていた。

 あの夜、シエルは1人で健人たちから退却した。志貴やあおいの付き添いさえ拒み、ボロボロの衣服と体を引きずって、どこかへと姿を消した。

 大丈夫だろうかと健人も志貴もあおいも心配したが、ただ彼女を見送るしかなかった。

「ところでしずく、あおいちゃんの姿が見えないけど・・?」

「あおいちゃん?あの子なら、シエル先輩の住所を聞いてきたけど・・」

「えっ?シエルさんのところに?」

 健人の問いかけに志貴が答える。

 あおいは早々に朝食を済ませて、彼にシエルのアパートの住所を聞いて、すぐに外に出て行った。翡翠が呼び止めたが、彼女は聞かなかったそうだ。

「でも1人じゃとても危険だよ。すぐに探しに・・!」

 心配になって席を立つしずくを、健人は手で制して止めた。

「健人?」

「大丈夫だと思うよ。あの子も自分の意思で道を決めてるんだ。邪魔しちゃ悪いよ。」

 健人の言葉に、しずくは不安を拭えないまま、ただ頷くしかなかった。

 

 どこにでもあるような普通のアパート。その一室の前にあおいはやってきていた。

 志貴からシエルの住んでいるアパートの住所を聞き、その部屋の前に立っていた。

(ここに、シエルお姉ちゃんが・・・)

 満身創痍の体のまま退散したシエルのことを、あおいはどうしても放っておくことができなかった。

 あおいは思い立って、インターホンのボタンを押そうとする。しかし高くてボタンに届かない。

 それでも頑張って背を伸ばしてボタンを押そうとするあおい。すると突然ドアが開いて、あおいが前のめりに倒れる。

「うわっ!」

 倒れたあおいは、姿を見せたシエルのスカートに顔をうずめてしまった。

「だ、大丈夫ですか?」

 シエルが少し慌てた顔で、うつ伏せに倒れているあおいを起こす。

「う、うん、大丈夫・・エヘヘ・・」

 あおいが起き上がりながら苦笑いを浮かべる。力になってあげようと思っていた彼女だが、早速逆にシエルに助けられる形になってしまった。

「ところで、あおいちゃん、ですよね?・・どうしたんですか、こんなに早く・・?」

 シエルが問いかけると、あおいから笑みが消えていた。

「お姉ちゃんのこと、ずっと心配してたから・・・ゴメンね、いきなりやってきちゃって・・」

 あおいが謝ると、シエルは少し戸惑いつつも、普段見せる笑顔で彼女を見つめた。

「ありがとう、あおいちゃん。私はもう大丈夫だから。」

「でも、健人と戦って傷だらけになって、時間凍結までかかったんだよ!それで何ともないなんて・・!」

 悲痛の声を上げるあおい。シエルは彼女の気持ちを察した。

 神の力を持つ人同士の共感というだけではない。それ以外に引かれる何かを、あおいはシエルから感じ取っていた。

「大丈夫。私は不死の体だから・・・」

 シエルは物悲しい笑みを浮かべて、自分の体を呪った。

 死の淵から這い上がった結果にもたらされたものだが、ときどき彼女はそれを呪うことがあった。

「ここで立ち話もなんだから、中に入って。大したものは出せないけど。」

 シエルは再び笑顔を見せて、あおいを迎え入れる。あおいは小さく頷いて、部屋に入った。

 部屋の中は質素でありながら整理はされていた。彼女は朝起きたばかりのようで、朝食の準備をしようとしているところだった。

「お姉ちゃん、あれから1人でずっといるの?」

 あおいが問いかけると、シエルは頷く。

「だったら、私が手当てをしてあげるよ。」

「いいよ。私はもう大丈夫だから。」

 シエルが苦笑いを浮かべるが、あおいはかまわずに彼女の背中に手を当てる。

 そのとき、あおいはシエルから不思議な力を感じ取った。暖かさと同時に、何か暗い井戸の底のような冷たさが伝わってきた。

「お姉ちゃん・・何なの、この感じ・・・?」

 あおいは思わずシエルに問いかけていた。

「あおいちゃん、あなた、もしかして・・」

 シエルもあおいから何かを感じていた。

「シエルお姉ちゃん、志貴さんから話は聞いてるよ。教会の埋葬機関っていうところの人なんでしょ・・」

「うん、そうですけど・・」

「だったら、私のこの力を見てほしいんだけど・・」

 あおいは真剣な眼差しをシエルに向けた。その中に秘められた神の力を解放し、背中から天使の翼が広がった。

「あ、あおい、ちゃん・・・!?」

 シエルは信じられない面持ちに満たされていた。

 あおいから生えた天使の翼は、輝きとともに霧散するように消えていった。

 力を抜き、あおいは閉じていた眼をゆっくりと開いた。

「これが私の中にある力・・この世界でたったひとりだけの神の力だって・・・」

 あおいには神から与えられた力が備わっていた。その効果は傷の治癒や生命の蘇生など、“生かす”ものである。

「私のこの力なら、お姉ちゃんの傷も治せるはずだから・・」

「いいえ、その必要はありません。」

 再び力を解放しようとしたあおいをシエルは制する。そして着ていたYシャツを突然脱ぎ始めた。

 そこであおいは動揺を見せた。シエルの肌には、聖なる者としての証と思われる入れ墨が施されていた。

「お姉ちゃん・・・」

「これが代行者の証・・そして、私自身が不死である証でもあるのです。」

 シエルは入れ墨の入った自分の左腕に右手を当てる。

「私には、埋葬機関に属する使命があるのです。邪なものとその力の排除が、私の目的なのです。」

「でも、健人としずくは・・」

「いいえ、分かってますよ。」

 あおいが悲痛の言葉をかけようとすると、シエルは微笑んで頷いた。

「あなたは、あの2人のことを信じてますから。そして遠野くんも、彼らを信じ始めているみたいです。」

 シエルの見せる満面の笑顔。その優しさに喜びを抑えきれなくなり、あおいは彼女に身を寄せた。

「お姉ちゃん・・私にも、信じられるものと、やりぬきたいことが見つかったよ・・・」

 あおいの眼には涙が浮かんでいた。同じ神の力を持ちながら、それに対する不幸を抱えていた2人の少女がこうして触れ合っていた。

「ありがとう、あおいちゃん・・・」

 シエルの眼にも、うっすらと涙があふれていた。

 

 昼時になり、カレー店は賑わいを見せていた。店長としずくが慌しく注文と調理を繰り返していた。

「ふう。お昼になるとみんなやってきて、やっぱり込むわね。」

 わずかの合間にしずくが大きく息をつく。

 そしてやっと店の前の行列がなくなった頃、また新しく来客が訪れた。

「いらっしゃいま・・」

 一礼するしずくの挨拶が途中で途切れる。

「やっほー。」

 店にやってきたのはアルクエイドだった。彼女は無邪気そうな笑みをしずくに見せていた。

「おや?しずくちゃんの知り合いかい?」

 店長が興味ありげにしずくに聞いてくる。

「うん、ちょっとね。アルクエイド、ちょっと待ってて。もう少しで今日の仕事が終わるから。」

「そう?じゃ、何か頼んで待ってるから。」

 アルクエイドは無邪気に頷いて、近くの空いている席に座った。

 

 その日の仕事を終え、私服に着替えたしずくが、アルクエイドの待つテーブルに向かう。

「お待たせ。」

 しずくが声をかけると、アルクエイドが笑みを見せてきた。ただ待つのも退屈だったようで、彼女はハーフカレーを食していた。

「じゃ店長、今日はお疲れ様。」

 しずくは店長に挨拶を交わし、アルクエイドと一緒に店を出て行った。

「今日は何だか雲行きが怪しいわね。昨日は満月が出てたのに。」

 アルクエイドがいきなりやぶからぼうなことを聞いてくる。彼女の言うとおり、今は空は雲に覆われて太陽の光がわずかに輝いて見えるだけだった。

「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?」

「ん?」

 しずくが戸惑いを見せながら問いかける。

「アルクエイドも、吸血鬼なんだよね?ブラッドじゃないけど・・」

「うん。そうだけど?」

「だったら、時々血を吸ったりもするんでしょ・・?」

 しずくがそう聞くと、アルクエイドから笑みが消えた。

「私は・・血が嫌いなのよ・・・」

 彼女のその返答に、しずくが眉をひそめる。

 血を吸うことを拒む吸血鬼。それは普通に考えれば、あるまじきことに他ならなかった。

 しかししずくはそうは思わなかった。彼女も誰かを犠牲にする「吸血」行為を嫌悪していた。

「そういうしずくも、ブラッドっていう吸血鬼なんでしょ?」

「うん。でも私も血を吸うのは好きじゃないな。」

 しずくも作り笑顔を見せる。

「実は私ね、初めからブラッドだったわけじゃなかったんだ。」

「えっ?ということは誰かに血を吸われて・・」

「うん。」

 しずくは頷きながら、昔のことを思い返していた。

「私に弟がいたの。でもブラッドになったとたんにその力が暴走しちゃって・・そんなあの子を助けようと思って、私からお願いしたの。」

「頼んだって、何を・・・!?」

「健人に、ブラッドにしてほしいって・・」

 しずくの悲しみを込めた言葉に、アルクエイドは困惑する。

 人間の少女だったしずくは、ブラッドになって発狂した弟、シュンを助けるため、健人にブラッドにしてほしいと願った。

 健人は始めはそれを拒んだが、しずくの強い思いに心を打たれ、彼は仕方なく彼女の首筋に牙を入れた。

 しかし結果、シュンは人としての心を取り戻したものの、神との戦いの中でその命を閉じた。今しずくは、シュンの分まで懸命に生き、彼と同じ夢を抱いていた健人も、その夢のために生きているのだ。

「ま、いろいろあるのはお互い様ということね。」

「だから私は、私たちは生きていこうと思うの。弟の分まで、弟の夢を守るためにも・・・」

 旅立つ直前に秘めた誓いを改めて心に留めて、しずくは遠くを見つめた。健人とともに生きていくことを。人として。

 

 この日、健人は早めに街の広場にやってきていた。この日は早くストリートミュージックを行いたい気分だった。

 昼に来て夜に訪れない人もいるので、ちょっとした新鮮さも感じることができた。

 そんな人たちも含めて、健人は自分の曲を披露するためにギターを弾いた。

 広場を通りがかる人の中で、彼の曲にひかれる人も少なくなかった。

「いやぁ、アンタの曲なかなかのもんだぜ。」

 曲を弾き終えた健人に声をかけてきたのは、高校生の男女だった。男性の制服からして、彼らはおそらく志貴の学校の生徒だろう。

 男は茶髪の長身、女は長い髪をポニーテールにしていた。

「オレみたいなのをいいと言ってくれるなんて・・」

 健人が2人に照れ笑いを見せる。

「ううん。そんなことなかったと思いますよ。」

 ポニーテールが弁解の意を込めて小さく微笑む。

「是非、遠野のヤツにも聞かせてやりたいもんだ。」

「遠野?」

 男のこの言葉に健人は眉をひそめた。

「遠野って、志貴のことか?」

「えっ?遠野くんを知ってるんですか?」

 ポニーテールの少女が健人に聞き返してきた。

「君たち、志貴の学校の生徒だよね?オレは椎名健人。ちょっと志貴にお世話になってて。」

 健人が再び照れ笑いを見せると、今度はポニーテールの子が顔を赤らめていた。彼女は健人と志貴が深い関わりとなっていることに戸惑いを感じていた。

「あ、オレは乾有彦。こっちは弓塚さつき。」

 乾と名乗った男性は、さつきの代わりに彼女を紹介する。

「あれ?そういえば志貴は一緒じゃないのかい?親しそうだから、多分同じクラスだと思うんだけど。」

「ああ。アイツ、貧血起こしてときどき早退するんスよ。今日も途中で気分が悪くなって。宿題のプリントがあるんで、今から行こうと思ってたところなんスよ。」

 健人の問いかけに乾が答える。さつきは未だに戸惑いを見せている。

「だったらオレも行くよ。みんなが行けばにぎやかになるし。あ、でも秋葉さんはそういうのがイヤだったんだ。」

「いや、ただ単にプリント私だけなんだけど・・」

 立ち上がりながらギターをケースにしまう健人に、乾は言葉に詰まって苦笑いを浮かべるしかなかった。

「あっ・・わたし、やっぱり帰るね。」

「えっ?」

 突然戸惑いながらさつきが声をもらし、乾が疑問符を浮かべる。彼女は小さく笑みを見せて続ける。

「いつもプリントとか渡すのは乾くんの役だし、みんなで押しかけたんじゃ、遠野くんに悪いし・・」

「そうか・・・」

 なぜ志貴に会うことを拒んだのかをあえて追求せず、健人小さく笑った。

「だけど、たまには君が会ってやったほうがいいかもしれないよ。」

「えっ・・?」

「直に会いに来てくれると、けっこう嬉しかったりするものさ。」

 さつきの肩を軽く叩いて、健人は遠野家に戻ることにした。乾もその後に続く。

 志貴に対する思いを抱えたまま、さつきは2人の後ろ姿を見送ってから、この広場を後にした。

 

 湯飲み茶碗に入った緑茶を、あおいはまじまじと見つめる。茶道部に所属しているシエルが入れたお茶である。

 しかし洋風の生活が長く続いていた彼女は、日本茶を直に見たことさえなかった。

「あの・・・こういうお茶、初めてなんだけど・・・?」

 困った顔をするあおいだが、シエルは笑顔を見せたままだった。

「何事も試してみることが大事ですよ。」

「そう・・・じゃあ・・」

 シエルに勧められて、あおいはひとつ息をのんで茶碗を手にする。そしてゆっくりとお茶を口にする。

「に、にがい・・・」

 口に広がる苦さに、あおいの顔が歪む。

 紅茶やコーヒーを飲んでその苦さは知っていたが、日本のお茶はそれとは違った苦さだった。

「良薬は口に苦しと言いますよ。あ、これは薬ではないですね。」

 自分の入れたお茶を飲んでもらい、シエルが満面の笑顔を見せる。あおいも何とか笑みを作って、彼女の喜びを感じていた。

「あ、もうこんな時間。そろそろ帰りましょうか。」

「そうだね。いつの間にかこんな時間がたってたんだね。」

 時計を見たシエルとあおい。2人は談話などですっかり時間を忘れていた。

「送ります。」

「えっ?いいよ。私が勝手に押しかけちゃっただけだから。」

「いいんですよ。今日はあなたといて、とても充実した1日になりましたから。」

 心からの礼を送るシエル。あおいは彼女の申し出を受けることにした。

 

 日はすっかりと落ち切り、街灯には明かりが灯っていた。その明かりが照らされた道を、シエルとあおいは歩いていた。

 シエルはワンピースを着用していた。健人との戦いでボロボロになっていたものではなく、何着かある同じものを着ていた。

「みんな心配しちゃってるね。でも怒ってはいないと思う。」

 あおいはおもむろにそんなことを口にした。

 信頼してくれるなら、今日のことは快くおもってくれるはず。彼女は胸中で喜びを感じていた。

「私も、あなたを信じることができました。そして、遠野くんを信じることも、改めて・・・」

 シエルは信頼とともに、自分の本当の気持ちを胸に秘めていた。“死”という概念に囚われた者同士、つながりがあるため、彼女は志気にひかれていた。

 しかし埋葬機関に身を置く彼女は、戦うことでしか強さを見せられない。不死の呪縛に囚われた自分の忌まわしさを彼女は未だに悩まされていた。

「キャアッ!」

 そのとき、近くで少女の悲鳴が響いてきた。

「シエルさん、今の声・・!?」

 あおいが振り向くと、シエルは真剣な眼差しで頷いた。

 声のしたほうへと駆けていく2人。徐々に公園のほうへと向かっていく。

 そしてその公園の中央広場に駆けつけると、2人は足を止めた。

「ゆ、弓塚さん・・・!?」

 シエルが広場の中心で倒れている少女、さつきの姿を目撃する。彼女はうつ伏せに倒れて意識を失っているようだった。

「弓塚さん!」

 シエルがさつきに駆け寄ろうとして、途中でそれを止める。ただならぬ気配を彼女は感じた。

 倒れているさつきの影から。

「出てきなさい!そこにいるのは分かっているんですよ!」

 シエルはさつきの影に向かって叫んだ。何がどうなっているのか分からず、あおいはただ2人を見つめるしかなかった。

「フッフッフ・・さすが教会の代行者(アポスルズ)。オレの気配にすぐに気付くなんてね。」

 すると影から声が不気味に響いてくる。その直後、その影が盛り上がり、やがて人の形を取っていく。

 その姿はまさに白一色とも思えるほどの白の衣服を身に付けていた。不敵な笑みを浮かべている白髪の青年だった。

「はじめまして、エレイシア。いや、今はシエルと呼んだほうがいいかな?」

 青年がシエルに視線を向けていた。

 

 

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